第26話  王国の危機Ⅲ

 遠く王都の南に見える森の樹々の合間から朝日が差し込んできた時、王都はこれまでにない喧騒に包まれていた。


 オーゼン王国の首都は、建国以来積み重ね続けて来た人の背丈の4倍ほどはあろうかという、強固で重厚な石造りの城壁で四方を囲まれている。

 その城壁の南門にある巨大な木製の扉はしっかりと閉じられ、急ごしらえではあるが城壁外側には馬防柵が並べられており、城壁その物も木材で何重にも補強をされていた。

 

 そんな様子を、国王一家と軍・内務大臣の5人は見ながら城壁の上を歩いていた。

 普段は王都を守る勇猛なる衛士達の実に6割もの人数が、城壁で上から弓や投石で応戦するため、また残りの3割が打ち漏らしを始末すべく城門の裏手に、そして残りの1割は避難する市民たちを誘導し護衛するために分かれた。

 また、王都のギルドが狩人の緊急招集が行われ、衛士達と共に防衛線の準備に駆けずり回っていた。

「もっと矢を持ってこい!」「石でも煉瓦でもかまわん! どんどいん持ってこい!」「もっと木材持って来い! 補強が足りんぞ!」「手隙の者は順番に飯食っとけ!」「油もあった方がいい! 壺ごと持って来るんだ!」

 衛士や狩人の、誰もが勝てない事ぐらい分っていた。

 もう、きっと誰も生きて家族に会う事など敵わないという事も知っていた。

 だが、愛する家族を守る為、無事に北の海の街へと逃がすため、その時間を稼ぐ為、誰もが心を燃やしていた。

 

「おお、そうじゃった、衛士隊長はいるか?」

 どことなく気の抜けた声で、マイラフは近くで王を護衛していた衛士に声をかけた。

「はい、私です」

 簡易ながら臣下の礼を取った衛士に、

「今は戦時じゃ、礼は不要。ああ…それでな。妖精の国から、妖精女王の騎士が応援に駆けつけてくれるそうなのじゃ。昼前には王都に着くと言っておった 」

「妖精女王の騎士…ですか? 如何ほどの人数の助力なのでしょうか?」

「…それがのぉ…。女王が言うには、1人だけじゃというのじゃ。それで十分と言っておった…」

 それを聞いた衛士隊長は、わなわなと震え、

「1人…? 情勢の女王は、状況を正しく理解しているのでしょうか。王国は妖精達に手厚い保護を行ってきたというのに、たった1人とは…。情勢の女王は、我々を…王国を、馬鹿にしすぎです!」

「怒るな、衛士隊長よ。そもそも妖精は戦う力を持っておらん。その妖精が1人でも応援に出すと言っておるのじゃ。女王はその騎士に死んで来いと言ったようなものじゃ。それぐらいわかろう?」

 確かに冷静に考えれば、国王の言う通りだ。

 その助力に来る騎士も、可哀相な事だ。

「なるほど、確かにおっしゃる通りです。では騎士が到着しましたら、中で休んでもらいましょう 」

「その辺はお主に全て任せる。大グモ共にこの城壁を抜けられれば、どっちにしろ終わりなのじゃ。中で休もうが戦おうがな 」

 当たり前の事に衛士隊長も頷き、城壁の上に陣取る衛士達に国王陛下からの言葉として伝令を走らせ、妖精女王の騎士が来るらしいとだけ伝えた。

「さて、わしらも戦の前に腹ごしらえをしとくかの」

 国王と共に城壁の上で衛士や狩人たちの動きを見ていた王妃と王女に声を掛け、食事が用意されている天幕へと国王たちは向かった。

 

 もう間もなく陽も中天へと昇り、昼になるというところで草原へと続く街道の先に黒く蠢くものが見え始めた。

 大グモの動向を監視し続けていた狩人が、城門前まで急ぎ戻ってくる。

 手早くロープを城壁から降ろすと、狩人は器用にそれを伝い壁を昇って大声で叫んだ。

「もう間もなく大グモの大軍が来ます!」

 マイラフはそれを聞き大きく頷くと、城壁の上から周囲に向かって声を張り上げた。

「皆の者良く聞け! もう間もなくクモ共がここまで来る! まだ北門では市民が避難しとる最中じゃ! ここを抜かれれば、誰一人助からん!」

 物音ひとつ立てず、ただその場の全員が静かに国王の言葉を聞いていた。

 武骨な金属製の鎧を身に纏った王妃、王女、そして軍務、内務大臣も、無言で国王の横へ並んだ。

「皆には申し訳ない事をしたと思うとる。許してくれとは言わん。わしを恨んでくれてもいい。わしらはここで死ぬじゃろう。そんな命令を出すわしが憎かろう。じゃが…わかってくれ。1人でも多く生かさねばならぬことを! この王国の…皆の家族の未来のため…ここでわしと共に死んでくれんか…」

 国王の言葉は、この場の全員の心に静かに静かに染みわたって行った。

 そして、やがてその言葉の意味を理解した。

 全員が剣を、槍を、弓を振り上げ、国王の言葉に「おお!」と声を上げ応じる。

 その声は、渦を巻く様に大きく周囲に広がり、まるで荒れ狂ったように衛士や狩人達の声が静まり返った王都へ響き渡り、石造りの強固な城壁さえも揺るがした。

 マイラフは静かに両手をあげると、その波も徐々に収まり、再び場に静寂が訪れる。

「安心せい。お主らだけを逝かせはせん! 王家も大臣も一緒じゃ! じゃが、無駄死にはするなよ? わしは、あの世でもお主等をこき使こうてやるつもりじゃからの! 覚悟せいよ! がはははは………」

 国王の死んでもこき使う宣言に、それを聞いたこの場の誰もが大きな笑い声をあげた。

「さあ、戦じゃ! 皆の者共に逝こうぞ! 1匹でも多くあの世への土産に道連れにしてやるのじゃ!」

「おおおおおおおおおおおお!!!!!」

 その声は、遥か遠くの草原を、今も王都へと進軍してくる大グモの群れにまで届いたかもしれない。

 だが、もう誰も迷わない。

 家族を恋人を友を、必ず皆を逃がす。

 絶対にここは通さない!

 全員の気持ちが一つになっていた。

 

 草原からは、地平を埋め尽くさんばかりの大グモの群れが押し寄せて来ようとしていた。

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