流星の魔法使い

種田和孝

第一章 魂の魔女

とうに日も暮れた石切り場に木魂が響く・・・

 とうに日も暮れた石切り場に木魂こだまが響く。つちのみを持つ手が鈍く痛む。勃発、衝突、決戦、殲滅。そんな季節もようやく過ぎ去り、程なく冬。

 それにしても、何と無機質な冷気だろう。深く削りこまれた石の山。広く平らげられた石の原。かの巨人もこのような景色の中で独り黙々と石臼を回し続けているのだろうか。

 それにしても、何と心休まる静寂だろう。戦場から遠く離れたこの谷間には私一人。感性の狂った者や感情を失った者は見当たらず、魂を引き裂くような絶叫も号泣も、そして怨嗟えんさの声も届かない。

 しばらくした頃、背後に気配を感じた。聞き覚えのある足音、馴染みのある声。振り返って一瞥すると、やはり仮面の額に刻まれた番号は七十三。その象嵌ぞうがんの一部は欠けていた。

「何もあなたがそのようなことまでしなくても」

 大隊長はそのように静かに声を掛けてきた。私は槌と鑿を脇に置き、おもむろに大隊長に向き直った。大隊長も手近な岩に腰を落ち着け、総面そうめんを外して素顔を見せた。大隊長も私と同じく熊の着ぐるみ姿。山間の石切り場は冷え込んでいた。

「私は退任を申し出たのですが」

 私がそのように応えると、大隊長は小さく首を振った。

「その件については、まだ決裁を行なっていません」

 私はフフンと鼻を鳴らした。

「今頃になって、罪に問うなどと言わないでしょうね」

「あり得ない。結論は確定しています」と大隊長は断言した。「私は慙愧ざんきの念に堪えないのです。非正規隊員のあなたにあそこまでさせてしまって」

「構いません。宿命のようなものですから」

「宿命?」

「魂に染み付いた衝動です。自分のことながら、その愚かさには呆れるばかりです」

 私のその言葉に、大隊長は私を見詰めながら怪訝そうに首を傾げた。

「大隊長がこんな辺鄙へんぴな所にやって来て、現場の方は良いのですか」

「全ての戦闘は終結しましたから。あなたに尋ねたいことがあります。ちなみに、この件は私とあなたと大統領、三人だけの極秘事項です」

 私はフフンと鼻で笑った。

「大統領はここに来ないのですか」

「今や行政官たる大統領の方が忙しいので。それに、男は抜きにして、女同士の方が話しやすい事柄もあるでしょうし」

 私は水筒を手に取り、二つのさかずきに冷え切った緑茶を注いだ。大隊長は一つを受け取ると、大切そうに両の手で包み込んだ。温熱魔法の微かな気配。大隊長の杯から湯気が立ち上った。

「最終的に当方の人的被害は」と私は尋ねた。

「戦闘員にもその他にも死者は無し。負傷者は全員すでに完治。つまり、当方の完勝です」

「そうですか。それは良かった。避難民の帰還は」

「街にせよ村にせよ荒廃が著しいので、この時期に大量の避難民を一気に送り返すと、おそらく凍死者や餓死者が出ます。そのため帰還は季節をまたいで段階的に」

「そうですか。それで、私に何を訊きたいのです」

 大隊長は緑茶を一口飲んで白い息を吐くと、射貫くような視線で私を見詰めてきた。

「私は、私だけはあの現場を見てしまった。あれはどのような技術なのです」

 私は手にした杯に視線を落とし、フフンと鼻を鳴らした。

「あなたが宙を舞うと光が走り、地上の敵の全ての首が一気に刎ね飛ぶ。あんな魔法は見たことも聞いたこともありません。実は今、あなたを前にして私も少々怖いのです」

 私の感性も今やかなり擦り切れ、ひずんでいる。私はふとそう感じて、鼻で笑うのは自重した。どう考えても、怖いはお世辞のたぐいだろう。いざ戦場に立てば、大隊長も中々に冷徹な魔女と化すのだから。むしろ、そうでなければ大隊長など務まらない。

「私は嗜虐しぎゃくの徒ではありません」と私は断りを入れた。

「それは承知しています。そして申し訳ありませんでした。本来なら、私を始めとする正規隊員が行なうべきだったのです」

「良いのです。殺戮の凶魔きょうまとのそしりに頭を悩ませるのは私一人で十分です」

「いいえ。私たち常設警邏隊の誰一人として殺戮の凶魔ではありません。私たちは巻き込まれたのです。否応なく制圧せざるを得なくなったのです」

 私は目を細めて数回頷き、全面賛同の意を示した。せざるを得なくなった。まさにその通り。大隊長の認識と言葉遣いは極めて正しい。

「それで、あの技術ですが……」

光裂こうれつ術。破魄ははく術」

 私の簡潔な返答に、大隊長は「ん?」と懐疑の表情を浮かべた。

「器たる肉体を切り裂き、器から離れた魂の自己組織化を解く。狂信は無に還った」

 大隊長がビクッと息を詰めた。私はおもむろに補足した。

「畑の麦を一気に刈り取る。そんな使い方も出来ますね」

 大隊長はふと気付いたように辺りを見回し、「まさか」と言った。

「この大量の岩もあなたが一人で切り出したのですか。こんなに硬い岩をこんなに綺麗に」

 私が薄い笑みを浮かべると、大隊長は大きく息を吐いた。

「光をもって物を切り裂く。そんな魔法は寡聞かぶんにして知りません。あなたはいわゆる……」

 私は黙って杯に口を付けた。

「あなたはこれまでどのような生を送って来たのです。ぜひとも聞かせてください」

「それは大隊長の個人的な興味ですか」

 大隊長は肯定とも否定ともつかない曖昧な首の傾げ方をした。

「個人的な興味もありますが、あなたの力は強大すぎます。ですから、あなたがどのような人間なのかを把握する必要があるのです。先ほども申した通り、この件は極秘とします」

「生命学専攻に通報は。あの者たちは果てしなく煩わしい」

「まさか」と大隊長は軽く笑った。「あんな者たちに手出しや口出しなどさせません」

 先日聞いた話によれば、大隊長は四百歳を越えた所。現隊員の中では私に次ぐ年長者。人手不足の噂を耳にして私が臨時に入隊した際、大隊長は私の年齢に気を遣ったのか、私を自分専属の後方支援員に任命した。その結果、私の正体に一人気付いてしまった。

 嫌いな人物ではない。むしろ、どちらかと言えば気の合う方。

「良いでしょう。ただし聞くのなら、どれだけ時間が掛かろうとも最後まで聞くこと」

「はい」と大隊長は頷いた。

「まず言っておきますが、私の力は強大ではありません。標準魔法も使い方次第で同等の威力を発揮します。それは大隊長も知っているはず。大隊長の灼熱の津波も中々のものではありませんか」

 大隊長は私の心中を窺うかのように私を見詰めていた。

「良いですか」と私は噛んで含めた。「歴史と社会が語られる時には……」

 私はそう言いかけて、はたと困ってしまった。大隊長の要望は大まかすぎて、何をどこからどのように話せば良いのか、見当もつかなかった。

 その時、狼の遠吠えが聞こえた。臆病な狼たち。こんな夜中に珍しくも石切り場に明かりが灯っているのを眺めているのだろうか。私の頭上、立ち上がって手を伸ばせば届く位置。ひとりでに輝き続ける真白しんぱくの光球。その正体を一目で見抜ける者などもういない。

 私はしばらく考え続け、ふと思い付いた。

「いや。やめましょう」

 大隊長はエッと声を漏らし、拍子抜けしたような表情を浮かべた。

「ここでは到底語り尽くせません。もし一つ約束をしてくれるのなら、私の残りの人生を懸けて、ぼちぼち話してあげましょう」

「約束とは」

「私が死んだら、大隊長が私の肉体を骨も残さず焼き尽くしてください」

 大隊長は驚きをあらわにした。

「待ってください。死ぬつもりですか」

「いずれその時が来たらという話です。私よりも大隊長の方が若いのですからね」

 大隊長は安堵らしき溜め息をついて、「分かりました」と言った。

「今回の事態が鎮静化した暁に、ゆっくりと聞かせていただきます」

 私にこのように興味を示してくれる者が現れるのは本当に久し振りのこと。私の正体に勘付くと、多くの者は私をそれとなく避けるようになる。近しい者ほど忌避するようになる。残りの人生はこの大隊長を話し相手にのんびりと過ごそう。この戦友なら私に手を貸してくれるだろう。そう思いながら、私は注意を促した。

「大隊長にも年齢なりの見識があるのは間違いないのでしょうが、これから大統領と共にあちらとの交渉に臨むのでしょう。ですから、余計なお世話かも知れませんが、敢えて言います。歴史と社会が語られる時には、疑うことを忘れてはなりません。歴史と社会が力説される時には、考え違いや見落としや誤り、思惑や嘘が紛れ込んでいないかを考え抜かなければなりません」

「それなら、あなたも来てください。あなたはまだ私の後方支援員です」

 私は頷くこともなく、首を振ることもなく、薄い笑みを浮かべるにとどめた。

 私は誇れることばかりをしてきた人間ではない。抜け駆け、逸脱、お人好し。挙句に私はそしられる。それは分かってはいたけれど、壊滅の危機だけは座視できなかった。でも、もうやめたい。終わりにしたい。重すぎる。

「それなら」と大隊長はためらいがちに切り出した。「合間を見て、また歌を聞かせてください。夜の野営地で聞かせてくれたあの歌。あなたの落ち着いた歌声に癒された隊員も多いのです」

 忘れ去られた歌。三方を山に囲まれた大平原。決して豊かではなかった。楽しいことばかりでもなかった。それでも懐かしい私の原風景。

「あれは吟遊詩人の真似事にすぎませんから」

 大隊長が晩秋の夜空を飛び去って行った。私は合成石製の槌と鑿を再び手に取り、自戒の警句を刻み始めた。いいかげんにしろよ。いいかげんにしろよ。いいかげんにしろよ。いいかげんにしろよ。

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