狂花酔月 2

「花陀、なんて?」

「気に入らない、ってさ」

 あの後、我に返った私と藤香は、被害者の花人を『温室』まで送り届けた。花人の生命力は恐ろしいもので、食い散らかされて数時間経った身体で、体温が失われてもなお死なない。

 持って行けたのは片足のもげた下半身と、運んでいる最中に背骨が折れて別れた空っぽの上半身。頭は骨盤に収まるように乗せたまま。あなたが千切れた右腕と左足を抱えて、一緒に運んでくれた。

 驚いたことは、私たちが『温室』に着いたときには、胚種と頭が繋がってしまったいたことだ。胚種から根と思しき管がのびて、載せていただけの頸の血管を浸食していた。持ち上げようとしても癒着して離れそうにない。胚種が頸を活かそうとしているのか、はたまた湿った肉の断面を土と勘違いして発芽してしまったのか。肝心の頸は目覚めることなく、静かに瞼を閉じていた。

「機嫌が悪いのはいつも通り。『庭師』と協力して、首に空気と血液を循環させる管を繋いだから、しばらくは頭を生かしておけるってさ。上半分はもうどうにもならないから捨てられて、下半身も腰回りを残して切られてた。本当になんとか死んでないって具合。ちらっと覗いたけど、ありゃ生け花だよ」

 自分の変化の動揺から立ち直っていない私は別で休ませてもらい、事情の説明と立ち合いには藤香にやってもらった。樹沙はどこか遊びに行ってしまったらしく、花陀を呼んだきり姿が見えない。おそらく、あのひとのところだろう。今はひと時も傍を離れたくないだろうから。

「もって一週間から十日。いずれは枯れてしまうってさ」

「流石にあの状態ではね。あの子の知り合いに伝えておかなくちゃね。枯れてしまう前にお別れぐらいしたいでしょうし」

「それなンだけどさ、ちょっと難しいかもしんない」

 藤香は眉を寄せる。首を掻いて逡巡したのち、言い出しにくそうに口を開いた。

「体に残っていた花を調べたンだけど、あの子多分あたしと同じだわ」

「まさか、宵藤太夫に懸想しているってこと?」

「そうじゃない。花の付け方が同じだってこと」

 彼女の言わんとすることを察して、問題の核心を理解した。

 ごく稀にではあるが、花人にも葬儀が行われる。枯死した花人を慕う者や、その花人が愛したひとが集まり、最後の別れに花を手向ける。参列者は花人によって大勢であったり、少人数であったり様々だが、なかには独りきりということもあるという。

 恋の在り方は花人の数だけあり、それは花の咲かせ方も同じ。恋した花人ひとりにつきひとつの花を咲かせて、いろんな人に恋する子もいれば、ひとりの花人に様々な魅力を見いだして、たくさんの花を付ける子もいる。藤香もその口で、宵藤太夫ひとりに対して、何度も恋をしていくつもの花を咲かせている。複数の花を咲かせているからといって気が多いとは限らないのだ。

 花人ならば経験や感性から、花の付け方で大抵のことには察しが付く。ひとつの憧れに入れ込んでいる子の花のつき方はわかりやすい。咲いている花が同じ方向を向いていて、誰に恥じらうこともないし、ひねくれた咲き方をしていない。関節だとか、臀部だとか、土踏まずだとか、接触が多い場所の悪い所には咲かない。見てもらうために、身体の目立つ一等地に集中している。私のように二輪目の花が身体の陰に咲く子とはわけが違う。

「その子が恋したひとって、たぶん襲ってしまった犯人だよね」

「なんの気もないのに、人気のない場所でいちゃつこうとは思わないから、そうだろうね」

「今頃どうしてるのかな、その食べちゃった方の子」

 藤香は肩をすくめる。知ったこっちゃないという風だ。彼女はもうこの件を放っておきたいらしい。

「さぁな。でも、やられた子はこうして『温室』に運んで、手当てもしてもらった。出くわした者としての義理は十分に果たしたさ。あとは自分たちで勝手にやるだろ」

「こんなの普通じゃないよ。気分が盛り上がっただけなんて言い訳が効かないぐらい、ひどい」

「ひどいから、なに? あんたは匂いにあてられて悪戯しちゃった後ろめたさがあるから、同情的になっているだけ。他人の色恋なんて厄介事に関わる必要、どこにもない」

 本当にそれだけだろうか、と状況を思い返す。冷静になってみれば、ただごとでなかったことはすぐにわかった。しかし、それ以上に私の豹変ぶりも気にかかる。あそこでは単に花や血の香り以上の、何かがあったのではないか。そんな疑いが頭のなかに澱となって残っていた。

「でもさ――」

 ほっとけない、といいかけた私の裾をひく指。人差し指と親指で控えめな主張をする。あなたがとろけた月のような瞳を浮かべて私をみあげていた。

「連れ回してごめん。そりゃ、疲れたよね」

 あなたは産まれたばかりなのだ。瞼の落ちかけたあなたに背中を差し出して、背負ってあげる。あなたは素直に、その腕を回して身体を預けてくれる。なんだか本当の妹ができたようで、首筋に当たる鼻息がくすぐったい。

「とりあえず、今日のところは帰ろうか」


 帰り道の途中ですっかり眠ってしまったあなたを簡素な寝台に横たえる。散らかって物置になっていた場所に、部屋中から掻き集めたボロ布を敷き詰めただけ。普段から夜は星明かりを眺めるか、蝋燭を灯して本を読むか。夜は不安を増長させるばかりで眠れないから、部屋のなかも返却していない本で溢れていた。相変わらず汚いし埃臭い、と久しく訪れた藤香が文句を垂れた。

 眠りこけるあなたを慎重に降ろすのは骨が折れた。力の入っていない身体は背負った時よりも腕に重い。命の重さに、小さな喜びも感じていた。

「もし私が人間だったら、みたいに考えたことある?」

 藤花とふたり、部屋の隅に肩を寄せて、寝息をたてるあなたを見守る。

「花を捨てようと思ったことはあるよ。花はあたしら花人にとって、祝福でもあり呪いでもあるから」

「失恋ってこと? 難しいこというね……人間の物語読んでいると、関係性の名前が恋愛として語られるんだ。簡単にやめることもできるし、社会の仕組みとして取り消すこともできるんだって。記憶や感情がどうとかは関係なくて、内面より社会的な関係性の方が重視されている。だからこそ、感情とのすれ違いが物語になるんだけど、面白いよね。面白くて、簡単でいいよね。私たちもそうだったら、少なくとも表面上は誤魔化せるのに」

「花人が失恋なんかしたら枯れちまうからな」

 ままならない話だ。気持ちが頭のなかに根を張っているのだ。根治するには死ぬしかない。感情は記憶の中で生き続け、それは相手に嫌なところを見つけたからといって、その花が萎れることはない。私たちは花人そのものを大きく愛することもあるし、局所的に一点だけに恋することもある。だから、同じひとにいくつも恋することができるし、出来事や思い出に感情をのせて花を咲かせることもある。

 ある子は、花は記憶だといった。大切な人との思い出を忘れられないように、身体に縫い留められた印なんだと。枯れずに花だけを捨てることができるとするなら、私たちは記憶をなくすか、頭を捨てなければならない。

 私たちは家族や恋人みたいな関係性を語らない。血の繋がりなんて言い出したらほとんどが姉妹になる。子孫を残すためにつがいを為す必要もないし、無数に想いを重ね続ける私たちにとって形ある関係は邪魔になる。けれど、どの花を愛でて、特別に目をかけるか。みんながみんな、すべての花を平等に愛するわけじゃない。

「祝祭の期間はいつも苦労するね、お互いに。近くにいなければ、ひどく心を乱されることもないのに。距離が近いとかえって辛いし、会いに行ってあしらわれた日には、それこそどうなるかわかんない」

「いっそ、あの子らみたいに食べちゃうか?」

「それができれば苦労しないかもね」

 藤香の手がのびて、私の肌を撫でる。花をむしり取った傷跡を大事そうに。

 藤香のために咲いた花だ。彼女からすれば怒っていいぐらいだけど、お互いの事情を知って、仲間意識で咲いた花だから。扱いが悪くとも、私も藤香も文句ひとつない。報われない片思いの、憐憫の花。本当にいろんな花が咲くものだ。時々、この身体が嫌になる。

「平気? 毎回こんなことしてひどくならない?」

「瘤になったら『温室』で削ってもらうから平気。藤香こそ、私の花はどうしているの?」

「悪いとは思ってンだよ。ほんとに」

 彼女は髪を掻き上げて、うなじに芽生えた、隠れた恋心をみせてくれる。花弁がむしられ、柱頭だけになった雌花はみるも無残で、私たちにはお似合いな気がした。

「仕方ないよ、初恋を太夫に奪われた者同士さ。あのひとたちは恋した子に囲まれているから、たくさんある花のたった一輪。どうせ選ぶなら、一番きれいな花を選びたいと思うのは当然でしょうから」

 花人には優劣がある。気持ちにも優劣をつけることができる。

 選ばれたいと思うのなら、多くの恋をして花をつけ、美しい花人になって目立つか。あるいは、自分が選ぶ側になるぐらい美しい花を咲かせるか。

 私たちは慰め合うように互いの身体に触れる。

 肩に顎を預けて、あのひとへ向けた激しい思いとは別の、穏やかで湿っぽい恋に浸る。あなたはぐっすりと眠っていて、ちょっとの物音では起きそうにない。物静かな部屋を、私たちの押し殺した呼吸だけが満たしていった。

 もしも、と藤花が前置きして口を開く。

 彼女の指は私を解きほぐす最中で、やさしく真摯な手つきに、身体の緊張が少しずつ溶かされていく。

「忘れるってンじゃないよ。ただ、ほかに夢中なフリをするだけ。自分のことも騙して、ごっこ遊びに一生懸命なフリができるってンならさ」

 藤香は甘く都合のいい言葉を囁いて私を誘惑する。

 している最中に、こういう言葉を言ってしまうのは、花人の宿命的な習性だと思う。本心でも、そうじゃなくても、言いたくなってしまうのだ。

 好きだよ愛しているよ、ではなくて。逃げてもいいよ、と。傾いてしまいたくなる言葉で、背中を押すのだ。

「家族になってみない?」

 それはそれは確かに、甘い誘惑に違いなかった。

「あの子をさ、ふたりで子供みたいに大事に育てていくんだ。逃げることもできない、狭い箱庭のなかだよ。心地よく生きるやり方をみつけなくっちゃ。罪悪感と嫉妬の板挟みじゃ、死んでしまいたくなる」

 強い衝撃が私の内側を貫いて、体中の維管束を駆け巡る。思わず、藤花の背中に爪を立ててしまう。

 じわり、とお腹の奥から花の蜜が零れ落ちる。

 夜が濃縮された、糖度の高い汁が床に滴った。

 こんな時にも、と思う。気が高ぶった私の、こめかみに咲いたあのひとの花から香りが漏れる。それが鼻から侵入して肺から全身に広がる。背筋が冷えあがり、頭は急に覚めていく。浮気がみつかった後ろめたさが、私を背後から突き刺す。

 はっとして、私は床にこぼした汁を慌ててふき取る。悪事の証拠を隠すみたいに。

「ごめん、藤香」

 自分の態度がひどく最悪なことを自覚しながら、藤香に甘えるのをやめやれない。

 そういう、最悪なやつなのだ。

「いいよ。お互いさまだって、いつも言ってンじゃん」

「ごめん」

 どうしても藤香の誘いには乗れない。

 宵藤太夫ぐらい、まったく手の届かない存在だったら、まだよかったのかもしれない。

 いろいろ耐えられなくて、藤香の胸で、またちょっとだけ泣いた。

「明日こそ、ちゃんと会いにいきなよ。顔みるだけでもね。そうすればちょっとは楽になるはずさ」

「ありがと、ごめんね」

 私は謝ってばかりだった。

 もっと恋に酔いしれて、あのひと以外のことに興味なくなるぐらい没頭できたらよかったのに。

 きちんと誘惑しきってくれないあのひとのことを、今夜また、ちょっとだけ恨んだ。

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