第16話 マルタの依頼

 帰国後、半年が過ぎた。俺の事業は遅れながらも順調に進んでいた。

 ソールズベリーに設けられた工場も稼働を始めて、日産二千を目標に従業員たちが仕事に励んでいる。


 当初は失敗も多かったが生産数は安定していった。

 誰が見ても、ここの工場は驚かれることが多かった。

 まずは合理化とはほど遠い環境であること。まるで雇うことが役目であるように人の手が多いのだ。

 合理的ではないと皆が言うが、もちろん承知の上だ。

 俺たちは、職を求めて来た人をすべて雇用するかの如く採用していたためである。


「かなり増えたわね」

 クリスが人員配置のリストを眺めていた。

 ギリシャ政府との合意で新工場の建設が決まった。そのための人員募集をかけたところ、予想を超えて人が集まったのだ。


「ギリシャの銀行と政府には悪いけど、パンが先ね」

 ギリシャでは、金融システムは上手く機能していない。

 融資のストップで、経済の歯車を円滑にまわす役割を失った。欧州連合(EU)の支援は実体経済の救済に使われず、対外債務の返済に回っていたからである。


「ゆっくりとした死を、まさか英国が救おうなんて誰も考えて無かったわ」

 ユーロ圏の危機を、支援するのは本来ならばドイツの役割だ。実際にドイツは幾度か行っている。

 貿易黒字をあげるドイツは、ユーロ圏の崩壊は困るが対等の関係も望んでいない。本音を言えば、ある程度の危機は通貨の価値を下げるために必要とも思っていた。


 だから本気の支援は行わない。


 一方B・H社は、付加価値のある商品を持っている。これはこの世界では、俺だけしか持っていない事から完全な売り手市場になるだろう。


 俺の考えはギリシャ政府や銀行を除外して、国民だけを支援しようと言うものだった。資金は英国資本で、大英銀行を使って決済のすべてを行う。


 当然ギリシャ政府には税を払わねばならないが、経済の命とも言える金融システムを自前で用意するメリットは大きかった。なにせいまだポンドの国なのだから。


 もっともギリシャの銀行に取っては悪夢だが、いまは関わっている余裕は無い。その辺はギリシャが考えることである。


 俺が行うのは飛び地の考え方だ。どこで作っても売れなら買い手がいる場所で行う。

 とくに将来の発展を望むなら南欧は魅力的だった。なにせ自動車を作ってはいないのに必要なのだから。


 なるべく政治には関わらないで商売だけを考えた。

 この後戦略は、失業率に喘ぐギリシャを手始めとしてさらには、キプロスにも関わって行く予定だ。


 この事は、財政改革を唱えるドイツと真っ向から対峙して行くと言う事だろう。


「三年以内にシェアの四%に食い込むわよ」

 欧州での四%のシェアとは日本のトップメーカーの数字であり、韓国製のシェアと同じ数だ。


 そしてドイツは一位である。




        ※




 マルタは地中海の島国だ。

 シチリア島の南に位置するここは、聖パウロ教会など観光地で有名でもある。

 そして雑多な観光客が闊歩する中、寂れた修道院があった。


「これはこれは、枢機卿がわざわざ辺境まで来られるとは」

 修道女の身なりをした女が十字を切った。言葉ほどに真摯な態度では無いのは、誰の目でも明かだろう。

「ふん、心にも無い事を。信じてもおらん祈りなど無用だ」

 枢機卿団のなかで司教枢機卿に興味も持たず、かといって信仰に厚いわけでも無い。実利のみを追い求める男が鼻を鳴らす。

「まあね、祈るだけでおまんまが食べられたら苦労はしないさ。もっとも形だけでも祈りは必要じゃないのかい」

 修道院とは形だけの物。

 数ある諸派でも、ここは修道院とは認知されてはいない。

 ましてや目の前の女が、神などを信じていると言ったら聖職者なら目を剥いて驚くだろう。

「仕事を持ってきた。お前の好きな金の匂いがたっぷりする物だ」

 聖職者の仮面を被っているが、身なりとは裏腹にゲスな言葉で地を出す。

「それはそれは、ありがたいお言葉で」

 金の匂いに敏感な、枢機卿が持ってきた話は簡単だった。

「我が敬虔な信徒の願だ、邪魔な存在を籠絡するか排除して欲しい。くくくっ、信者とは有りがたい物だな?」

 もっともありがたいのはお金を持った信徒で、どれだけ真摯に祈ろうと貧困に喘ぐ信徒には見向きもしないだろう。



「やり方は自由で良いのかい?」

 手にした資料を見る。東洋人の若者など、これまでの仕事から見れば息をするより楽に出来るだろう。

「でも……なんだか気が進まないね」

 窓を開け、枢機卿の残り香を手で追い払いながらマイアは思った。




        ※




「ねえさま? のどかで良いところですね」

 日傘を手にトランクを引きずった少女が、辺りを物珍しそうに眺める。

 姉と呼ぶことから妹だろうか?

 二人ともおそろいの黒のワンピースを着ていた。飾りにレースが付いたエプロンドレス。俗に言うメイド服は若干くたびれているが、旅の疲れのせいであろうか?


「ここって? 何にも無いじゃない! 英国だって聞いたから喜んだのに……はぁ、ご飯も美味しくないし」

 赤毛の少女が溜息をつく。肩まで伸びた癖毛の先を、指先でもてあそびながら辺りを見渡して不満をこぼした。

「田舎よね? 人より牛の方が多いじゃない? これならマルタの方がよっぽどマシじゃない!」

 ソールズベリーの町に続く街道を、のんびりと歩く二人はそんな会話を繰り返しながらここまで来た。

「えぇえ! ご飯は美味しいですよ」

 金髪の少女は抗議の声を上げた。碧い眼がまるまると開かれている。

 年は十二、三と言ったところだろう。

「はぁん、アンタは食べた事が無いからね。普段出されるご飯を基準にしたら、何を食べても美味しく感じるわよ」

 がっかりと言うポーズを取った。いかにも残念ですという感じで傍らの少女に答える。

「私は前に食べた事があるの、フランスでね? 美味しかったのよ! 鶏肉がフォークで飛ばなかったもの! チーズのように、あっさり切れた時は感動したわ」

 金髪の少女より年上と言っても、見た目は十七、八くらいか? 赤毛の少女は普段どんな物を食べているのだろうか?



「うわぁ! 信じられません! 鶏肉が切れるなんて! ねえさま? また嘘言ってますね? 正直に言ったらどうですか?」

 背に不釣り合いなトランクを、軽々と片手で引きずりながら姉の言葉を嘘と言う。この子も普段何を食べているのか……。

「ふー……リリベル、まー良いわ。そのうちアンタも食べられるでしょう」

 妹を慈しむようにマリベルは十字を切った。

「そんな日が来るのでしょうか? マリベルねえさま?」

 姉を尊愛する視線で十字を切るリリベル。仲の良い姉妹は互いに笑い合うと歩みを進めた。


 マルタを出てから幾日か……やっとアキト・ホムラにたどり着いたのだから……。


 だが少女達は知らなかった。

 アキトは日本にいる事を……。

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