第4話:女上司が彼女面して、手料理を振る舞うようです

——私、湊くんの彼女だよ?


 葉月美乃梨が放った言葉に、間宮湊は冷や汗が出てきた。生理的現象なので、止まる気配はない。足が竦む。


「どうしたの? 変な顔しちゃって」


 自分のことを彼女だと勘違いしてるのだ。

 そんな女が目の前に居るのだ。

 間宮の顔が歪むのは当たり前の話である。


「あはっ、可愛い彼女さんと初めてのお家デートだから、ビックリしちゃってるのかなぁ?」


 勝手に押しかけてきただけなのに。

 有耶無耶してる間に、お家デートに昇格してしまった。相手の思考回路を調べたい。


「湊くんって綺麗好きなんだね」


 自宅の間取りは1K。

 地方都市に住む25歳一人暮らし。

 そう考えると、広くも狭くもない物件。

 間宮湊という男は収集癖も無ければ、これがないと生きていけないというものもない。

 故に、間宮湊の家には物が少ないのだ。


「シンプルイズザベストだから」

「あ、知ってる。ミニマリストっていうんだよね。そーいう人のことを」

「ただ生きる上で必要な物が少ないだけで、大切な物は残しておきますから」

「ふぅーん。そっか」


 可愛らしい相槌を打ち。


「なら、安心だね。これからも」


 少し前まで尊敬する上司だった彼女は、言葉を溜めてから。


「——私だけは一生手元に残るんだから」

「っっ!?」

「湊くんの恋人になるのは、たった一人でいい。私だけで。それがシンプルな答えだよ」


 葉月美乃梨は遠慮を知らない。

 人様の家を我が物顔で歩き回るのだ。

 お次のターゲットはキッチンに決まったようだ。間宮湊は自炊するタイプなので、少しだけ台所が広い賃貸である。


「間宮くんって料理するの?」


 葉月美乃梨の瞳は流し場を捉える。

 ピカピカに磨かれていた。普段から手入れされているようだ。

 流し場はカビが生えやすい。一度繁殖すると、手入れするのが億劫になる。


「自炊派だからね。節約にもなるし」

「家庭的なパパになれるね。湊くん」

「そりゃあ、どうも」

「その腕を奮って貰う日は近いかもね」


 葉月美乃梨は流し場へ白い指先を付け、軽くこすった。指先を確認し、口元をぐにゃりと曲げて笑みを浮かべる。


「汚れ付いてるね。ここ掃除するね」


 目視で見た限りでは綺麗である。

 指先に多少の汚れは付いている。

 だが、わざわざ掃除する程ではない。


「葉月さん、わざわざしなくても」

「湊くんの家に来たんだもん。何もせずに帰るなんてできないよ」


 何もせずに帰ってくれたほうが百倍有難い話だ。でも、本心を伝えれば、面倒なことに巻き込まれそうである。


「頼むよ、葉月さん」


 人間というのは、誰かに頼りにされると張り切ってしまうようだ。葉月美乃梨という女もその例に漏れず、スーツ姿のままに腕を捲って掃除する始末である。


「葉月さん、もういいですよ!」


 一度スイッチが入ると、他の場所も清掃したくなる性分らしい。葉月美乃梨は次から次へと汚れている箇所がないか、血眼で探した。


 そして、時は流れ、動きが止まる。

 粗方、掃除は完了したようだ。

 葉月美乃梨は額の汗を拭きながら「でも安心したよ」と呟いた。


「もしも女の気配があったら……」


——その子を消す必要があったから。


◇◆◇◆◇◆


 家事は全部任せて。

 そう主張するように、掃除を終わらせた葉月美乃梨はキッチンへと向かった。


「湊くん、何が食べたいかな?」


 黒スーツの裾を捲り、ヤル気満々。

 我が子ならば温かい微笑みを浮かべることもできるのだが、自分よりも歳が四つも離れた上司ならば話は別である。


「あのぉ〜。葉月さん何をする気で?」

「お腹空いたでしょ? 手料理だよ」

「今から作るんですか?」

「湊くんに食べてほしいから」


 電波時計は20時32分を示している。

 この時間帯から料理を作り始めれば、食べるのは一時間後ぐらいだろう。

 しかし、腹の虫は鳴き止むことはないし、空腹に耐えられる気がしない。


「もう今日はカップ麺で——」


 間宮湊の言葉は遮られた。

 小首を傾げながら、葉月美乃梨は訊ねてくる。浮き浮きしている表情で。


「ねぇ、湊くん。何が食べたい?」

「今日は別に冷凍食品でも——」

「ねぇ、湊くん。何が食べたい??」


 同じ質問を繰り返された。

 カップ麺や冷凍食品などのお手軽料理を、葉月美乃梨はご所望ではないようだ。


「えっーと。今日食べたいのは……」


 返す言葉を間違ってはいけない。

 冷蔵庫に入っている食材で作れる料理を選ばなければならないのである。

 もしも、心の底から好きな食べ物を言ったところで、冷蔵庫の中にあるかどうか分からないのだ。正直に食べたいものを言えば、葉月美乃梨は必ずその願いを叶えようと、今から食材を調達へ向かうだろう。故に、ここは——。


「炒飯かな? 冷凍庫に余ったご飯もあったはずだし。どうかな??」


◇◆◇◆◇◆


 数十分も経たない間に、料理は完成した。間宮自身も自炊する派なので、食材や調味料の類に問題はなかった。


「はい。いっぱい食べてね、湊くん」


 炬燵用テーブルに並べられた夕飯は、短時間で作ったにしては豪勢だった。


 冷蔵庫に余った具材をふんだんに使用したパラパラ炒飯。

 キャベツと玉子のとろ〜り中華スープ。

 冷凍食品界の王様——味の素の餃子。


「ん? 食べないの? 食欲ない?」

「い、いや……そ〜いうわけじゃ」


 見た目だけは美味そうなのである。

 香ばしい匂いもあり、視覚からも嗅覚からも食欲を掻き立ててくるのだ。


 しかしだ。

 相手は一般常識を持たず、愛が鬱陶しいほどに重く、相手の言葉に聞く耳を持たない面倒な女なのである。


 毒の一つや二つ。

 否、そこまではないにしても、睡眠薬の一つや二つを仕込んでいる可能性が。


「………………」


 黙り込む間宮。

 そんな間宮を不思議そうに眺める葉月美乃梨。

 二人の間には、微妙な歪みが生じる。


「……ごめんね、湊くん」


 先に痺れを切らしたのは葉月美乃梨であった。いつも凛々しい表情を浮かべ、仕事を淡々と熟す美しい上司の姿はない。今にも泣き出しそうな重々しい顔で、突如として立ち上がるのである。


「ごめんなさい。今から作り直すね」


 葉月美乃梨は食器を片付け始める。

 まだ一口も食べていない段階だ。

 美味しそうな湯気が立ち上っているのに、勿体無い気がしてなない。


「湊くんの口には合わなかったんだよね。ごめん、勝手に張り切って作って。美味しいと言ってもらえるように努力したんだけど……これ全部私が食べるから。湊くんには、また今から作り直すよ。だから、待ってて。次こそは絶対に食べてもらえるようにするから」


 葉月美乃梨の愛が重い。

 その事実は決して覆らない。

 だが、一部訂正するべきだろう。


 葉月美乃梨の愛は重いが、優しさがあると。人を想う気持ちがあると。


「待ってください。葉月さんッ!!」


 間宮湊は葉月美乃梨の腕を掴んだ。


「……なぁ、何するの? 湊くん」


 彼女が手に持つ食器を奪い取る。


「そ、それは出来損ないだよ。食べちゃダメ。そんなものは食べたら……」


 葉月美乃梨が何か言うが、知ったことじゃない。散々言うことを聞かなかったのは、相手も同じだ。お互い様である。

 そう確信し、間宮湊は奪い取った食器に盛られていた炒飯を、スプーンで一気に口の中にかきこんでいく。

 余熱がある炒飯は、口の中が火傷しそうだったが、それ以上に美味かった。


 厚切りのベーコンと、噛めば噛むほどに味が出るウインナー。ふんだんに使われた卵はふわふわで、白米との相性は抜群である。シャキシャキ感を僅かに残した長ネギは嫌な後味を残すことなく、炒飯の旨みを底上げしている。


「葉月さん、こっちも!!」


 キャベツと玉子のとろ〜り中華スープ。片栗粉を少量入れており、とろ〜り感がある。シナシナのキャベツはスープの旨味を凝縮し、玉子の甘みが全体の味を数段階上げているように感じられる。


「無理して食べなくていいんだよ」


 炒飯に使用した長ネギの余り部分。

 ネギの上部——青部分をスープに入れ、キャベツのカサ増しになっている。


 間宮湊はたらふく食べた。食べて食べて食べまくった。食べることで、葉月美乃梨が少しでも笑ってくれると思ったからではない。ただ、美味かったから。


「ふぅー。ごちそうさまでしたっ!!」

「……無理して食べなくてもよかったのに。本当に湊くんって優しいひとだね」

「美味しかったから食べたんですよ」


 美味しかった。

 たったその一言で葉月美乃梨は崩れ落ちる。緊張の糸が解けたのだろう。両手で顔を押さえながら、映画の主役に抜擢された新人女優みたいに泣いていた。


「美味しかったって言われた……美味しいって、湊くんが言ってくれた。湊くんが私を認めてくれた。湊くんが褒めてくれた。こんな私を褒めてくれた」

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