五章 垂直落花

垂直落花 1

 目が覚めると私は自分の棲家へと戻ってきていた。どこをどうたどったのか、あの惨劇を目の当たりにしたあとではいささかの記憶も残っていない。瞼の裏には花人を喰らう少女の姿が残像となって焼き付いている。あれは一体、誰だったろう。

 肌にこびりついた死への恐怖は、寝覚めを一層不快な物へと変えていた。

 恐怖の残滓に対を為すように胎の芯で疼く衝動。不思議と血と肉の飛び散った殺戮の風景に興奮も覚えていた。おかしいのは自分でもわかっている。だけど、惹かれる気持ちがあるのも事実だ。自分に隠し通せるものではない。

 殺人に高揚している?

 馬鹿な。頭を振って信じがたい事実を否定する。しかし、覚えたての感覚はいつまで経っても薄れそうになかった。鮮やかで、生々しすぎたのだ。

「あぁ、起きたね。昨日どこほっつき歩いてたわけ? 酷い格好で帰ってきたかと思えば、気を失うみたいに寝込んでさ。びっくりしたよ、だって一日以上眠りこけてたンだから」

 本を開いて寄り添っていた彼女が私の目ざめに気がつく。

「藤香……そんなに経ってたの?」

 硝子もはまっていない窓からのぞいた空はほの暗く、群青に染まりはじめていた。私はいつの間にか着替えており、血や泥の汚れも見当たらない。藤香が世話してくれたのだろう。

「あの子は? 任せっきりでごめん」

 ふたりっきりの部屋は静かすぎて、寝起きの声が嫌に響いた。私も藤香も静物じみてしまうきらいがあり、生きているか曖昧に感じられる。今はそれがひどく不安だった。

「かなりしゃべれるようになったから、ひとりで街を見て回ってる。厄介な子がいそうなところには行かないよう言ってあるから心配ないよ。あの子、あんまりひとに靡かなさそうだから、よほど太夫にでも見つからない限り、簡単に恋することはないと思う」

「いまの時期だったら在り得ることでしょ。十分危険じゃない」

「私たちが過保護に縛り付けるのは違うでしょ。恋するのも本人の勝手だし、花人なら花を咲かせないと。幸せな恋をしてほしいのはもちろんだけど、だからといって私たちがお膳立てするのは違う。あの子を私たちの欲求不満を消化する道具にはしちゃいけない」

 藤香のいうことはもっともだった。反論のしようもない上に、上手くいかなかった自分の心を投影しているようで嫌悪感が閉口させた。そのうえ、実際図星だった。私はあなたによりよい生活を与える名目で自分を重ね、空虚な充実感を得ようとしたのだろう。自分でも気づかないうちに、暗く重い影を押し付けようと。

「でも、そろそろ迎えに行った方がいいかもね。夜は怪しい奴がうろついているみたいだから」

「なに? 怪しい奴って。勿体付けた言い方しないでよ」

「あんたが寝ている間にふたり。街で花人の死体が見つかった。どちらも胚種をくり抜かれた上に、体中を食い荒らされていた。歯型が、身体のあちこちで、私たちが見つけた子よりも酷い有様で。すぐに噂が広まって騒ぎになるかもしれない。もう太夫たちの耳には入っているだろう」

 死体の単語に心臓が大きく脈打った。私が見たのは犠牲者のひとり目。辛うじて助かった子を入れると三人。見つかっていないだけで、被害者はもっと多いかもしれない。だんだんと見境がなくなっているのだろうか。興奮を思い出す。あの血潮の滾りと、激しい加害衝動に理性を溶かされるのだ。犯人ならば尚更、我慢できるものではないだろう。

「だれ、なんだろう?」

 その疑問に、藤香は首を振った。

「擬人花だよ。私たちと同じ花人の仕業だなんて、考えたくもない。そうだろ?」

「……ええ、もちろん。そうであることを願うわ。切に」

 私は自分が現場に遭遇したことを藤香に言わなかった。殺人現場で感じた高揚感には後ろめたさが付きまとう。後手に隠した気持ちには、犯人への親しみがあったから。同情と共感と、ほんのちょっとの羨ましさだ。そんな感情を抱いてはいけないと戒めるほど、誘惑は強く髪を引き、肩を掴み、足首を捉える。

 彼女は何に縛られることもなく、欲望に忠実だった。気持ちに正直で、誰に包み隠すこともしないで行動した結果が殺人に繋がってしまっただけ。見方を変えれば奔放な、本来私たちがあるべき素直さの理想ではないかと思えてしまったから。

 美しいと思ってしまったから。

 言えるはずがない。「もし」、なんてこと。


 街にあなたを探しに出ると、擬人花の噂はすでに巷の衆目を独占しており、あちこちで不謹慎なお喋りに興じる花人たちが軒先を賑わせる。

「犯人は月明かりで変身する半人半獣で、庭師の鋏よりも頑丈な爪と牙をもってるの! こぉんなに長いヤツをね」

「擬人花っていうぐらいだから、花人に化けるのよ。どんな姿形でも写し取れる能力があるって。宴の帰り道、裏路地で自分と同じ姿をした花人とすれ違う。変だなと思って振り向くと……きゃあッ! ってな具合で」

「違う違う、皮だよ。殺した花人の皮を奪って着ちゃうんだよ、服みたいに。それで誰にでも変装するの。もしかしたら、あんたが犯人かもねっ」

 人波を口から耳へと泳ぎ抜ける間に、ずいぶんと噂の尾ひれが育ってしまったようだ。憶測ともいえないような荒唐無稽な怪談がそこかしこで飛び交っている。

 死が身近でない花人にとって、殺人は遠い嵐と同じで、物珍しさに好奇心が煽られる。ほとんどの子たちに自分が狙われるかも、という危機感はなく、祝祭気分を増長する余興でしかない。大方、誰かのいたずらか、太夫の仕掛けた催しとでも思っているのだろう。しかし、なかには有用な情報を喋っている子もおり、私はそれとなく聞き耳を立てる。

「昨晩の擬人花事件はもう太夫様方もお聞きになっていて、集まってどうするかお話されたようなの」

 菫と山桜の子が隣り合って談笑している。ふたりは太夫の出待ちの列に並ぶ手持無沙汰を慰めるべく、擬人花事件の噂を退屈の肴にする。私は列に紛れ込み、聞いてない風を装って話に耳を傾ける。

「まさか、珍しいから捕まえようって?」

「貴方じゃないんだから、面白半分なんかじゃありません。今夜以降も被害が続くようなら、お付きの上位の花人で警邏をたてるとか。もちろん、死人を増やさないためにね。太夫様が直々に街を回られる話もあったみたい。なにしろ、あの宵藤太夫様が提案されたらしいわ」

「ふぅん……なんだか、嫌に熱心じゃない?」

「大事な子を奪われたら誰だって真剣になるでしょう。狙われた子のなかに、太夫の恋人がいたのかもしれないし、これからそうなってしまう可能性もあるから」

「なんにしても太夫の魅力を以てすれば、どんなヤツが相手でも骨抜きよ。一目見ただけで、膝から崩れ落ちるでしょ」

 彼女たちの口先は擬人花事件の対応から、被害者へと視点が移る。公には被害者は殺されたふたりだけしか知られておらず、『温室』で辛うじて生存している子は擬人花の被害者として数えられていないようだ。私が犯人の姿を目にしたのはふたり目のみで、実際には同一犯とも断言できない。私たち花人を好き勝手に蹂躙する輩が何人もいるとは考えたくない。

「襲われる理由、あったのかな? 共通点、みたいなこと」

「深夜、宴の帰りに人気のないところで襲われたみたい。偶然ひとりのところを狙われたんじゃないかしら。特定の誰かということはないと思うけれど。だって、考えてもみて。誰かを狙う理由があるということは、私たちを良く知り、生活に侵入している証。私たちは仲間を疑わなきゃいけなくなるわ。外から入り込んだ異物じゃなくて、最初から隣にいた誰かを」

「そうなのかもよ。太夫たちが警戒していることってさ。犯人探しよりも、殺しを封じるやり方じゃない? 側近の上位花人や太夫直々に見回るなんてこと。そんなひとらが表立って動くなんてめったにない。それにもし、藤姫様が出張れば、かなりの範囲をひとりで制圧できるだろうから土台無理な話ってわけでもない」

「やまめしょう。憶測でいい加減なことを言うのは。誰が聴いているかもわからないのだし、宵藤太夫様に聞こえたら善く思われないわ」

 彼女たちの予想は間違っていない。私たちに擬態しているか、皮を被っているか、変身するのか。いずれにせよ、私たちの生活圏に入り込み、私たちのことを良く知っている者なのは間違いない。私たちは疑わなくてはならない。恋人や友人がひと喰いであることを。

 その場を離れた私の足は、自然と二日前の事故現場へと向かっていた。

 斜陽で影が濃く伸びる路地裏。紅く染め上げられた石畳が、否応にも血腥い興奮を再演しようというように。

 私はなにを探そうとしているのか。自覚のないまま、静まり返った路地に立ち尽くす。ここには何も残っていない。雨に流されて残り香さえも留まれなかったようだ。死体の残骸も綺麗に片付けられて、あの夜の熱を思い出すことも難しい。まさか、犯人が現場に戻ってくることでも期待していたというのか。

「もう行こう」

 私は自身に言い聞かせるために、言葉を形にする。はやくあなたのことを探しに行かなければ。じきに日が暮れる。夜がやってくる。

 しかし、足は止まる。

 踵を返し、裏路地から大通りへと抜けようとする私を引き止めるものがある。

 現場から数間離れた溝に一枚の花弁が落ちていた。白い、すっかり香りの抜けて萎びた花びらだ。私はそれを丁寧に拾い上げ、掌に載せて幾度も確認する。それは私もよく知っているものだった。薄汚れてしまっているものの、私に限って間違えるはずのないもの。

 白い百合の花弁。

「……樹里亜?」

 人知れず、その正体を呟いた。

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