第15話 新居

 家に着くと何事もなかったように全員眠っていた。


 アドラーナは黙って布団に潜り込んだ、チェインはなんと言っていいか分からず、自分もベッドに入る。


「おやすみなさい、アドラーナさん」


「おやすみ」


 返答があったことに満足して、チェインも眠りに落ちていった。



 ~~・・~~・・~~


 チェインはまだ外が暗い内に目を覚ました、鳥の鳴き声が聞こえてくる。明け方はカラスが忙しなく鳴いている。


 起き出し、剣だけを持って誰も起こさないようにそっと外に出る。


 日課。まずは川で水汲み、木の棒に括りつけた大きな瓶を両肩に2つずつ、4つの瓶を持って4往復する。


 いつもは2往復だが、今日は家にたくさん人がいるから多めに運んだ。


 その後は素振り、走り込み、木に吊るしたロープを手だけで登り降りして、また剣を振る。


 それから信仰する女神に祈る。


 祈っている最中にレオナが起きてきた、朝日に眩しそうに片手で顔を覆いながらチェインに笑顔を向ける。


「おはようございます、チェイン様」


「おはようレオナ、よく眠れたかい?」


「はい、なんだか久しぶりに安心して眠れました」


「良かった、みんなを起こしてくれるかい? そろそろ朝御飯を食べに行こう、そこに水を汲んであるから支度に使うと良いよ」


 チェインが家の横に並んだ水瓶を指差す。


「ありがとうございます、みんなもう起きてますよ、なんだか、みんな良く寝れたみたいです。ホッとする家ですね」


「ありがとう、嬉しいよ」


 レオナは朝日に負けないくらいにっこりと笑って家に入っていった。


 チェインは後ろ姿を見送り、運んできた水で汗を流していると、遠くから歩いてくるジョアンナが見えた。


 チェインが大きく手を振ると、手を上げかけたジョアンナが手を下ろし、頭を下げてからまたこちらに向かって歩き出した。


「おはようございます、ジョアンナさん、もしかして昨日も歩いて帰られたんですか?」


「おはようございますチェイン様、もちろんです。私は馬には乗れませんから」


「それは申し訳ありません、てっきり馬車で来ているものとばかり思っていました。疲れていませんか?」


「ご心配なく、まだまだ元気ですから」


 ジョアンナは脚をポンと叩いて笑った。


「ははは、失礼しました。これからみんなで朝食を食べに行く所なんですが、ジョアンナさんもいかがですか?」


「お心遣いありがとうございます。せっかくのお申し出で恐縮なのですが、もう済ませて参りましたので」


「そうですか、近くに美味しい朝食を出してくれるお店があったんですが。残念です」


「それはそれは、また機会がありましたらよろしくお願いいたします」


「ええ、是非に」


 家から出てきた女性陣は顔を洗い、寝癖を整える。ハポニカは顔は自分で洗うが髪はリリスにされるがままだ。


「ハポニカ、とっても可愛くなったわよ」


 そんな言葉をかけるリリスに、ハポニカは少しだけ笑顔を見せる。小さくだが前進している。それを見てジョアンナとチェインは笑顔になった。


 支度が終わり、みんなで並んで歩いた。


「朝食の後はすぐに新しい家に向かいましょう、ジョアンナさん、屋敷にはベッドなどはすでにあるんでしょうか?」


「はい、掃除はしなければいけませんが、家具は一通り揃っています」


(なら、家からは着替えだけを持っていけば良いか。この家も取り壊す気にはならないし、たまに来て掃除しよう)


 家から歩いて10分もしない内に目的地に到着した、木造の新しい建物、中からはいい匂いが漂ってきている。


 チェインが羽根戸を開いて中にはいる。中は20人ほどが入れる広さ。


 席は半分ほど埋まっていて、全員がチェインと顔見知りらしく軽く会釈をした。


 厨房では頭にタオルを巻いた男が忙しそうに鍋を振っている。


「おはようございます、ラジエルおじさん、7人なんですけど入れますか?」


 厨房のラジエルが振り返り、チェインを見ると嬉しそうに笑った。


「チェインか、なんで7人も?」


「今度、屋敷を買うことになったんで、そこで使用人をしてもらう人達と一緒なんです」


「ほー、お前がとうとうあの掘っ立て小屋から引っ越しかぁ。バルハラーが草葉の陰でどんな顔してんのかなぁ? ほらっ、突っ立ってないで入れ入れ、適当に座りな」


 促され、全員が座れるようにテーブルを2つ引っ付けた。


 これで店内は満席になった。


「ここは昔父さんと一緒の部隊にいたラジエルおじさんの食堂なんです、僕は父さんが死んだ後はラジエルおじさんのご飯で育ったんですよ」


「おうよっ、俺は喧嘩はからっきしだったけどな、飯は一級品よ」


 ラジエルが厨房から大きな声で応える。


「ここだけの話し、父さんの作るご飯はめちゃくちゃ不味くて。ラジエルおじさんのご飯が毎日食べれるようになったのは嬉しかった」


 みんな笑っていいのか微妙な表情をしている。


「おいおい、酷えな、バルハラーが聞いたら泣くぞ。でも確かにアイツの飯は不味かった。そのくせ隊内の飯を作りたがるんだ。戦争の前に腹を下して戦えない奴が出てきてようやっと作るのをやめたくらいだ」


 ラジエルが尻を押さえながら剣を持つ格好をする。


 そこでようやっとレオナが笑った。


「僕もよくお腹を壊したんだ」


「そんな事言ってるけど、チェインの作る飯も酷いんだぞ。そのくせ人に食わせたがる。誰もまだ犠牲になってないのか?」


 食事を運んできたラジエルが女性陣の顔を見回した。


「私が食べたわ、確かに不味かった。凄くね」


 アドラーナは鼻に皺を寄せて、いかにも"不味い"顔をした。


「ああ、アドラーナさんがあの時僕を睨んでたのはそのせいか」


 ラジエルが腹を抱えて笑うと、全員がつられて笑った。



 ~~・・~~・・~~



「凄く美味しかったですね」


「本当ね、チェインのご飯とは大違い」


 レオナの言葉に、アドラーナが返事をした。


「もういいじゃないかアドラーナさん、そんなに苛めないでくれ」


 口を尖らせ、チェインが拗ねて見せる。


「さあ皆さん着きましたよ」


 リヤカーを引きながら、ジョアンナに案内されて着いたのは王国中心部、王城からも近く、武家が多く住む区画。


 通りは広く、並ぶ屋敷はどこも馬の厩舎があるので王都にしては田舎のような匂いが漂っている。


 全員で見上げる屋敷はそう古くない。


「ここは、懐かしいな」


 そこはチェインの母、アシェルミーナが建てた屋敷だった。


 切り抜いた石を組んで建てられた屋敷は白を基調としている、アシェルミーナの髪や肌によく似合っているなと、子供ながらに思っていたのを思い出した。


「いい家ね」


 アドラーナが呟いた。


「ジョアンナさん、ここは10年以上誰も住んでなかったんですか?」


「はい、イオレク様がいずれチェイン様がこの家を引き取るだろうと、取り置いていたそうです。なんでも先代の家主が住んでいた頃から手付かずだそうですよ。チェイン様のお知り合いで?」


 イオレクの計らいにチェインは内心で驚いた、昔から人の動きを先読みしている事が多いが、まさか自分の将来の家まで読まれるとは。


「はい、よく遊びに来ました」


 チェインはリヤカーを置き、両開きの大きな門を開いて敷地内に入る。


 庭は草木が伸び放題になっている、生えているのは貴族の屋敷らしい花ではなく野菜や果物の木だ。


(魔大陸は全然野菜や果物が育たないから、どうしても植えたくなるの。他の人には屋敷の庭に野菜を植えるなんて馬鹿だって言われちゃうんだけどね)


 そう言って、照れたように笑っていたアシェルミーナがチェインの脳裏に浮かぶ。


 ここの先代の家主は、元魔王軍参謀アシェルミーナ。


 チェインも幼少の頃にはよく顔を出した。


「あら、美味しそうなトマトがなってるわね」


 アドラーナがそう言って1つ捥ぐ、袖で拭いて口に入れた。


 アドラーナの後ろ姿をチェインは眺めた。


「美味しいわ」


 そう言ってアドラーナはチェインの方を向いて笑った、その顔を見て、チェインは固まった。


「なによ?」


「いや、なんでもない」


 アドラーナの横顔が、チェインが幼き日に見たアシェルミーナと驚くほど重なった。

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