深宇宙のきみに向けて

紫鳥コウ

 秋曇りの日だった。S駅の改札を抜けたときに、重くるしい冷たい風に吹かれて、思わず眼をつむった。西口を出るとすぐに空を眺めたが、いまにも雨が降りそうな感じではなかった。この鼠色の空のまま、夜を迎えるのだろうと思った。およそ4年前まで、この駅からバスに乗って高校まで通っていた。

 駅の裏手にある駐車場に入って、彼の車を探した。わたしたちが卒業したあと、彼は車を運転するようになったらしい。でも、車の形と色のことも、ナンバープレートに記載されている地名と数字のことも、なにも知らなかった。


 携帯電話が鳴った。

「目の前にいるよ」

 そのシルバーの軽自動車は、線路と駐車場を隔てるフェンスの前に、まるで昔からそこにあるかのように馴染みきって停まっていた。

「ひさしぶり。まずは、昼を済ませようか」

 助手席から見る景色は、あまりに新鮮だった。バスより低いところから、歩いているときより速く、もう片付いた青春の舞台を見つめたのははじめてだった。およそ4年もするうちに、きっとどこかが変わったのだろうが、具体的にどこがどう変遷したのかは分からなかった。

「大人っぽくなったね」

「弘樹の方が、しっかりとした感じがするけど」

「しっかりと……か。なんだろうね。仕事をするようになってから、自分が、疲れきった顔をするようになった気はするけど。優花の大人っぽさって、よく考えたら、垢抜けた、みたいなことなのかもな」

「周りの子たちに合わせてたら、自然とそうなっただけ」

 向こうに見える山の稜線に、鼠色の雲がのしかかっている。休日だからなのか、何度も信号に引っかかる。目の前の車が、青信号になっても進まないと、彼は遠慮なくクラクションを鳴らした。

「この前、X海岸の方を走ってたら、煽られたんだよ。怖かったな……いたあとは、怒りがおさまんなくて叫んじゃった」

 窓の向こうに、見覚えのあるカラオケ店があった。

 それにしても、少しほこりっぽい窓だ。どういう用事があるときに、この車をぴかぴかにするのだろうか。

「懐かしいな。洋次と三人で何度か行ったよな、休みの日に。でも、あそこはこの前潰れたんだよ。うちの高校が廃校になったのが原因なのかなあ」

「何年前だっけ?」

「二年前。在校生はL高校に編入になったんだよね」

「廃校になるまで、文芸部はあったの?」

「うん、毎年2人くらいは入ってたらしいよ」


 彼は、店に一番近いところに車を停めた。少しだけ混んでいた。名前を書いて待たなければならなかった。

「あっちでは自炊してるの?」

「うん、それなりに」

「でも、人付き合いもあるだろ。彼氏とかいないの?」

「なんとなく一緒にいる人はいるけど」

 親子丼を食べるのは久しぶりだった。あっちでも食べようと思えば食べられるのに、なんだかこの地域の郷土料理のように感じてしまう。

「何時だっけ?」

「5時くらいに、S会館」

「そうだった。17時ってさ、夜の7時って感じがしない? 大盛りになんかするんじゃなかったな。たぶんなんか出るだろ、弁当とか」

「どれくらい集まるか知ってる?」

「洋次が来ないことは知ってる」

「そうなんだ。来ないんだ」

「恥ずかしいんだろう、もしかしたら。卒業式に告白するのって、ちょっと迷惑じゃないかって、言ってやったんだけどな。遠距離恋愛って、そんなに続かないと思うし……優花は、加納だっけ? あいつのことが好きだったんだよな。それを分かってるのにさ」

 おごってやると弘樹が言ったとき、その提案に乗るべきか、自分の分は払うべきか、どちらが彼のプライドを傷つけなくてすむのか、良い気分にさせられるのかということを、少しだけ考えてしまった。

 結局、会計は別々にした。後ろに並んでいた家族連れには、申し訳ない気がしたけれど。

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