第4話 閑古鳥が鳴く探偵事務所

 桜川解久が経営する探偵事務所は、西教大学からさほど遠くない商店街の裏通りにあった。この商店街が、「青山通り」であることは、たいていの日本人なら知っている。通りに面した、古い商業ビルの一角に「シークレット探偵事務所」の看板を掛けていた。取ってつけたような名前の事務所だが、ちゃんと免許を取って開業している事務所だ。

 この桜川解久なる人物については、追って説明していくことになるが、ここでは風変わりな若者とだけ記しておこう。年のころは30前後、髪の毛はぼさぼさ、いたって正気なのだが、年中和服姿に袴を身に着けている。こう言えばこの男、古き小説家「横溝正史」に入れ込んで、とんだ時代錯誤症に陥っている、文明不適応症候群を病んでいる若者とだけ説明しておこう。この若者もまた、西教大学出身なのだ。下田健は同じ大学の後輩にあたる。今日は、下田健の先輩でミステリーファンの野原すみれが事務所に来ている。

「コロナ禍は、暇で死にそうだった」

 桜川解久は頭を搔きながら言った。

「なんで私を呼んでくれなかったのよ」

 すみれは不満たっぷりに言った。

「だって、先生は、大事なお嬢様をあんな汚い居酒屋に呼ぶなんて、そんな非常識じゃないよ」

 下田健は、にやにやしながら言った。実際、野原すみれは、世田谷区で会社経営をしている実業家の娘で、母親は大学の保護者懇談会で、ゼミ担当の仲村に厳しく指導するよう懇願している。野原すみれは、それが気に入らなかった。

「馬鹿にしないでよ、坊や。私はあんたと違って、立派な成人なんですから」

「はいはい、お姉さま」

 下田は真顔になって、桜川を見た。

「すみれさん。実は、昨日、仲村先生と警視庁から調査依頼を受けたんだ」

「まあ、私がいると邪魔だったのね」

 野原すみれは、下田を睨んだ。

「下田の言ったことは本当です。先生は、すみれさんにも伝えてくれ、だけど絶対に度を超すようなことはしないでくれと、しっかりくぎを刺されました」

 桜川は、営業の顔になって言った。

「まあ、そうだったの。じゃ、許してあげる。それで、どういう依頼なの?」

「別に契約書や覚書もないし、着手金もあるわけじゃない。ただ、事務所に閑古鳥が鳴いていて、寂しいだろうから、あまり無理をしない範囲で情報を集めてくれと言うんだ」

「まあ、あなたも親のすねをかじって、事務所を持たせてもらってるのだから、仕事がないよりあったほうがいいわね。協力させていただきますわ」

 すみれは大人びたことを言った。

「初仕事は、殺害されたアイドルの身辺調査なんだが、彼女は西教大のOBなんだ。と言っても、この3月に卒業したばかりで、在学中からアイドル活動をしていた。将来を嘱望された、金の卵で、今人気急上昇中なんだ。すみれさんは、ゼミ生をあたってもらえませんか。仲村先生はゼミの先生をあたるといっている」

 桜川解久は、アンティークな椅子に深々と身をうずめて言った。執務をとる机は高級なもので、高級そうな花瓶には花が活けてある。桜川の母親が、三日に一度掃除をしに来る。近くの和菓子店で買った箱が置いてある。

「いいわ。先輩の事務所は閑古鳥が鳴いていて寂しいものね」

「オレは何をしたらいいのかな」

 下田が先輩に聞いた。

「大学には、被害者の仲間がいる可能性がある。その中には、犯人につながりのある者もいるかもしれない。怪しまれてもまずいので、うまくお茶を濁すような雰囲気の中で、情報収集にあたってくれ。それから、すみれさんのボディーガードだ。いざというときは身を挺して守ってくれ。いざというときは、俺が駆けつける」

 桜川は探偵の片鱗を見せた。桜川は、探偵の修行中に合気道をマスターした。


「ところで、昨日の報道番組で言ってたけど、被害者のブレスレットは、実は彼女の手のひらに、しっかりと握られていたそうだ。彼女は、何らかの理由で、腕から外して握りしめたということになる。これが何を意味するかだが、このブレスレットには、留め金の部分に小さくブリリアント・スターズと刻まれているそうだ。いま、鑑識に回っているそうだが」

「よほど大事なものだったんだね」

 下田が言った。

「それもそうだけど、何かのメッセージだったのかも」

「どういう?」

 桜川が聞いた。

「さあ、女にとって身に着けているものは、体の一部と同じくらい大切だから」

「ふんふん」

と下田が言うと、すみれは、

「あなたみたいな薄っぺらには、わからないでしょうけど」

と、下田をにらんだ。

「その辺も考慮に入れて、学内調査をお願いします。打たれてとっさに手に取って握りしめた。ダイイング・メッセージかもしれない」

 桜川が間に入った。シークレット探偵事務所に活気がみなぎってきた。当分は、閑古鳥も鳴かない。

続く

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 主な登場人物 山座順次:警視庁捜査一課長、科野百合:同刑事、仲村輝彦:西教大学教授、野原すみれ:学生、下田健:学生、桜川解久:私立探偵:、Yuari(湯沢亜里沙):ブリリアント・スターズ所属アイドル




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