サタデーナイト症候群

AZUMA Tomo

1

 千葉恵吾とは随分長い付き合いになる。

 稼業の性質上、顔馴染みのような仕事相手ができることはあるものの、友人関係を築くということは稀だ。特に俺――綿奈部綱吉は自他共に認めるほどには人付き合いが得意ではない。正直、友人なんて存在はなくてもいいとすら思うこともある(そりゃ、いれば楽しいだろうが)。

 千葉恵吾はそんな俺の数少ない友人のひとりだ。俺が友人という存在を疎ましく思うのは何故かというと、俺以外の他の人間の感情に自分の感情を乱されるのはひどく疲労すると思っているからだ。だから、『感情を掻き乱されてもいいか』と受け入れることができる人間であれば友人となれる。その条件を満たすのはどんな性質の人間なのかというのはまだ俺自身にもわかってはいないが、ともかく、千葉恵吾はその条件を満たす数少ない人類のひとりなのだ。

 そんな希少な存在が悲しんでいたり落ち込んでいたりすれば、手を貸したいと思ってしまうのは自然なことではないか。

 しかし、千葉恵吾という男はその端整な顔にヘラヘラとした笑顔を貼り付けるのが得意な男で、本当に落ち込んでいるところなどほとんど見せない。そんな器用な男の、その貼り付けた笑顔の不自然さ――おそらくあまり親しくない人間にはわからないほど僅かな違和感だが――に気づいてしまえば、こう声をかけるのは自然なことではないか。

「千葉。お前、何かあったか?」

 千葉は一見、なんのことはないようにいつも通り働いていた。バー『ユートピア』のウェイター(本人はやたらと用心棒であることを主張してくるが)として卒なく仕事をこなしている。彫りの深いギリシャ彫刻のような端整な顔立ちに野生味と美術を共存させた笑顔を作り、わざとらしいほどに完璧な接客。今日も今日とて千葉のファンが増えそうなほど素晴らしい接客に思えた。

 では何に違和感を覚えたのか。笑顔が貼り付いてぴたりと動かないことと、千葉の隈の濃さだ。千葉の隈が濃いのは常だが、今日はいつにも増してひどい。こういう表情の時の千葉は仕事が立て込んでいて睡眠時間が確保できていないか、何か心配事があるかのどちらかだった。もっとも、その心配事すら千葉は人に話そうとすることはないため、俺がたった今行った声かけというのも実は効果的なものではない。では何故声かけをしたのかといえば、ただ俺が心配だったためだ。心配をしているという事実を伝えることで「俺はいつでも相談に乗るぞ」という姿勢を示すことができる。

 しかし今回は驚くべきことに、千葉恵吾は俺の言葉に一瞬身を固め、やがて完璧な接客の笑顔を崩し、苦笑した。これは想定外の反応だった。

「あー……ツナにはわかってしまうか」

「……まあな」

 店内が少し落ち着いたタイミングで声をかけたため、千葉も躊躇なく俺が占領していたテーブル席へ腰を下ろす。綺麗目なベストのポケットからいつもの電子タバコを取り出してカートリッジを装着すると、疲れた様子で肩を竦めた。この地域には珍しい、間延びした関西弁を繰る男だった。

「大したことはないんやけど、ちょっとしくじってもうて」

「珍しいな。仕事で?」

「いや、仕事関係じゃない……」

 この男はその道ではそこそこに名の知れた腕利きだったため「珍しい」という表現を使ったが、まさか仕事以外での失敗を示唆されるとは思わず、少し前のめりになる。仕事での失敗も珍しいが、プライベートでの失敗などもってのほかという感じで予想することはできなかった。何故ならこの男は俺とは違い、他人と友好的な関係を築くのが得意だ。もし反りの合わない相手であってもするりと距離を離すため、そもそも失敗する状況を作りづらい。女関係でもかなり派手な遊び方をしているが、遊びと割り切っている相手が多いため、女と拗れることもほとんどなかった。

 しかし、関係を持つ相手が増えれば増えるほど、失敗する確率も自ずと増えるのは道理だとは思う。

「……夜の相手については、そろそろ遊び方を考え直した方がいいんじゃないのか、お前」

 常識的で月並みな発言だとは思うが、とりあえずそのように提案はしておく。しかし、まだ疑問が残る。そもそもこの男、女関係で失敗したとしても笑い飛ばして終わりということがほとんどだ。今回は珍しく深刻そうだった。

「なんで夜の話って決めつけてくんねん」

「いや、仕事以外でしくじるってそれだろ、お前……いい歳して友達関係失敗したとかもないだろうし……」

「……それもそうか……」

 千葉は普段のヘラヘラした笑顔ではなく静かな表情でふうっと煙を吐き出した。ふざけた雰囲気があっても人を惹きつける容貌をしているのに、それがなければ余計に男前だ。そして、そういう千葉はやはり珍しい。

「何があったんだよ、お前」

 再度、千葉に尋ねる。千葉がここまで心の内を見せているのであれば、こちらも躊躇うことなく質問することができた。

 数秒の沈黙の後、千葉は左手で額を抑えるとテーブルに肘をつき重苦しく口を開く。

「昨日……」

「……言いづらいなら無理に言わなくていいぞ」

「いや……俺、昨日の夜の記憶なくて……ちょっと酒飲みすぎて……」

「は? 流石に珍しすぎるだろう」

 千葉はこの店のマスターに表の稼業も裏の稼業も仕事を仕込まれた。マスターの仕事ぶりといえば慎重が服を着て歩いているようなもので、弟子の千葉もそれは同じだった。命のやりとりを強いられることもある稼業であり、記憶を飛ばすほど酒を飲むということ自体がほとんどなかった。千葉の酒への耐性は人並みで、特に強いわけではない。そのため酒を飲む機会があれば人並みに飲んで、その後に支障が出ないようにするのが常であった。

 そんな男が飲みすぎて記憶がないとのたまう。

「な、珍しいよな……俺も驚いてる……」

「どうしてそんなことに」

「昨日は飲んでもいいかなあって感じの日で、調子こいて飲んでもうた」

 千葉の発言にますます訳がわからなくなった。「飲んでもいいかなあ」と感じるというのは千葉がよほど心を許している状況か相手であるということだ。楽しく女と過ごしている時でも千葉は記憶を飛ばすような酒の飲み方はしない。そして、少なくとも俺の前ではそういう状況になることはない。

 この事実に少なからずショックを受けたが、問題はそこではない。問題は千葉の真の悩みについてだ。

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