第2話 ブラッドフォード家の晩餐


「……ということがありましたの」


 ブラッドフォード家の晩餐の席で、アレクシアは昼間の婚約破棄について話した。

 アレクシアの父である侯爵は苦笑し、母はどこか満足気。

 二歳下の弟アーヴィンだけは苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。


「だから言ったではありませんか、あなた。わたくしたちの美しい娘アレクシアは、あんな馬鹿王子にはもったいないと」


「顔は良いし馬鹿なのは王子という立場さえあればどうにでもなるが、結婚前から浮気症なのはいただけないなあ。せめてばれないようにやればいいものを」


「……あなた」


「はは、冗談だよ」


 のんきな両親に、アレクシアは特に感情を動かされた様子もなく淡々と食事を続ける。

 アーヴィンは長い溜息をついた。


「結婚前に多少よそ見をしたくらいで王家との婚約を切り捨てるとは。子爵令嬢とは深い仲ですらなかったのでしょう」


 斜め向かいに座る弟を、アレクシアは冷めた目で見据える。


「今からそんな頭の悪い考え方をするようでは、あなたも将来婚約者に捨てられるわね。もう女だけが我慢をしていればいいという時代ではないの。側室を持つ権利もないにもかかわらず結婚前から浮気する未来の名ばかり公爵に、なぜわたくしが我慢をしなければならないの?」


「そうやって一息に相手を責め立てる言葉を吐き連ねるところに嫌気がさしたんでしょうね、第一王子殿下は」


「嫌気がさそうがなんだろうが浮気した挙句政略的な婚約を勝手に破棄したのはあちらよ。わたくしは浮気されるまでは殿下を責めたてることも、名ばかり公爵と呼ぶこともなかったし、この美しい顔で常に微笑みかけて差し上げていたわ」


「姉上がこのような性格に育ったのは父上と母上の責任ですよ」


 それを聞いた夫人はクスッと笑った。


「あら、正直で誇り高くてこの上なく美しい、とても素敵なレディよ、わたくしのアレクシアは。ねえ、アレクシア」


「その通りですわ、お母様」


 おほほほほ、という母娘の笑い声が響く。

 本当に親子そっくりだな、とアーヴィンがつぶやき、あきれ顔で食事を口に運んだ。


「殿下が一方的に悪いのは当然として、我が家に迷惑をかけてしまうことだけが心配です、お父様」


 アレクシアの言葉を受け、侯爵はでれでれとした笑みを浮かべた。


「かわいいことを言ってくれるじゃないか、さすが空から舞い降りた天使アレクシアだ」


 アーヴィンがごほっとむせる。


「我が侯爵家としては何の問題もないから心配しなくていい。王太子でないとはいえ王家とつながるのも政治的に警戒されて良くないと思っていたところだ。我が家は肥沃な農地と複数の鉱山があり、さらには大規模な商会も経営している。国内で一・二を争う経済力を持っている我が家だからこそ、今まで通り政治的権力からは離れていたほうがいい」


 政治的にどこの派閥にも属さず、富を追い求める。

 昔は商売など貴族らしくない、平民の商人のようだと言われたブラッドフォード侯爵家も、今や表立って批判する者はおらず、それどころかなんとかつながりを得ようとする貴族も多い。

 金は力なり。もはやブラッドフォード侯爵家は、王家ですらないがしろにできないほどの“力”を持っている。

 加えて、この国において姓と領地名が一致しているのは建国時の功臣のみ。

 アレクシアの父エドワード・ブラッドフォードがブラッドフォード侯爵と呼ばれていることからしても、この侯爵家が由緒正しい家柄であることがわかる。

 さらには、アレクシアの曾祖母にあたる女性は王女だった。当時のブラッドフォード侯爵に惚れ込み降嫁した王女の血を引く侯爵とアレクシア・アーヴィンの姉弟は、王家に多く現れるという銀色の髪を持っている。

 家柄、血筋、財力、美貌、知力。

 ブラッドフォード家の人間は、政治的権力以外のすべてを兼ね備えていた。

 この場で唯一銀髪を持たない侯爵夫人も、いまだその美貌は衰えず、巧みな話術とセンスの良さ、人脈などで社交界の女王として君臨している。

 その夫人が、「エドワードの言う通りですわ」と続けた。


「王家側からの婚約破棄なのですから、王家も我が家に婚約を打診してくることは向こう何代かはないでしょう。あの図々しい毒婦の側室が、我が家とのつながりと魔石鉱脈の両方をスケベ王にねだってなかば無理やり成立した婚約ですものね。破談になって願ったり叶ったりですが、かわいい娘アレクシアが婚約破棄された令嬢という烙印を押されてしまったのが悲しいですわ」


 王妃様が生きていらっしゃれば、というため息交じりに言う母に、アレクシアは笑顔を向けた。


「まあお母様、心配はいりませんわ。わたくし、もう殿方になど興味がありません。手がけてきた事業を継続させていただければ、生涯独身で構いませんもの」


「まあ……なんて健気なのかしら、わたくしのアレクシア。世界中を探しても、こんなに美しくて性格の良い娘はいないわ」


 食べ物がおかしなところに入ったらしく、アーヴィンが激しくせき込んだ。

 アレクシアが眉をひそめる。


「家族だけの場とはいえ、見苦しくてよアーヴィン」


「ああ、すみませんね。あまりにも事実とは違う言葉に驚いてしまいました」


「あら、お母様の仰ることは何も間違ってはいないでしょう?」


「あーはいはいそうですね」


「かわいげがなくてよアーヴィン」


「あーはいはい仰る通りです」


「ははは、喧嘩するほど姉弟の仲が良くてよいことだ」


 父の言葉に、姉弟が二人とも黙る。


「まあ、それはそれとして。やはりかわいい娘アレクシアには幸せな結婚をしてもらいたいものだ。もちろん独身を悪いとは思わないし、私たちはいつまでだって君に傍にいてほしい。君が手掛けている事業も君が大きくしたものだから、返してもらう気もないよ。だがその一方で、愛する人と幸せな結婚をしてほしいという思いもあるのだよ。私とベアトリスのように」


「まあ、あなたったら。今もあなたの愛に変わりはないのかしら?」


「当然だろう、君だけを心から愛しているよ、ベアトリス」


 二人の間に流れる甘ったるい空気に、子供たちは目をそらす。


「わたくしは無理に結婚したいと思いませんわ」


「だが絶対に結婚したくないというわけではないのだろう?」


「それは……そうですが」


 アレクシアは仲の良い両親を見てきたから、実は結婚というものに漠然とした憧れを抱いていた。

 多少アホではあるものの地位もあり剣術もかなりの腕前、それでいて気性も比較的穏やかなクリストファーとは、両親のようにとはいかないまでも仲の良い夫婦になれるのではないかという期待があった。

 だから婚約話を受けたのだ。顔が良いという点も大きい。

 しかし、子爵令嬢ミレーヌとこそこそ会っているとわかった瞬間、そんな気持ちは彼女の中から綺麗に吹き飛んでいた。


「心配しなくていい。私たちがいい縁談を探してあげるからね」


「ありがとうございます、お父様」


 そう言いつつも、相手の有責とはいえ王子と婚約していてなおかつそれを破棄されたともなればまともな結婚相手など望めないことはアレクシアにもわかっている。

 アレクシアは十八歳。同年代の貴族の男は、婚約者がいる場合がほとんどだ。

 しかも“優良物件”から早々に売れていくのが普通だから、婚約者がいない同年代の男というのは推して知るべしである。


「お相手を見つけてくださるなら、女癖が悪くない男というのを第一としてください。今まで浮いた話がなくとも今後出る可能性もありますが、最初から軽薄とわかっている男に嫁ぐ気はありません。浮気男の馬鹿な話を聞くのはもうたくさんですわ」


「そうだな。なるべく真面目な男を探すとしよう」


「年齢差は十歳上まで。それと、顔が悪くない殿方を望みます。顔より中身などと申しますが、あまりに好みでない容姿ですと中身を見る気すらおきません」


「ふ、なるほど。覚えておこう」


「それで良い縁談がなければ、自分で恋愛相手を見つけますわ。自分で稼げますから、平民でも構いません」


 侯爵家の娘が平民と結婚となれば、外聞が悪いし自身の身分も平民となる。

 だからなるべくなら家のためにも自分のためにも父の決めた縁談を、と思いつつも、クリストファーとの一件で嫌いな相手と結婚するくらいならそれでいいという気持ちになっていた。


「アレクシアの気持ちはわかった。私も力を尽くすよ、愛しい娘のために」


「はい。ありがとうございます」


「僕は姉上が嫁いでこの家からいなくなる日を心待ちにしていますよ」


 ふん、とアーヴィンが鼻で笑う。

 アレクシアはにっこりと笑った。


「姉上一緒に寝てよぉぉ一人じゃ寂しいよぉぉと泣いていたあのアーヴィンも、今ではすっかり大人になったのね」


「なっ! そんな昔の話……!」


「姉上お手洗いに一緒に行ってよぉぉぉおばけこわいよぉぉぉと泣いていたあのアーヴィンが」


「姉上!」


 壁際に控える使用人は、必死に笑いをこらえて口元を歪ませている。


「ぼく姉上と結婚するぅぅどこにもいかないでぇぇと泣いていたあのアーヴィンが」


「……わかりました。僕が余計なことを言いました」


「ふふ、相変わらず素直でかわいい弟ね」


「ははは、やっぱり仲が良い姉弟だな」


「そうですわねあなた、おほほほ」


「うふふ、そうでしょう」


「……」


 ブラッドフォード家のダイニングルームは、今日もなごやかな雰囲気に包まれていた。

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