遺影_3

 次の日の三限と四限の間にある少し長い休み時間、トイレに行こうと席を立った僕の前をガタイの良い坊主頭が風を切って横切り、無害そうに座るアミの席の隣に立ち止まった。

「お前給食費払ってないんだろ」と教室の全員に聞こえる声で言い放った。アミは何も言葉を発しなかった。何もない机を見つめる視線も動かさなかった。クラスメートは全員静まり返り、聞こえるのは廊下に響く無邪気な女子の声だけになった。

「は? なんで無視すんの。おい、貧乏人」リュウは小さいけれど圧の強い声で言った。アミは無言で席を立ち、近くの机に身体をぶつけながら教室を出ていった。前髪で隠れていたけれど泣いているのだと思った。リュウの言葉に僕だって泣いてしまいそうだった。アミは次の数学の授業が始まっても帰ってこなかった。もう二度と教室には戻ってこないのではないかと思ったけれど、授業の終わりかけに戻ってきて席に着いた。僕の後ろに座っていたリュウが僕の背中をシャーペンでトントンと小突き、小さなメモを渡してきた。見ると『タダ飯食いに戻ってきた(笑)』と書いてあった。

 その日から休み時間が来るたび、リュウは悪戯いたずら半分のいきすぎた中傷をアミに浴びせた。「お前みたいなのは兄弟多いんだろ、どうせインランな母親から生まれたんだろうな」だとか『必要ない人間ランキング』なるものを黒板に書き、死刑囚の名前とナガオアミの文字を一緒に並べた。教室内ではその時間を自習時間のように使って無関係を声なく主張する生徒と、テレビでバラエティ番組を観るかのように娯楽として享受する生徒に自然と分かれた。僕はリュウの顔色を見て態度を合わせていたけれど、心はどんどんと濁り弱って行った。もういっそアミが学校に来なくなれば良いのにとさえ思った。虐めはずっと続いた。先生は把握しているのか、していないのか分からなかったけれど、一学期の間、事態は何も変わらなかった。リュウにスマホを見せられると、一年一組のLINEグループの背景にはアミの家の写真が使われていた。そして一学期の終業式、朝学校に行くとアミの机に花瓶が置かれていた。担任の先生は学年主任のおばさん先生を連れて教室に来ると、犯人捜しはしたくないが、二度とこんなことはしないように、皆さんは優しいから大丈夫だと信じていますと逃げ腰の注意をして、夏休みの宿題を配りはじめ、何事もなかったようにホームルームは終わった。そして夏休み明けの始業式、今度は僕が遺影を作り、アミの机に置くことになったのだ。


 僕は両親のことを嫌いだと思ったことは一度もない。父も母も僕に対して優しかった。けれど僕の人生に不当なハンディキャップとして課されているのは両親だ。好きであればあるほど、金のない両親の姿はつらく惨めに思われる。父がどんな仕事をしているのか僕は詳しくは知らない。けれどいわゆるサラリーマンとかそういった類ではなかった。泥だらけの服を洗濯機を使わずに風呂場で手洗いしている父の背中を見てそう思っている。母は給食を作るパートに出ている。朝早く出て夜に泥だらけで帰ってくる父も、指に切り傷が絶えない母も朗らかで働き者だった。ただ、働けども働けども、父と母には知恵がなかった。金の心配をかけまいと、僕はサッカー部に入った。小学生からサッカーは好きだった。けれど本当の理由は兄がサッカーをやっていたので、靴や練習着に金が掛からないからだった。僕が、タツニイが、サエコが気を遣っているなど、両親にはじんも頭にない。ゲームセンターに行って、クレーンを動かす友達の背中を眺める僕の気持ちなど理解していない。みんなでマクドナルドに行って、誰より薄いハンバーガーと水を頼む僕を知らないし、知ろうともしていない。父も母もいまだに子供は野を駆けているものだと本気で思っている。スマホのない僕がLINEグループに入れていないことが一大事であるなど思いもしないのだ。子供を思いやる知恵がない。金のない生活は当然辛いが、両親の経済状況をうかがいながら生きる方が僕には辛かった。今この状況にある僕をおもんぱかることのない両親が憎かった。もしタイムマシーンがあったら、僕の誕生日の十月十日前に遡さかのぼって腰を振る父の背中を蹴飛けとばしてやりたかった。

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