第16話
後半宿題に追われた八月は、あっという間に過ぎ、九月になった。
二学期が始まった途端、夏休みの努力を確かめられるかのようにテストがあり、その後すぐに体育大会に向けての準備が始まって、毎日忙しい。
学校に通うようになると、何となく落ち着かない心地が戻ってきたが、
夏休み前と特に何も変わっていないのに、変な感じだ。
「いってらっしゃい。今日も、楽しんでおいで!」
「……うん。いってきます」
朝、母さんのいつもの言葉に背中を押されて、守流は玄関を出る。
『楽しんでおいで』と言われて、今までは応えなかったけど、これからは返事をすることにした。
……少し照れくさいけれど。
一緒に家を出た
「……何だよ」
「なんかお兄ちゃん、最近お母さんと仲いいよね」
「はあ? そんなことないし」
「ふぅ~ん」
ちょっと口を尖らせて、望果は登校班の集合場所に走って行った。
意味がわからないので、放っておくことにした。
放課後、今日が日直だった守流は、クラスメイトの課題提出をチェックし終えて立ち上がった。
皆ほとんど部活動に行っていて、教室には数人しか残っていない。
日直は、出席番号順で二人一組で回ってくる。
守流は相方の
彼女の机の側には、女子のクラスメイトが二人立っていて、プリントを渡している。
「じゃあ木戸さん、お願いね!」
「うん」
クラスメイトが離れたのを見計らって、守流はチェック表を持って朝美の机に近付いた。
「木戸さん、チェック終わったよ。日誌書いて終わってたら一緒に持っていくけど」
「あ、ごめん、まだ書けてないんだ」
朝美はプリントで埋め尽くされた机から視線を上げる。
真っ直ぐに切り揃えられた前髪の下で、申し訳無さそうに眉がハの字に下がった。
「体育大会の仕事がまだ終わってなくて…。日誌書けたら、私がチェック表一緒に持って行くから、そっちに置いておいてくれる?」
朝美が誰もいない隣の机を指した。
そこには黒い表紙の日誌が置かれてある。
日直は、今日の時間割や一日の反省などを記入して、課題提出のチェック表と共に、帰宅する時に職員室に持って行かなければならない。
守流はあまり字がきれいではないので、チェック表の方を担当して、日誌を書くのは朝美に頼んでいた。
「……忙しいの?」
「ああ…、うん。体育大会の実行委員になっちゃったから、リレーの選別とか準備物のチェックとか、色々あって…」
「相方は? 原田じゃなかったっけ?」
実行委員も各クラス二人一組のはずだ。
誰もやりたがらなかったから、結局くじ引きで決めたので覚えている。
「原田君、生徒会役員だから、そっちの方が大変みたいで…」
だから私が頑張らないとね、と朝美が目を細めて笑った。
守流は思わず唇を歪めた。
その弱い笑顔は、少し前に見たことがある。
用水路掃除をやめろとおばさんに言われた時、
『仕方ないよね』
そういう、諦めたような笑顔。
本当は納得したくないのに、こうするしかないのだと、自分自身に言い聞かせている顔だ。
「……日誌、僕が書くよ」
「え? いいの?」
「うん。帰宅部だし、急いでないから」
朝美はものすごく嬉しそうな顔をした。
「ありがとう、
「あ…うん、僕も日直だし…」
そんな満面の笑みで同級生女子から感謝を述べられたことはなく、守流はちょっと驚いたが、日誌を持って自分の席に戻ったのだった。
「へぇ? それで、こんな時間になったのか。困った女子を助けるとか、やるじゃん、守流!」
「別に……」
日誌を書いた後、気付けば教室に残っていたのは守流と朝美だけで、何となくそのまま一人残して帰りづらくなった守流は、結局実行委員の仕事も手伝ったのだった。
おかげで下校が遅くなり、部活が終わって帰るところだった
「……なんかさ、喜八みたいだと思ったんだ」
「はあ? 何でそこで喜八?」
「だから、仕方ないって、諦めて笑ってる感じがさ……。何?」
拓人が変な顔をしているので、守流は目を瞬いた。
「河童と同列で相手にされた女子に同情した…。守流に恋バナは早いか〜」
「なっ! 何だよ、バスケ馬鹿に言われたくない!」
「なにぃ!?」
守流は、拓人と二人でバシバシ叩き合って、冗談を言ってゲタゲタ笑いながら帰った。
帰宅は遅くなったけど、とても楽しい帰り道だった。
いつもより遅い時間に歩くと、休閑地の草むらからはコオロギの声が聞こえている。
日中はまだ暑いけれど、確かに秋は近付いているのだと気付いた。
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