12 シノン伯爵邸


 翌日、街の高台にある宮殿のような伯爵邸に招かれて行くと、護衛と付き添いの執事とエリアスは控室に案内された。父モーリスとレニーだけが奥の部屋に通されて、伯爵と対面する。

 シノン伯は広い応接室に居た。三十代半ばの男盛りで遊び好きな男である。レニーを舌舐めずりするように見る、たれ目と退廃的な容姿が少し……、いや、とても気持ちが悪い。


「器量の良い子だ、その子を置いて行け」

 開口一番、伯爵は直球でレニーの父モーリスに命令した。命令し慣れた無理を押し通す男であった。平民のモーリスには抗いようもないが、少しは抵抗する。


「とんでもない、まだほんの子供です。どんな粗相をするか分かりません」

「それは私が躾けてあげよう。子供の躾けはとても上手いんだよ」

「いえ、伯爵様のお手を煩わせるわけには──」

「そうかい。まあ、今日は私が預かってあげよう。相性もあるからね」


 にんまりと笑って、伯爵は手を上げる。大柄で屈強な護衛二人が、レニーの腕をさっと掴んで連れて行く。

 声を上げる暇も引き留める隙もない。


 こんなに伯爵が強硬に出るとは思わなかった。デルマス商会は伯爵に貢献しているし、離反されていい相手ではない筈なのに。

(おかしい)


 しかし、息子はモーリスの手を離れた。泣くことも叫ぶこともせず、大人しく連れて行かれてしまった。これもモーリスの誤算だった。

 騒いだのを理由に何が何でも連れ帰ろうと思ったのだ。

 その後、商会がどうなるか潰されるか、レオノーラがどうなるか。どちらにしても危ういのだが、いざとなればすべてを捨てて船で逃げてもよかったのに。


 モーリスは気落ちして玄関に戻って来た。

「坊ちゃまは?」と執事が聞くのに「一晩、預かると言われた」とそのまま玄関を出ようとする。


「お待ちください、旦那様。私はここに残ります」

「何を言っているんだ、エリアス。来なさい」

 結局、ぼんやりとした息子はぼんやりとしたままだった。しかし、エリアスは言葉を返す。


「旦那様はご存じない。坊ちゃまはいえ、レニー様は全て理解しておいでです。ここに居て、屋敷が騒がしくなったら、私は行きます」

 唖然としてモーリスは、気働きが出来て働き者のエリアスを見る。この従僕が反抗をしたことは一度も無かった。


「分かった」

 どう分かったというのか。しかし、最近の魂を取り戻しかけたような息子を思うと、ここでエリアスにどうこう言う事は止めたい。いったん伯爵邸を出て、辺りで様子を窺うしかない。

 エリアスは一礼して控室に戻った。


 モーリスは馬車に戻ると、影の者を呼んだ。

「あの方がおられるが余計な事はなさるまい。ここには警備兵がいるから、見つからないように様子を窺うだけでいい」

「分かりました」

 影はスッと気配を消していなくなった。


 レオノーラが連れて来た元王家の影は、第三王子と婚約した時にレオノーラに付けられ、婚約破棄の後もそのままレオノーラに付いて来た。

 デルマスが気に入ったのか、それともまだレオノーラの見張りをしているのか、どっちにしてもせっかくの人材であれば使ってしまうのがモーリスという男だった。

 だが、話の通じないシノン伯爵のような上級貴族とは相性が悪い。



  * * *


(僕はこの屋敷で人生をぐちゃぐちゃにされるのだろうか)

 それが【腐女神の祝福】なのか。

 せめて、逃げられるように屋敷の間取りを覚えたい。


 レニーは護衛に引き摺られながら、屋敷の様子を必死で頭に入れる。伯爵邸は広大であった。まるで迷路のような回廊やら中庭の階段を歩きながら、絶望が押し寄せて来る。


 スキル『探知』を覚えました。


 『探知』を覚えた。

 という事は、逃げてもいいのか、逃げられるのか。

 待てよ、逃げて帰ってもすぐ連れ戻されるんじゃないだろうか。父のモーリスに変な言いがかりをつけられても困る。今でも伯爵に払う税金は多すぎると聞いた。

(どうしよう)


『無事に帰って来い』


(ラッジ──!)

 不意にラッジの声が聞こえた。

(僕、頑張るよ)

 最良の方法を考えながら逃げよう。父に迷惑が掛からないよう。

 レニーは心の中で拳を握りしめながら、大人しく護衛に連れられて歩いた。


 奥の怪しい部屋に人が集まっている。護衛はそっちに向かっているようだ。

『探知』で屋敷の中を探っていると、不意に人の表示に色が付いた。

(ん?)

 赤と緑の色が付いている。向かっている部屋の人々は皆赤い。レニーのそばに居る男も赤い。

 緑は何処だ。屋敷の東の端の方に固まっている。ほとんど別棟と言ってよいほど距離があった。



(きっと僕は嬲り者になるのだ)

 何をされるのか。奴隷になるのか。身体がぶるっと震える。

(ま、まずは情報収集だよね)

 向かっている赤い表示の人が固まった部屋に『鑑定』をかけてみる。

 この人が伯爵で、この人が男爵で、あの人が……、近衛騎士までいるんだ──。

 その向こうに三人──。

(ええっ!? ザルデルン帝国の人間がいる)


 レニーの『色魔法』の習熟度はかなり上がっている。『色魔法・赤』はカニ料理を作る内に『集熱』と『排熱』を覚えた。お湯が沸かせて便利だーぐらいに思って、どんどん使ったら一度に沸かせる量とか温度も、自由に素早く出来るようになった。

 お陰で『鑑定』と『隠蔽』の習熟度も上がっているようだ。途方もない達人でなければ職業も特技も表示される。


 ザルデルン帝国の軍人二人。かなり上の階級だろうか。ひとりは魔術師だ。闇属性とか、やばいんじゃないか? 何でこんな所にいるんだ。それに帝国の貴族がひとり。

 もしかして、シノン伯爵はこの国を裏切っているのか。


 絶体絶命っぽい。

(ラッジ……。僕、ちょっと心細くなった。頑張るけど──)

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