第26話 天ヶ崎舞羽と民宿『みどり荘』


 あれよあれよという間に旅行の日になった。


「うーーーーみだーーーー!」


 車が海に近づくにつれて舞羽のテンションが高くなっていくのが分かる。窓から飛び出さんばかりに身を乗り出して、いつかのピクニックに着ていった白ワンピースを風にはためかせ、高揚した目で海面を眺めていた。まるで海のキラキラが舞羽の瞳に反射しているようである。


 車窓を流れるキラキラした海面。空を流れる入道雲。8月も半ばである。


 僕は夏が近づいてくるように感じていた。


「おい、落ちるぞバカ! そんなに身を乗り出すな!」


「あはは! 車内タイタニック!」


「支えている僕の身にもなれ!」


 これは天ヶ崎家の家族旅行なので、車内には当然舞羽の家族がいる。家族といっても父親は東京の本社に勤務しているらしく、妹の蝶と舞羽の母親がいるだけであった。運転席に母親が座り、僕達高校生組は後部座席に三人並んで座っていた。蝶と舞羽が窓側で、僕が真ん中である。小ぢんまりした二人に挟まれて、山の漢字が完成していた。


「舞羽~? あんまりゆう君を困らせたらダメよ?」


「い~のっ ママは関係ないの!」


「まったくもう……ゆう君ごめんね? 舞羽が無理言って」


「あ、いえ、大丈夫です。ちょうど両親が家を空けてて―――――」


「見えたーーーーー!」


「舞羽! 動くな!」


「あわわわわ!」


 わーーーーーー! と、車内は大混乱であった。


 今回泊る宿は海の近くにある民宿のようで、昔ながらの横長の民家を改装した『みどり荘』という民宿であった。筆のような字体で書かれた看板が印象的で、日に焼けた木製の壁が愛着を感じさせる。どうやら舞羽の叔父おじが経営しているらしい。脱サラした後、古民家をリノベーションして始めたのだという。


 舞羽は尻尾をはちきれんばかりに振る子犬のようだった。出発したときから既に頬が緩みっぱなしで、常に語尾が跳ねているようだった。よほど楽しみだったのだろう。すでに水着を着ていると言って、「見たい? 見たい?」としきりに聞いてきた。


 これは舞羽の新たな一面であるが、彼女は気分が高揚してアクティブになっていくのと比例して幼児っぽくなっていくらしい事を僕は発見した。


 言葉遣いは普段と変わらないのに、語尾が跳ねるだけで一気に子供らしさがあふれ出る。言いたい事が溢れて仕方がないような様子は、思慮深さすら感じられる普段の舞羽とはまったく異なり、見る者に笑顔を振りまくような可愛さがあった。


「お姉ちゃん~~、狭いんだから騒がないでよ」


 蝶がそう言うと、「えへへ、ごめん」と、仰向けに倒れた僕の胸の上で腹ばいになったまま、にへへと笑った。


                  ☆☆☆


「いらっしゃい。よく来たね」


「こんにちは、叔父さん」


「こんにちは!」


 昔ながらの木組みのスライドドアをカラリと開けて出てきたのは禿頭とくとうの人物だった。恰幅かっぷくのいい中背のおじさんで、毛一つない顔面が印象的であった。舞羽と蝶が揃って頭を下げると、肉の乗ったあごを揺らして笑った。


 人当たりの良さそうな笑顔を浮かべて僕達を出迎えたのが舞羽の叔父である天ヶ崎裕二ゆうじ氏だった。夏の日差しにキラリと光る頭が電球のようだと思った。


「はっはっはっ、元気が良いねぇ。2人とも今年から高校生か」


「そうでーす!」と蝶が答えてくるっと回った。彼女はこのためにわざわざ制服で来たのだった。


「おやおや、なんと可愛らしいことよ。最後だし、目いっぱい楽しんでいっておくれ。部屋はいつものところに用意してあるからね」


「はーい」


 荷物を持って階段を駆けて行く姪っ子二人を見送った裕二氏は舞羽の母をエスコートし、二階へと送っていく。僕は他人の家に預けられた猫のような疎外感を覚えた。


 勝手に民宿に上がっていいものか分からないし、いくら舞羽に連れて来てもらったとはいえ部屋が同じなわけがない。


 やがて戻ってきた裕二氏が「それで」とぼくに目を止める。


 ようやく部屋に案内してもらえるのだと思ったが、違った。


「そっちの君が、噂の『ゆう君』かな?」


 まるで真贋しんがんを見定めるような鋭い視線に驚いた僕は、思わず縮こまった。


「は、はぁ………」


「舞羽ちゃんから話は聞いているよ。なんでも、毎晩同じベッドで眠っているそうだね。実にけしからんことだ」


「あの、えっと、何のことを言っているのでしょうか? 噂の、とは……」


「とうぜん、舞羽ちゃんと君が毎晩夜を明かしている事だが?」


 僕はなんと答えれば良いか分からず戸惑った。裕二氏の視線はなんだか「悪い虫は寄せ付けない」と語っているように見える。僕の事を明らかに警戒しているようだ。が、あいにくと初対面の人間に警戒されるような覚えはない。


「その言い方は語弊が……」と言おうとしたら、裕二氏はさらに眼光を強めて言った。


「語弊? どこに語弊があるのかね。私は同じベッドで眠っていると言っただけだが? まさか、本当にそういう『寝る』じゃあないだろうね? 私がわざとぼかしたと思っているのかね?」


「えーっと……」


 舞羽のバカ、と僕は思った。


 とても、鍵を閉めてもピッキングで開けられるなんて言っても信じてもらえそうにはない。裕二氏はどうも舞羽と僕が一線を越えた関係にあり、僕が舞羽を汚すのではないかと考えているようだった。とうぜん舞羽の親戚と険悪な仲になるつもりは無いし、どう答えたら穏便に済むかと僕が思案していると……


「そう! ゆうだよ!」


 と、上階から元気な声が聞こえた。見ると、手すりから身を乗り出して舞羽が手を振っている。諸悪の根源にして災厄の種がいま芽吹こうとしていた。


「ゆうも早くおいでー! 私が案内したげる!」


「う、うん………」


 舞羽は僕と裕二氏との間で交わされている会話がどんな種類のものであるか分からずに言っているらしい。


「………………………」


 彼の視線はますます険しくなって、鷹の目のごとしであった。


 このまま親密な所を見られればさらに疑いが濃くなるのは必定。どうにか妄想的心配性の鎖を断ち切らないと、僕だけ浜辺で寝る事になりかねない。


 せっかくの旅行で1人だけ潮まみれになるわけにはいかない。べとべとするから嫌である。


「僕の部屋は別にあるんですよね」


 と、僕は毅然として言った。天ヶ崎家ご一行は全員女性である。男が同室に寝る場合、それは家族かそれに準ずる関係である場合である。僕がみだらな男あれば遠慮なく同室を希望するのだろうが、ここで断っておくことで、僕は違う。淫らな男では無いとアピールする事ができるだろうと僕は踏んだのだ。


 だが、その目論見は綺麗に打ち砕かれてしまった。


 他ならぬ天ヶ崎舞羽の手によって。


「……もう、早く来てってば!」


 と、じれったいような声で吠えた舞羽が手すりを飛び越えて階下へと飛び降りた。


「何やってんだ!」


「舞羽ちゃん!? 危ないよ!」


 彼女の奇行に仰天した僕達は同時に上を見る。


 位置エネルギーと重力加速度に従って思い切りひるがえるワンピース。あわやブラジャーまで露出するかというところで彼女を抱き留める事に成功した。


「バカ! ワンピースで飛び降りる奴があるか! ぱ、パンツとか……色々見えるだろう!」


「でも、ゆうが受け止めてくれるから……」


「そーいう問題じゃない!」


 僕は舞羽が無事である事に安堵しながらも声を荒げた。縦横無尽に跳ねまわる無鉄砲がここでも発揮されたのだ。一歩間違えれば大怪我をしかねない危険な行為である。


「じゃあ、ワンピースも押さえて飛ぶね」


 どこか不貞腐れたように舞羽が言う。僕の心配など根本から理解していないらしい。僕は頭が痛くなるようであった。


 だが、これによって僕の命運は決したと言って良かった。スカートの中をさらけだしても恥ずかしくない関係など、一線を越えた関係に他ならないのだから。


「ゆう君……と、いったね?」


「え、あ、はい」


 僕は、終わったと思った。


 裕二氏の方を見るのが怖かった。


「よろしい。部屋へ案内しよう」


「………へ?」


 ところが、一連の流れのどこを気に入ったのか、裕二氏は「ついてきなさい」と言ってすたすた歩きだしたではないか。


「……部屋で眠れる?」


 僕はそれだけで嬉しかった。


「同じ部屋じゃないんだ……」


 僕の腕の中で、舞羽は、不満そうに呟いた。



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