3= 美しくて慈悲深い良薬

「……どうして?」


安在さんが身体を起こして、やっと僕も起き上がった後、まだちゃんと働かない頭を何とか動かして聞くと、彼女は少し黙り込んでから口を開く。


「そういうものだから」


僕の質問をどう捉えたのかは分からないけど、彼女はそう答えた。


彼女はきっと……僕が硬い石の地面に身体を打ち付けてもちっとも痛く感じない所か、今までの痛みさえ消えてしまった今の僕の状況に気づいているんだと思う。


どうしてかって、今まで2回も「痛い?」と聞いてきたのに、明らかに痛そうな場面にも関わらず、今回だけ「痛くない?」と聞いてきたからだ。


つまり今の僕が痛くないのをどうしてか聞いた質問に対して、彼女はそういうものだからと答えたという訳で。


……そういうもの、か……。

そう言われても、僕の理解力が悪いのかもしれないけど、ちっとも分からなかった。


「……」


しかもそれだけじゃなくて……この短い間に二回も彼女とくちづけをしてしまったし。


一回目は故意で、二回目は事故で。

僕はもう訳が分からなくなって、もうどこも痛くないのに参ってきてしまって、また冷たい地面に寝転がってしまう。


「あれ?……痛い?」

「痛くないよ……」


その様子に、彼女は僕が痛がってるのかと思ったのか、不思議そうに首を傾げる。


そして……次の瞬間、衝撃の一言を言い放った。


「一応、もう一回しておく?」

「もう一回?……もう一回って?」

「ん」


何の事か分からず聞き返すと、彼女はぶっきらぼうに僕の唇に人差し指を当ててきた。


……そこでようやく分かった。


「えっ……そういう事?!痛くないのって、今のこれのせい……?」


これ……つまりくちづけだ。

彼女とのくちづけが、痛みをとるトリガーとなっているのなら……確かに今までの行動は合点がいく。


けど……そんな事、到底信じられないのも事実だった。

彼女の様子から、こちらの気の持ちようなんていう不確定な理由で痛みが消えている訳でも無さそうだし。


でも確かに分かるのは、この戦場で彼女の力は……とても大きいという事だった。


そんな事実を知ったからには、当然僕は報告をしなきゃいけなくなる訳だけども……。


「いや……」


……伝えないなんてことはしない。

ただでさえ足でまといなのに、彼女のくちづけを独り占めしたいとかの理由で有益な情報を隠蔽する様な不真面目な事はしない。


ただ、こんな状況でそれをすぐに告げてしまえば、ほとんどの者が彼女の力を利用する。


そう、何か副作用があるかも知らずに……。


「……安在さん」


僕は彼女を見つめ返す。


不思議な事に理由を求めたって、こんな状況じゃ意味なんて成されない。


要はいかに上手く使うかが重要なんだ。


……三日。

そう、三日くらい様子を見よう。


これで致命的な欠点があったとして、役立たずが一人不能になるだけなんだから、それで沢山の仲間に貢献できるのならそれで良い。


だからそれまでは、彼女の力は秘密にしておいて良い……いや、秘密にしておくのが良いんだ。


そう、兄さん……長塚中尉にも。

誰にも。


「なに?」

「君の事は……その不思議な力の事は、秘密にしておきます。だから、僕が言うまで誰にも言わないでおいてくれますか?」

「いいよ。言うつもり無いし」


幸いな事に、彼女はその力を使って皆を救いたいだとか、逆に明かすなとも言ってこなかった。


彼女にとってはこれが普通で、特別に思っている訳でも無いんだろうか。


魔法や占いなんかの類はまるっきり信じた事なんて無かったけど、ここで頑なにそんな不思議な事象を否定する意味も理由も無かった。


先も言った通り、こんな場所に来てまで理解出来ないものを信じない事なんて、全く意味の無い事なんだから。


神様でも何でも、信じる先があれば心はいくらか救われる。


僕のそれは、人知を超えた不思議な力だったと、それだけなんだから。


「私、戻ろうかな」

「えっ……あぁ、送りますよ」


僕が黙り込んでいると、彼女は突然そう言って立ち上がった。


送る程でも無いすぐ側だったけど、何となく心配だったのでそう言って送ってみれば、彼女は「またね」と笑いかけて寝床の方へと消えていった。


「……」


彼女の影がすっかり消えてから、僕はまたさっきの感覚を思い出しそうになって、慌てて思考をズラす。


彼女のくちづけで痛みが消えるというのなら、それは間違いなく良薬だろう。


良薬は口に苦しなんて言うけれど、あれは苦さとは真逆だった。


言葉にするなら『甘い』。

……だけれど、味の甘いじゃない。


とにかく、心臓がうるさくなってしょうがなくて、下手すると依存してしまいそうな……不思議な甘さ。


あれは彼女の不思議なくちづけの効果に付随してるんだろうか?


そうなれば、本当に彼女の力はこの世界のものでは無いのかもしれないな。


「でも、甘かった……」


僕はそんな事を呟いてしまいながら、吹き続ける冷たい風でさえ冷ましきれない熱を持って元の場所へと帰った。



****



「ははっ、そうか。もうそんな年頃か」


翌日、忙しそうな長塚中尉を食事の合間に何とか呼び止めて、『甘さ』について心当たりが無いか聞いてみると、何故かそう言って笑われた。


僕が知らないだけで、そんな『甘さ』が存在していたらいけないなと、真面目な気持ちで聞いたというのに……おかしな妄想をしていると思われたんだろうか。


僕は確かに何歳か下に間違えられたりする事がしょっちゅうあったりするけれど、心までそんな子供を引きずってる訳じゃない。


思わずムッとした表情で眉間にシワをよせると、長塚中尉は終始愉快そうに僕の背をバシバシと叩く。


……痛くなかったのは、あのくちづけの効果が続いているからだろうか。


ともかく……長塚中尉はその楽しそうな表情を崩さずに言った。


「甘味の甘さじゃなくて、ドキドキする様な甘さなんだろ?」

「ドキドキというか……心臓がうるさい感じでは……ありますけど」

「それで、もう一度欲しくなる、と」

「……まぁ」


さっきから妙にバカにされている感じがする。


いや……バカにされているよりもっとタチが悪そうな笑い方をされてる。


そんなに……そこまでニヤニヤとする程アホらしい質問か?


「もう良いですから、ただの妄想で……」

「まぁ待てまぁ待て」


僕がいたたまれなくなって早々に立ち去ろうとすると、まぁまぁと肩を強めに引かれて逃げ場を失う。


これ以上何を言うというんだろうか、僕が振り返ると、長塚中尉は当然の様に告げた。


「何、キスでもしたのか」

「……は?!」


その言葉に、僕は思い切り目を見開く。


……そんなピンポイントで聞くなんて、兄さんは彼女の力を知っているって事か?


いや、でも……それにしては疑う様な表情じゃなくて……むしろ微笑ましいものを見る様な顔だ。


「あっ、当たりかぁ」

「ど、どうして……」

「……あれっ、自覚無い?てっきり遠回しに報告したいのかと思ったけど」

「報告……?」

「そ」


報告って……どういう事だろう。


と、そんな事を思っていたら、その答えはすぐに分かった。


「好きな子が出来たんだろう?あの若い子か?」

「はっ……?そ、そんなの……出来たって兄さんに報告しないですよ!」

「はははっ、でも良かったなぁ。好きな子とキス出来たんだろう?」

「っ……!」

「お前の感じた甘味でない不思議な甘さは、そういう訳だよ。好きな子とのキス、これ以上甘いものは無いだろうね」


顔が真っ赤になるくらい恥ずかしかったけど……やっぱりそうなんだ。


僕は彼女に好意を持っていて、だから彼女とのキ……くちづけは、甘かったんだ……。


じゃああれは、別に不思議な力じゃなかって事なんだ……。


さすがに傷が痛まないのまでそのせいには出来なかったけど、この感覚が彼女への好意から来るものだと自覚してしまえば、元々そんな風な心当たりがあったのか、それを受け入れるのは意外と容易な事だった。


……でも、それにしても……好きな子、か。


もう既に分かってたのかもしれない。

少なくとも……あの二回目のくちづけの時点では。


それを中々認められなかったのは、自覚してしまえば二度のくちづけに意味を求めてしまいそうになるからだろう。


そして何より……それを認めてしまえば、『好きな子』である彼女のくちづけを皆の為に利用する事に、迷いが生じてしまいそうだから。


自分の為だけに皆の為になる事を隠して、役立たずどころか邪魔者に成り下がってしまいそうなのを、どうしても否定出来なくなってしまいそうだから。


「はぁ……」


……その甘さを、どうしても特別なもののままにしてしまいたくなりそうで。

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