第20話 木馬

「私が死に、私が誕生するきっかけとなった時間。忘れもしないさ……午前九時十二分」


 薬物使用の容疑で手錠を掛けられた瞬間の光景と、腕時計を見ながら逮捕時間を告げてきた捜査官の声は今でも記憶に鮮明に焼きいている。芸能人としての登呂が終わり、デスゲーム司会者としての道を歩むきっかけとなった時間は、それ以外に考えられない。


「登呂さんが動いたわね。彼にとっては明白な答えだったのかしら?」


 遠目に様子を伺っていた冴子が隣の士郎に尋ねる。シールド越しのため、登呂の呟いた時間までは聞き取れなかった。


「本人のみぞ知るところですが、答えが午前中なのは間違いなさそうですね」

「そういえば、午後までには対応していないのか」


 時計の文字盤に見立てて先入観を抱いてしまったが、木馬に振られた数字は一から十二までで、鍵穴も各木馬に一つだけ。事前に説明もなかったことから、最初から十三時以降の選択肢が排除されている可能性は高そうだ。


「選択肢が半分に減らしたのは、運営なりのバランス調整なのか」

「もしくは、芸術性かもしれない」

「芸術性ですか?」

「時計の文字盤に見立てたメリーゴーランドは美しいけど、数を倍にしたり、数字や鍵穴をごたつかせるとまた見た目のバランスが変わってしまう。これはあくまでも興行だから」

「完全にデスゲームクリエイターの視点ですね」

「こんな時になんだけど、勉強になるなと思っている自分もいるのよ。完全に職業病ね」


 会話の最中も決してメリーゴーランドから目を離さない冴子の瞳には、回転する九時の木馬に向かっていく登呂の背中が映っていた。台座に乗った登呂が、九時の木馬の正面で立ち止まる。正解だという自信はあるが、一発勝負の緊張感が僅かな躊躇いを生む。


『木馬の仕掛け。一つ目が作動いたしました』

「痛っ! もう始まったのか!」


 ドラコの警告と共に登呂の背中に痛みが走った。登呂の背後に位置する十時の木馬の側面からチャクラムのような回転する刃が射出され、登呂の背中を掠めたのだ。幸い傷は浅いが、次弾の刃が装填されていき、再び同じことが起きるのは明白だった。このペースで殺人装置が発動していくと考えたら、想像以上に余裕がない。登呂は覚悟を決めて、九時の木馬の額の鍵穴に鍵を入れて中で回した。


『九時。正解です』


 ドラコのアナウンスにホッとを息を撫でおろすが、殺人装置は絶えず増え続けるので油断は禁物だ。登呂は台座から降りて、周囲を取り囲む木馬の内、十二分の位置へと駆け足で向かった。


『木馬の仕掛け。二つ目が作動いたしました』


 直後に先程までいた九時の木馬の側面から鋭い槍のような凶器が出現。もたついていたら正面から刺されていたかもしれない。


「……十二分だよな」


 本当に十二分だったか? 一時間単位ならば間違うことはまずないが、分単位ならば記憶違いで一や二分、誤認している可能性はないか? 疑心に駆られ、木馬の額の鍵穴に鍵を差し込むのを躊躇してしまう。


『木馬の仕掛け。三つ目が作動いたしました』


 登呂がいる十二分の木馬の隣、十三分の木馬かの口から無数の弾丸がマシンガンのように連射された。射線上にいたら確実に蜂の巣にされていた。これで十三分の鍵穴に鍵を差し込むことは事実上不可能となった。十二時の木馬もいつ凶暴な怪物と化すとも分からない。やはり迷っている時間など残されていないのだ。


「あの鮮烈な記憶を信じろ。九時十二分で間違いない」


 覚悟を決めて、登呂は十二分の木馬の額に鍵を差し込んだ。訪れるのはゲームからの生還か、無数の木馬の怪物による襲撃か。登呂は目を伏せて鍵を回した。


『九時十二分。登呂石之助様、見事に正解です! シールドに出口が出現しましたので、木馬に襲われる前に、鍵を使って脱出してください』


 ドラコのアナウンスで登呂は目を開き、鍵を引き抜いた。辺りを見渡すと、周囲を囲むシールドに一ヶ所、一目で分かる赤い扉が出現していた。この瞬間にもメリーゴーランドの木馬たちは続々と殺人兵器と化しており、回転を伴いながら様々な凶器が射出されていく、内部はカオスの極みだ。登呂は巻き込まれないように姿勢を低くしながら、出口の扉へと向かった。


「開いた。これで脱出出来る」


 鍵でドアを解放すると、登呂は直ぐに外側から鍵を閉めた。施錠しておかなければ、勢い余って何か凶器が飛んでくるかもしれない。


「お疲れ様、登呂さん。ご無事で何よりです」

「かすり傷で済んで幸いだったよ」


 冴子の呼び掛けに登呂は右手を振って笑顔で応じる。その手には鍵が握られており、垂れ下がった木馬のストラップの目が怪しく点滅した。それを見た瞬間、冴子の隣の士郎が顔色を変える。


「全員姿勢を低くしろ!」


 側にいた冴子と輪花を抑え込む形で士郎が床に伏せ、その意味に気付いた兵衛と龍見も咄嗟に身を守る。登呂も顔色を変え、咄嗟に鍵を遠くに放り投げようとしたが時すでに遅し。零距離で木馬のキーホルダーが爆発し、登呂の上半身が無残に吹き飛ぶ。距離があったので士郎たちに被害は及ばなかったが、その衝撃はひしひしと伝わってきた。


「そんな。どうして登呂さんが……」


 爆死し無残に上半身を失った登呂の遺体を目にし、冴子は絶句する。


「登呂さんの判断ミスです。脱出後、彼は直ぐに鍵を手放すべきだった」

「木場が襲い掛かる……小さなストラップも立派な木馬ということね」


「思えばゲームのシステム自体が不自然だった。正解の鍵穴に鍵を差し込んだ時点で木馬の殺人装置が止まってもいいはずなのに、その後も木馬は動き続ける謎の仕様。今になって思えばそれは、正解を導き出してからも木馬の驚異が存在し続けていることを明示している。メリーゴーランドからの脱出を意識するあまり、鍵のストラップにまで意識が向きづらい。鍵を何度も使わせたのも、鍵を手放しにくくするための心理的誘導。比較的難易度の低いゲーム性と、それに反して大仰な舞台装置。全ては壮大な前振りでしかなかったのかもしれませんね」


「ドラコは決してアンフェアなことは言っていない。彼は確かに木馬が襲い掛かると忠告しているし、あくまでも脱出するまで鍵を大事にしておくように言っただけ。やってくれるわね……」


 回答権が一度きりとはいえ、ゲームの規模に反して難易度は比較的イージーだったが、最後のストラップがあくまでも本命だというのなら、ドラコの計画は緻密で秀逸だ。


「登呂さんの最後を見て、ようやくこのゲームのモチーフが何だったのか分かりましたよ。全体としては玩具としての木馬。そして登呂さんの命を奪ったのは、木馬から連想され、現代ではコンピュータウイルスとしても有名なトロイの木馬だ」

「勝利を確信したトロイア軍は、戦利品として持ち帰った木馬の中に潜んでいた兵士たちによって滅ぼされる」


 勝利を確信し油断しきっていた登呂石彦は、持ち帰ってしまった木馬によって破滅を迎えた。全てはドラコの描いたシナリオ通りだ。


「この場合、登呂さんのクリア判定はどうなるんだ?」


 士郎がドラコに問い掛ける。登呂は最後に命を落としてしまったが、回答自体はクリアしている。この初見殺しに特化したゲームに新たに挑戦することに意義は感じられない。


『登呂様は見事に問題に正解いたしましたし、お亡くなりになったのはメリーゴーランドを脱出後のこと。よってドラコの玩具箱第四ブロックメリーゴーランドはクリアと認定いたします。命を賭してゲームをクリアなされた登呂様に、追悼の拍手をお送りください』


 余計な負担が減ったことで、士郎と冴子は一先ず安堵した。これが興行である以上、単なる再放送にしかならない再チャレンジにはドラコも面白味を感じなかったのだろう。クリア後に悲運の死を遂げた登呂の挑戦は取れ高バッチリだ。逆に登呂が回答に失敗してメリーゴーランドの餌食となっていたなら、取れ高のために他のプレイヤーにも挑戦を強いてきたかもしれない。


『扉を解放しましたので、次のブロックへとお進みください』


 ドラコの案内に従い、挑戦者たちは次々とメリーゴーランドの部屋を去っていく。後に残されていたのは、再起を果たせず、文字通りタレントとしての顔を失った登呂の無残な死体だけだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る