第11話 天ヶ崎舞羽の妹



 前回に引き続き天ヶ崎舞羽は風邪を引いている。


 僕達はとりあえず病院から帰ってきたところで、今、舞羽はすぅすぅ寝息を立てて安らかに眠っていた。僕はやっぱり舞羽から風邪をうつされていて、二人とも一日安静を言い渡されたのだった。


 とはいえ軽症である。症状があるといっても軽い喉の炎症と鼻みずくらいのもので体は健康そのもの。舞羽の世話役を申し付けられるのは当然であった。


 僕は己に課せられた使命に戦々恐々とし、ただ時間が過ぎるのを待っていた。


「まだ大丈夫か……とはいえ11時……。いつが始まるか分からんから油断できないぞ」


 というのは条件がそろったときにしか見られないド級の災厄のようなもので、とうぜん親たちは知らない。


 普段は乙女と小悪魔の入り混じったカフェオレのような性格の舞羽だけど、はまったく人が変わったかのように唐突に訪れる。出現条件は決まっていて、意識が朦朧としているときだ。


 それをどうやって説明したものか、僕は適切な言葉を持たないながらに言語化を試みる事にする。


 まずは天ヶ崎舞羽という人間を分析し性格をいくつかパッケージングしてみる。


 一つは、思うがままに行動する子供らしい舞羽。主にこれが舞羽の大部分を占めていると僕は考えている。衝動を優先するので痴態を晒す事さえ恐れない無敵モード。


 一つは、あえて僕を扇情しその反応を楽しむ小悪魔的な舞羽。これは出現条件が限られていて、僕が動揺したときにのみ出てくる。好きな子をいじめたくなるのと似ているのではないだろうか。


 一つは、寝起きなど意識がボーっとしているときに現れる大胆な舞羽。平気でスカートやシャツを脱いだりするが、これはあくまで無意識の事なので、単に警戒心が消えているだけかと思われる。決して好意があっての無防備と思ってはいけない。


 一つは、自らの痴態を恥じる乙女の舞羽。むしろ彼女に羞恥心が存在したのかと驚くのである。主に上の二つの後で現れる事が多い。そして反省しない。あまりにも舞羽の破廉恥行動が改善されないので、僕には舞羽が恥じらいすらも楽しんでいるように思える。


 一つは、優等生の舞羽。この点を僕は高く評価している。気持ちのオンオフがしっかりしているというか、もともと集中力が高い舞羽はやると決めたことを最後までキチンとやる。もっとも、気持ちのオンオフが明確に分かれているというだけで、どれだけ集中していようと興味の対象を見つければ簡単にオフになってしまうから、あてにはならない。


 ざっくり分けて舞羽の性格は上記の五つに分かれるが、それらは『五行』のごとく複雑な相互関係をなして互いに作用しあって天ヶ崎舞羽という奇想天外ダメ人間を構成している。


 ところが、僕がと呼ぶ舞羽は上記のいずれとも異なり、また、すべてを包括する、複雑怪奇で形容しがたい美しさを備えた舞羽なのである。


 あえて一言で表すなら『透明』。まったく濁りのない、分厚いガラスの塊の向こう側まで見渡せるような、純度100%の澄み切った舞羽であると言えよう。


 それはあたかも舞羽のすべての性格をごちゃ混ぜにして鍋で煮て、不純物を全て取り去ったものを冷やして固めたかのごとし。上澄みよりもさらに綺麗な、彼女の見せる一瞬の煌めきだけを集めて重ねた形而上けいじじょう的な美しさである。


「ねえ、ゆう?」


 そして、はとうとつに訪れるのである。


 僕の心の準備などおかまいなしに訪れるのだから本当に心臓に悪い。


 僕は「来たな」と思って彼女を振り返った。そして、言葉を失った。


「体、拭いてほしいの。なんだか熱くって……」


 あろうことか、彼女は服を着ていなかった。服どころか下着さえつけていなかった。生まれたままの一糸纏わぬ姿でベッドに座っていたのだ。天衣無縫の美しさとはこういう事を言うのだろう。関節というものをまるで感じさせないひと繋ぎの白。


 意識の朦朧とした舞羽は平気でこういう事をするから本当に心臓に悪い。


 僕はギョッとした。


 小ぶりながら発育の良さを感じさせる胸に右手を添えて、気だるげに俯いて、彼女はこう言うのだ。


「体を拭いてほしいの」


 まるで、それが当然だというように、彼女は僕に触れろと言うのである。


 先に述べた『透明』な舞羽は天女のごとき価値観を備えた超自然的な性格なのだ。


「それは……できない」


 と、僕が言うと、彼女は「どうして?」と眉一つ動かさずに問い返した。


「どうしてって……そりゃ、僕が男だから」


「ゆうはゆうだよ。舞羽は舞羽。私はただ体を拭いてほしいだけなのに、どうして男だとできないの?」


「お前は……ときどき難しい事を言うよな」


 彼女の言う事は、僕らを取り巻くシチュエーションを全てとっぱらって考えたら至極まっとうな事であり、たしかに、風邪を引いた友達の汗を拭う。ただ、それだけの話である。まったく、彼女はそれだけを言っているのである。


 エロス、恥じらい、下心、好き、嫌い、男と女、してほしい、あわよくば……。そんな気持ちをどこかへ捨て去ったように、まったく、純粋だった。


「ゆうだからお願いしてるんだよ。男の人とか女の人とかじゃないの。『ゆう』にお願いしてるの」


「でも、僕は男で、君は女の子なんだよ」


「だから、なに?」


 彼女は不思議そうに首をかしげた。


 これだから舞羽の看病は嫌なのだ。彼女はあくまでプラトニックな事しか言わないのに、それを形而下けいじかに受け取ってしまう僕の俗世的価値観を突きつけられるのが何よりも嫌なのだ。


 きっと、僕の体を流れる血をすべて抜きとって、それを清らかな清流に置き換えたとしたら、僕は彼女と同じ価値観を得る事ができるだろうけど、僕はどうしたって『男』だった。


 今だって、僕は痛いくらいにドキドキしている。


 もしいま彼女に触れてしまったら、僕は嫌悪感に苛まれ苦しみながら舌を噛み切るだろう。


 舞羽は純粋に僕の事を見ているのに、僕は舞羽の事を女性として見ている。


 舞羽の事を女性としか見れないのが何よりも嫌だった。


「ねえ、ゆう、お願い…………」


 ところが、その時間はあっけなく終わりを告げる。舞羽はパタリと倒れこんだ。突然の事だった。まるで電池が切れたように動かなくなって、安らかな寝息をたてはじめた。


 この舞羽は現れるのが突然なら終わるのも突然であり、その時間もすごく短いのである。


 それだけが僕の救いだった。


「もういい?」


「ああ、やっと終わった」


 僕が安堵のため息をついていると、ドアからひょっこりと舞羽によく似た女の子が姿を現す。僕らと同じ高校の制服を着ており、わざわざ学校を早引けして来てくれたのだろう。彼女の手にはバスタオルが用意されており、こうなることが分かっていたように手際よく舞羽の体を拭き始めた。


 彼女には頭が上がらない。


「まったく、お姉ちゃんも困ったもんだよね~。ゆう君を困らせるんじゃねえよって」


「本当だよ……。普段から予想の斜め上をいくヤツだけど、今度ばかりは焦ったな」


「あっはは、ゆう君でもびっくりすることあるんだ!」


「毎日びっくりしてるさ……」


 彼女は天ヶ崎舞羽の双子の妹―—天ヶ崎ちょう。少し勝ち気なところはあるが姉思いの心優しい女の子である。


 あらかじめスマホで援軍を頼んでおいて本当に良かったと思う。そうでなければ、舞羽が脱いだ服を僕が着せる事になり、それはそれで蝶に殺されていただろう事は想像に難くない。


 僕には、彼女こそが女神に見えた。


「まさかいきなり服を脱ぐとは思わなかったね~~~。というか、いつまでいるの?」


「ん?」


 蝶は僕にキッと目を止めると、「いますぐ出ていけ!」と一応病人である僕の事を遠慮なく蹴飛ばした。


「ぎゃっ!」


「お姉ちゃんの裸を見るな! 変態!」


「痛い痛い痛い! 出てく! 出てくから!」


 僕はほうほうの体で部屋から逃げ出した。ばたんっとドアが閉じられ、部屋の中からは「お姉ちゃん大丈夫? 変な事されてない?」といたく心配そうな声が聞こえてくる。


 蝶はお姉ちゃんっ子という訳ではないが、舞羽が奇想天外ダメ人間であるせいか、彼女は超常識人に育っているのである。


 良い妹を持ったなと安心する反面、なぜか目のかたきにされているらしいことだけが納得がいかなかった。



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