第18話『本当にありがとうございます』

「あれ、呼び出しをしたのは草田くんだけだったはずなんだが」


 草田、柿原、目里の3人は、それぞれ2枚の書類を手に管理長の前に立つ。


「まあいいか。呼び出した用件なんだけど――」

「大体の内容は既に把握しています」

「なるほどね。じゃあちょうどいいということだね」


 草田は前で揃える腕に力を込め、柿原は右拳を力一杯に握り、目里は左目をピクピクと動かす。


 管理長は彼女らが腹の中で押さえている感情を察知することはできず、背もたれに体重を預けて表情明るく話を続ける。


「これでようやくキミ達の本領というものを発揮できるというものだ。あれだろ? 今の今まで、不人気アイドルをどう活躍させられるか、とかそういう挑戦をしていたんだろ?」

「……」

「残念ながらその挑戦は失敗してしまったわけだが、落ち込む必要はない。なんせ、キミ達はこの事務所には必須の人材だ。いや、超戦力であり、外でもとても素晴らしい功績を上げているんだから、あんな失敗作を気に掛ける必要なんてない」


 3人の煮えたぎるものが爆発寸前になる。


 しかし、草田はできるだけ表情を変えずに質問を投げかけた。


「管理長、お伺いしたいことがあります」

「ほう、なんだね。やっと重荷から解放されたんだ、休みがほしいという相談だけは受け付けられないがね」

「それは、有休が貯まりに貯まっているにも関わらずですか?」

「ああ、そんなの当たまり前だろ。それぞれの有給はかなりあるだろうが、それだけは認められない。優秀な人材を持て余している余裕は、うちの事務所ではないのでね」

「どうしても、無理というのですか? 有休がなかったとしても、給料として上乗せされたことがないのですが」

「それもそうだろう、有休をお金に変えるなんてことをしたら、どうやって支払い明細に記載するのだね」

「確かにそれは、その通りです」


 草田は、丁寧に1つ1つ質問していく。


「本日解雇した、霧崎美夜という女の子はどのような扱いになるのですか?」

「自主都合による退社、だね。そうでもしないと、こっちが一方的に強制解雇したのが世間に広まってしまうからね。利益をほとんど出せなかったのに、給料だけは貰っていなんだから、こちらがそれで文句を言われるはずがない」

「そうかもしれませんね」

「なあ、この質問になんの意味があるのかね? これぐらいのこと、キミらならすぐにわかるだろう」

「ええ。ですが、私達も情報の整理をしておきたいのです。もう少しだけ質問に答えていただけるとありがたいです」

「なるほど。たしかに、後でなにかあった時のために情報をすり合わせておく必要はあるな。さすがは草田くん、やはり優秀というのはこういう先を見据える力がある人間のことを言うんだな。ガハハッ」


 草田は自分を落ち着かせるように咳払いをする。


「不当な解雇理由が世間に広まると、今後の活動に支障が出るから。という理由で間違いなかったですか?」

「そうだな。なんなら、給料は全額ではなく半分以下で支払うつもりだ。当然だろ? しっかりと働いていないんだから」


 草田は優しく笑みを浮かべて、ただ首を縦に振る。


「この際だから、しっかりと情報をすり合わせておこう。まだ質問があるのならどんどんしてくれたまえ。仕事を円滑に進めるのには必要なことだからな」

「いえ、私達からの質問は以上になります」

「なんだ、もっといいのだぞ?」

「いいえ、大丈夫です。それに代わってなのですが、こちらから目を通していただきたい書類があります」

「ほう、なんだね?」


 3人は管理長が愛用している机に歩み寄り、それぞれ2枚ずつの紙を置く。


「どれどれ……な、なんだこれは! これも、こっちも――こんなもの、受理できるわけがないだろ」

「なぜですか?」

「さっきの話を聴いていなかったのか! キミ達はこの事務所にとって超重要な人材だと!」

「ええ、それはしっかりと聴いていました。そして、聴く前からわかっていました」

「な、なら!」


 管理長が急に取り乱したのは、3人から提出された退職届を目にしたことによるものだ。

 先ほどまでの余裕は一瞬にして消え、書類を手にする両手は焦りと怒りにより小刻みに震えている。


「ふんっ、だがしかし。こんな身勝手な申請を通すはずがないだろう。ストライキをするのであれば、キミ達を不当だろうがどんな手を使おうが懲戒解雇にしてやるぞ。そんなことになれば、次の仕事はどんなものになるのであろうな?」


 自惚れしてしまうほどの悪知恵が思い浮かび、口角を釣り上げている。


 そして、もう1枚ずつの書類にも目を通す。


「……馬鹿馬鹿しい。これはさっきにも言った通り、許可できない」

「そうなのですか? 私達の有給はかなりあるはずですが。大体、2カ月分ぐらいはあると思いますが?」

「ん……まあ、それはそうだね。だが、さっきから言っている通りで優秀な人材にはもっと活躍してもらわないと困るんだよ。理解してくれ」

「そうですか……それでは、全て終わりにしましょう」

「ん?」


 草田は内ポケットからスマホを取り出す。


「今の時代って、本当に便利ですよね」

「なんだい、電話でもするのか?」

「いいえ。今の会話を全て録音させていただきました」

「なっ! だ、だが、だからなんだと言うのかね。こちらだってボタン1つで警備員を呼べるんだぞ? キミ達のスマホをとりあげれば――」

「もしかして管理長、それは私達を脅しているということですか?」

「脅すもなにも――」


 柿原と目里も同じくスマホを取り出す。


「ま、まさかキミ達もなのか!?」

「そりゃあもちろん」

「そうですね」

「じゃあ3人分のスマホを取り上げるまでだ」


 草田はスマホを内ポケットへ戻した。


「管理長、今の時代は便利になったんですよ。ご存じありませんか?」

「な、なにを言ってるんだ」

「このまま私達のスマホを取り上げたり、拘束したとしても意味がないんですよ。今録音した内容は、既にそれぞれの信頼できる人へ送信してあるので」

「な!?」

「それだけじゃなくて、ネット上にもデータが保存されています。それぞれ一定期間連絡がなかったら、全世界へ公開される手筈になっていますので、拘束しても命を奪おうとも意味がないということです」

「……キミ達の要求はなんだ」


 管理長はこれ以上の脅しは意味がないと理解し、全身の血が引いていくのを感じながら言葉を発する。


「やめてくださいよ、私達はあなたのように非道ではありません。金輪際私達と美夜ちゃんに関わろうとしないこと。私達の有休を全て消費すること。私達と美夜ちゃんに正当な給料を支払うこと。私達と美夜ちゃんの退職理由を、しっかりと"会社都合"にすること。です」

「それは脅迫というのではないのかね? こんなことが許されると思っているのか」

「さあ~それはどうですかね。そんな証拠はどこにもありませんし」

「……そういうことか」

「残念ですねぇ。管理長も時代の進歩に追いついていれば、なにか変わっていたかもしれませんけど。監視カメラもありませんし、ね」


 草田はマネージャーだからこそ知っていることを武器としてしっかりと使う。


 なんせ管理長は、自室にて口外できないような内容をよく話していた。

 だから廊下にも監視カメラを設置しておらず、扉のすぐ外に用心棒や警備員を配置していない。


 自分のは会社に護られている、という高を括った態度が仇となってしまった。


 しかし最後の抵抗を思いつき、不気味に笑う。


「な、なら! その少女の活動名は捨ててもらうぞ!」

「なにを言うかと思いきやそんなことですか」


 草田は自分の懐に手を入れる。


「そ、そんなこと!?」

「美夜ちゃんの名前も知らず、活動名すら知らない。面白すぎて笑っちゃいますね。初歩的なことだというのに、知らなかったんですか? 『冬逢キラ』という名前は私が命名したんですよ」

「くっ……命名権を草田くんに与えたのが間違いだったということか」

「そういうことです。あ、ちなみに今のも追加録音しておいたので。懇切丁寧にいろいろと答えていただき、本当にありがとうございました。それでは失礼します」


 3人は、澄ました顔で部屋を後にする。


 残された管理長は、机に両肘を突き、何度も何度も頭を掻き乱していた。




「美夜ちゃん、お待たせ」

「皆さんおかえりなさい」

「いっやぁ~、スカっとしたぁ!」

「草田ってもしかしたら、そっち系のことが向いているのかもよ」


 皆さん、物凄く明るい表情をしている。

 ここに来た時はとても怖い表情をしていたのに、一体なにがあったんだろう?


「さあさあ、焼き肉行きましょ」

「え、事務所に用事があったんじゃないんですか?」

「もう終わったから問題なっしんぐ」

「そう、いろいろと終わったから。まあ、焼き肉を食べながらでも話をしましょう」


 皆さん、声も明るいし物凄く上機嫌。


 車が発信する。


「あ、そうそう。ビックリするかもだけど、私達事務所に退職届を出してきたの」

「えぇ!? な、なんでですか!? もしかして私のせいで……」


 目里さんの急なカミングアウトに目が飛び出そうになった。


 でもこのタイミングで事務所を辞めるということは、間違いなく私のせいだよね。

 私の問題に皆さんを巻き込んでしまったんだ……。


「まあきっかけは間違いなくそうなんだけど。でもね、いろいろと準備してきたし結局はタイミング次第だったのよ」

「え……」

「そこら辺のことは気にしなくていいの。私達だってプロなんだよ。自分が背中を押したいと思った子を人気にしてあげたい。そう思ってしまう人間達の集まりなのよ。だから美夜ちゃん、これからもよろしくね」

「……私、アイドルを続けてもいいんですか……?」

「当たり前」

「そりゃあそうだ」

「当然」


 笑い声と一緒に返ってきた言葉に、収まっていた涙が一気に溢れ出した。


「うっ――ありがとうございます。本当にありがとうございます……」

「これからも一緒に頑張っていきましょうね」


 隣に座っている目里さんは、私の背中を優しく撫でてくれる。


 私、まだアイドルを諦めなくていいんだ……。

 お父さん、お母さん――私、もう一度頑張るよ。

 今度は皆さんの期待を裏切らないように、約束を果たすために。

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