宇宙拳人コズマ 対 暗黒拳人ブラックコズマ-5

 照明のまばゆい光のなかに、は超然と佇んでいた。


 マスクの造形はコズマと同型だ。

 色は、黒と紫色のツートン・カラーに塗り替えられている。

 スーツの生地は、濡れたようなツヤを帯びた漆黒の皮革レザーである。

 グローブも、ブーツも、ベルトも黒い。

 だが、全身がまったくの黒ずくめというわけではない。

 両眼にあたる部分には、あざやかなエメラルド・グリーンに染色された透明樹脂があしらわれている。

 首に巻いているのは、シミひとつない白色のマフラーであった。


 暗黒拳人ブラックコズマ――

 これまで登場した怪星人が新規造形だったのに対して、ブラックコズマはコズマのアクション用スーツを改造したものだ。

 もともと帝王サタンゴルテスの前座として登場させる予定で、使わなくなったスーツを保管していたのである。

 この種のヒーローのは、当時の特撮における定番だった。

 ブラックコズマも、さいしょはマフラーとブーツ・グローブの色を変えただけの手軽な改造に終わるはずであった。

 それがカラーリングの全面変更に至ったのは、演者である黒衛の要請によるものだ。

 スーツや電飾関係の大規模な改造とは異なり、色を塗り替える程度であれば、特撮の美術スタッフにとっては朝飯前である。

 こうして、安上がりな悪役で終わるはずったは、暗黒拳人ブラックコズマへと変貌を遂げたのだった。

 

 そして、いま――日曜日の午後四時。

 放送が間近に迫るなか、ブラックコズマはあくまで泰然と佇んでいる。

 すでにウォームアップは済ませてあるのだろう。

 あとは闘いのゴングが鳴るのを待つばかりであった。


「なかなかサマになってるじゃねえか」


 ふいに背後から言葉をかけられて、ブラックコズマは顔の半分だけを声のしたほうに向ける。

 そこに立っていたのは、スーツをまとい、仮面を被ったひとりの男だ。

 宇宙拳人コズマ――風祭豪史は、ブラックコズマにむかって右手を差し出す。


「これは?」

「見りゃわかるだろう。握手だよ」

「私が本番前に不意打ちを仕掛けないという保証はありませんよ」

「そいつはお互いさまってもんだろうぜ」


 闇のなかで生きてきたのは黒衛だけではない。

 風祭もまた、ヤクザや愚連隊を相手の喧嘩に明け暮れてきた男である。

 レフェリーもルールブックもない野蛮な暴力の世界では、どんな卑劣な手を使おうと咎められることはない。

 ただ、目の前の敵に勝つ。相手が何人だろうと、まず勝つことが最低条件だ。

 そういう世界に生きてきた二人だからこそ、奇妙なほどに互いの思考が読める。


――自分なら、ここで仕掛けることはぜったいにしない……。


 まもなく凄惨な闘いを演じる者同士に芽生えた、それは奇妙な信頼関係だった。

 

「いいでしょう。……私もあなたも、五体満足でこのスタジオを出られるとは限りませんからね。いまのうちに握手を交わしておくのも悪くはない」


 言って、ブラックコズマは、右手でコズマの手を握る。


「あんたとはいい闘いができそうだ」

「失礼ですが、私にとってあなたとの闘いは覚龍斎に挑むためのワン・ステップにすぎません。その点はお忘れなく」

「言ってくれる。せいぜい石っころに足を取られないように気をつけるんだな」

 

 それだけ言って、コズマとブラックコズマはセットの両端へと移動する。

 主題歌のイントロが流れ出したのと、二人が飛び出していったのは同時だった。


***


 先に仕掛けたのはコズマだった。

 中段蹴りの体勢から、するどい足刀がとぶ。


 一閃。

 さらに、もう一閃。

 コズマは軸足を入れ換えつつ、目にも止まらぬ疾さで蹴りを放つ。

 蹴りの破壊力が宿るのは爪先ではなく、土踏まずの外側、足底の淵だ。

 擺脚はいきゃく

 中国拳法の蹴りの型のひとつである。

 股関節から膝、足首を小刻みに動かすことで、コズマの脚はまるで鞭をしならせているような軌道を描く。


 狙いはブラックコズマの顎先だ。

 ボクシングにおいてチン(顎)への打撃が有効とされている事実を引くまでもなく、顎は人体の急所のひとつである。

 とりわけ頭蓋骨の末端にあたる顎先は、力学的には脳のカウンターマスとして機能する。外部から衝撃を受けると、脳は顎とは真逆の方向に揺さぶられるということだ。

 軽い衝撃でも脳震盪を引き起こし、まともに立っていられなくなる。

 どれほど厳しい修行を積んだとしても、脳だけは鍛えようがないのだ。

 命中すれば一撃必殺の威力を発揮するコズマの蹴りは、しかし、ブラックコズマの顎先すれすれを掠めるばかりだった。


「蝿が止まりそうな腿技(蹴り)だ」

 

 ブラックコズマは、仮面の下でぼそりと呟く。

 言葉とはうらはらに、その声色には、ことさらに相手を貶めるような響きはない。

 当たり前の事実を、なにげなく口にしただけ……。

 悪意がないゆえに、いっそう残酷なするどさを帯びているのは皮肉であった。


「こんなザマでは殺されますよ」

「叢雨覚龍斎に、か?」

「いいえ。この私に、です」


 ブラックコズマの身体がすっと沈んだ。

 神速にして無音の動作。

 古流の″抜き″を極めた武術家でも、ここまで完璧な脱力は可能かどうか。


 やはり音もなく、ブラックコズマは、コズマの内懐へと間合いを詰める。

 ほとんど身体と身体が密着するような状態だ。

 コズマが訝しんだのも当然だった。

 近すぎる。

 蹴りにせよ拳にせよ、じゅうぶんな威力を引き出すためには、ある程度の空間が必要になる。それはとりもなおさず、攻撃に先んじて充分な運動エネルギーを蓄えられるかどうかということだ。

 ここまで近づいては、蹴りも拳もまともな威力は出ない。

 攻撃に必要なエネルギーを貯めることができないのである。


 そのはずであった。


 次の瞬間、コズマの身体は、おおきく後方へ吹っ飛んでいた。

 まるで見えないバネでも仕掛けられていたような、それは不自然な現象だった。


零勁れいけい――――」


 ブラックコズマは気息を整えながら、ひとりごちる。

 

「言ったはずです。あなたは私には勝てない、と」

 

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