遺影_6

 学校を出る頃には、風はいで西陽に照らされるアスファルトの国道には熱気が流れていくことなく留まっていた。脳が揺れ、視界が歪むような感じがした。気道は張り付くようで、渇きというより痛みに近い感覚だった。

 国道の途中、大きな駐車場がある。精算機の横にある自販機で僕はコーラを買った。財布には百二十円余が残っていた。缶のコーラを手に取り一口飲んだ。炭酸が癒着した喉を剝がすように流れ、甘さは味覚の範囲を超えて、しびれるようだった。細胞が水分と糖分を直接吸っているみたいに口内には潤いが戻ってきた。コーラを二口で飲み干して僕は家に帰った。

 団地の敷地内に着くとしばらく忘れていた罪悪感が身体に戻ってきた。リュックサックの肩紐は重く食い込み、煉瓦の小さな凹凸に引っかかるほど歩みは鈍く遅かった。小さな砂利をすり潰すようにギリギリと音を立てて階段を上っていく。部屋の前に着いてリュックから鍵を出し開けて中に入る。母はドアを開けには来なかった。いつもなら数歩で行ける短い廊下が長く感じられ、空気を押し分けるように進んだ。

 リビングに入ると父はソファーに座り野球を観ていた。缶ビールを手に持ち左のひざの上に載せたままだった。母におかえりと言われ、ただいまとだけ返す。父が何も言わないのが、僕の悪事を知って何かタイミングを計っているように思われた。余計なことを言えば、空気を逆撫でするのではと思った。洗面台の方に向かい服を脱ぎ、練習着を洗濯カゴに入れた。うがいをしている途中に母が狭い脱衣所の後ろを通った。何も言わずにしゃがみ込み押し入れを開け何か取り出しまた戻っていった。口に含んだ水がいつもより奥の方へ入ってせた。

 タツニイもサエコもまだ家に帰ってきてはいないようだった。冷蔵庫から麦茶の入ったポットを取り、コップに注いだ。狭いリビングで母の制空圏にいるのが気まずく、ソファーの父の隣に一人分空けて座った。ソファーの上にあぐらをかいて野球を観る父は座ったまま眠っているように動かない。父はもともと口数の少ない人だったけれど、その心の内を表情やたたずまいから勘ぐってしまう。身体の境目をじわじわと失っていくようだった。

 テレビからアナウンサーらしからぬ語気の強いかすれた声でスイングアウトと聞こえ、父は魂を取り戻したようにソファーにうなだれた。膝の上にある缶ビールを口に運ぶ。父の体毛の濃い膝にはミステリーサークルのように缶の跡が出来ている。麦茶が無くなり、薄茶色の泡だけが残るコップに缶ビールを近づけて『お前も試してみるか』と父は笑った。父の甘いしつけに対して普段は口うるさく文句をつける母は何も言わなかった。

勿体もったい無いからいらない」

 それからサエコが帰ってくるまで僕も父も母も何一つとして口を開かなかった。

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