1ー⑦

「まずは昨晩、君に起こった事だが……単刀直入に言おう。君はワゴン車にはねられ、死にかけた」


 カシムから告げられた事実に対し、勇は一瞬目を丸くする。


「でも、僕は何とも無いんですけど……」


「それは、君の体をヒトよりも生命力の強い生き物の体に作り替えたからさ……コ レを使ってな」


 カシムはライダースジャケットの内側から、陶器と思われる小さな小瓶を取り出した。


「こいつは“レプティカル”。太古の昔、我々現生人類よりも前に栄え、文明を築いた人類“爬虫人類レプティリアン”により造られた薬だ。コレを体に取り入れた生き物は薬に込められた爬虫類の遺伝子情報を取り込み、擬似的な爬中人類……半爬者ハンパモノとなる」


「レプティリアン?秘薬?というか僕は……」


「既にヒトではなく半爬者だ。そして薬の特性は“ヤモリ"だろう」


「……田んぼとか川にいる、黒いトカゲみたいなやつ?」


「それは“イモリ”だな。名前は似ているが全く別の生き物だよ……春から秋にかけて街灯の近くや家の外壁に貼り付いて虫を食べている平べったいトカゲを見たことはないか? あれの仲間だ」


 ヤモリ。

 爬虫網有鱗目ヤモリ上科に属する生物の総称。有鱗目とは、簡単に言えば「ヘビとトカゲ」を指し、“瞼と耳孔の無いもの”をヘビ、 “險か耳孔のどちらか一方でもあるもの”をトカゲとするのが生物学上の分類であり、ヤモリの仲間は瞼のあるものとないものが混在するが、総じて耳孔を持つためトカゲの中の1グループとなる。


「先ほど君は、垂直の壁に掌を着けて登っただろう?」


 樹上性のヤモリは四肢の指及び掌が複雑に入り組んだ鱗となっている。この鱗の間にファンデルワールスりょくという力を発生させ、その効果によって垂直な壁や凹凸や摩擦の無いガラスにも貼り付くことが可能である。壁に貼り付くという行為自体は虫、貝類、カエルなどにも可能であるが、ファンデルワールス力を用いる事と高い機動性を備えている事はヤモリのみが持ち得るのだ。


「そんな……」


 勇は自らの両掌を見つめる。今はもうヒトのそれに戻ってはいるが、先ほどは確かに変形していた。


「体の形状が爬虫類のものに変わる事を我々は鱗化スケイライズと呼んでいる。自由自在に鱗化を行うには慣れが必要でな……こんな風に」


 カシムは右前腕を、灰色がかった緑色をした鱗だらけの腕へと変化させた。


「うわ……」


 思わず声を漏らす勇。


「君は私という脅威から逃げたい本能が力を目覚めさせたのだろう。私も初めて鱗化した時は命の危険が迫っていた……どれ、ひとつ昔話をしようか」


 カシムは遙か前の出来事を思い出しながら、語り始める。





–1945年・冬


 大日本帝国は太平洋戦争に敗れた。日本列島外の各地に駐留していた日本人達は官民問わず、その場を引き上げるはずであった。しかし、アジア大陸にいた者たちの多くはそれも叶わなかったのだ。ソ連には捕虜や敵国の民間人をシベリアの強制収容所へとぶち込み労働をさせる制度が存在していた為である。粗食と劣悪な環境下で働かされ、何万人もの日本人が命を落としたというそれは1947年まで続いた。


–シベリア

 炭坑の奥、日本人の若者は鶴嘴ツルハシを片手に壁を掘り続ける。日本が敗北を宣言してから、どれだけの月日が経っただろう。満州で敵軍に捕らえられ、気がつけばこの冷たい炭坑で働く日々。故郷の家族よ、この大那 壮吉だいな そうきちはまだ、ここに生きているぞ……と、伝えられる日が来ると信じながら彼は生き続けるのだ。


「ん?」


 振り下ろした鶴嘴が、何が硬いものに触れた。妙な違和感を感じた壮吉は硬い感触の正体を確かめる。


「何だこりゃ。箱……か!?」


 それは四角い鉱物の塊だった。が、明らかに人為的な加工を施したかのような立方体である。


「どうした日本人ヤポンスキ、何を騒いでおる」


 2人一組のソ連軍人が壮吉の元へ近付いてきた。


「いや、壁を掘ってたらこんなモンが……」


 壮吉は中年の軍人にそれを差し出す


「これは……もしや!」


 中年軍人は壮吉の手から立方体を奪い取ると、それをおもむろに開ける。立方体は、やはり箱だったのだ。


「間違いない、これぞ "レプティカル”!同志スターリンの探し求めていたもの!ウラー!ハラショー!!」


「!」


 中年軍人が歓喜の雄叫びを上げると、片割れの青年軍人の顔が青ざめる。 そして……


「ポロチェンコ大尉どの」


「んん?何だねスフェノドfッ……」


 青年軍人は、浮かれた上官ポロチェンコが振り向くと同時に頸動脈と気管をナイフで一閃のもとに斬る。ポロチェンコはその場に倒れ、 間もなく絶命した。


「んなっ……!?」


 突如、上官を殺害した青年に対し壮吉は驚嘆。対照的に青年は死んだ上官の体からナイフと拳銃、そして“レプティカル”と呼ばれたものを奪う。


「死にたくなければ私と一緒に来い。日本人」


 青年は壮吉に、上官のナイフと拳銃を差し出す。


「……巻き込まれるのはご免被りたいが、俺はまだ死にとうない」


 壮吉はナイフと拳銃を受け取る。


「賢い判断だ、日本人。 付いてこい」


「そのヤポンスキってのはやめろ。俺には大那壮吉って名前があるんだよ、露助野郎!」


「私はカシム……カシム・スフェノドフだ。そしてロシア人ではないよ。ソウキチ」


 フッと微笑みながらカシムが差し出した右手を、壮吉は土まみれの右手で握り返した。

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