第6話「理由の大切さ(ハノン視点)」


 依頼を受けて、早5刻。天高く昇る陽光が、わずかな傾きを見せつつある時間帯。

 スラムの街並みは、朝市の片づけを終わらせた人々がいなくなったことでどこかガランとした印象になっています。

 そんな中でも、小さな子どもたちは遊びという子供特有の仕事に興じているのが見えます。自分の小石を相手の小石に当てて、陣地から追い出す遊びは僕も昔よくやったものです。

 どこかほのぼのとしてしまいそうになりますが……僕の置かれた状況を思い出してしまうと、そんな思いも吹き飛んでしまいます。

 

 臭い。

 汚い。

 辛い。


 胸中をそんな感情が埋め尽くす程に、この仕事環境は劣悪の一言でした。

 スラムの便所掃除。ヴォルさんが是非にと言って持ってきた、僕の冒険者生活の初仕事です。


 今現在、僕とヴォルさんは2つ目の公衆トイレを掃除し終わり、休憩後に3件目を掃除しにかかっていました。

 2つ目は大層汚れが酷く、3刻もかけてようやく一段落しました。

 このペースだと、この便所まで終わらせることは出来ないかもしれません。日が沈めば、スラムの外が光で照らされることなんてまずありませんから。


「フシッ、フシッ」


 汲み取り作業を行う僕の横で、角兎のヴォルさんが声をかけてきました。

 その姿は本当に、普通のモフモフした角兎です。薄茶色の毛並みに、丸みを帯びたボディ。抱き上げた時に指を飲み込む感触はとてもモフプニっとしていて気持ちいいのですが、中身は金貨級の冒険者なのだというのだから驚きです。


『おいハノン。休憩無しのぶっ続けで掃除にとりかかんのは流石に無理があるぞ?』


「っ、でも、そうしないと夜までに終わらない……」


『とはいえ、お前の体力じゃ限界があるだろうに』


 確かに、1つ目の掃除が終わって休憩してからその先は、一切休憩をとっていませんでした。

 この依頼は、3つ全て終わらせて初めて40枚の銀貨が貰える依頼です。2つまでだと、たしか25枚って言ってました。

 今夜にも町役場から視察が来て、掃除がどこまで進んだかを確認してから冒険者ギルドに話を通して、報酬を払うとかで……ヴォルさんは、本来なら2日かけて行うべき掃除活動の期限を一日に定めて、少しでも報酬を渋る役場の悪い癖だと言っていました。


『冒険者なりたての初依頼でこれを受けて、ここまでやれたんなら、正直俺は十分だと思うぞ? 銀貨25枚でも、ステータスを見て装備を整えるくらいの最低限は可能だ』


「……んしょ、っと……!」


『寝泊りする金がどうかと思うなら、そこは俺に任せておけ。宿屋の確保くらいはしてやるよ。一枚だけ切れる手札があるからな』


 ヴォルさんは、優しい。

 最初この依頼を持ってきた時は、厳しい人だと思ったけれど……この数刻の間で、僕に気を使って休憩を促したり、昼食として支給された保存食に匂いが付かないよう隠してたり、いろんな配慮が見られた。


 この依頼を受けさせた理由も、僕が冒険者として本当にやっていけるかを確認する意味を込めているんだと思います。すごく汚くて嫌だけど、冒険者の仕事はこの汚さが底辺だと言っていたから。

 僕が根を上げていたならば、きっとヴォルさんはギルドマスターに進言して、僕を冒険者資格を無かったことにしてくれるつもりなんでしょう。


「……ありがとうございます」


『ん、じゃあさっさと片づけに入るから、お前は休んどけ。後は俺がやっとくからよ』


「でも」


「フス?」


「でも……もう少しだけ、頑張ります」


「…………」


「ヴォルさんには、言ってなかったけど……スラムの人達には、御恩があるんです……」


 そう、本当は、頑張る理由がありました。

 僕は一度、スラムの人達に保護された事があります。

 逃げて、途方に暮れて、見つかりそうになった時……このスラムの人達が、助けてくれたんです。

 その人達が、ギルドマスターが視察に来るタイミングまで僕を匿ってくれたおかげで、今の僕があると言っても過言ではありません。


「だから、その……綺麗にしたいんです。その、ホントは、冒険者だから、とかじゃなくて……恩返し、したかったから……ごめんなさい」


『なるほどなぁ』


 それ以上、ヴォルさんは何も聞きませんでした。

 誰から逃げてた? とか、厄介ごと抱えてるだろ、とか……そういう聞きたいこと、あるでしょうに。

 やっぱり、優しい人です。


『だったらまぁ、急がねぇとな』


 ヴォルさんが、汲み取った汚物を入れた容器を持ち上げます。

 角兎の身体では、難しいことでしょうに。軽々と持ち上げる姿はさすがの一言です。

 というか、何も聞かずにお手伝いまでしてくれるのは、本当に申し訳ない気分になってしまいます。


『ただまぁ、それでも少し休め。俺がこれ捨ててくる間まででいいから。じゃなきゃ持たんぞお前』


「……ありがとうございます」


『幸い、くみ取りはこれで終わりだからな。後は掃除だけだ……だから、休め』


 ジッと見つめてくるヴォルさん。どうやら、休まないと捨てに行かない感じらしいです。

 どこか愛嬌があるお姿に苦笑しつつ、僕はトイレから出て荷車に腰を下ろしました。

 それを見て、ヴォルさんは改めて汚物を捨てに行きました。


「ふぅ……」


 支給された水筒から水を飲み、一息つきます。

 すっかりぬるくなった水は、それでも僕の身体を癒してくれました。

 しかし、どうしましょう。休憩しろと言われましたが、このままでは終わらないのも事実です。

 なにか、片付けの準備だけでもして時間を浮かそうかしら……そう思っていた時でした。


「やっぱりハノンだ!」


 そう、声が聞こえてきました。

 後ろを振り返ると、2人の子供が立っています。

 あの二人は……


「シルちゃん。カイルくん! ……なんでヴォルさんを抱っこしてるの?」


「フシッ……」


 僕がスラムに匿われていた時に、仲良くなった兄妹。カイルくんとシルちゃんでした。

 カイルくんは僕と同じくらいの年で、茶髪が特徴的ですね。シルちゃんはもっと年下です。カイルくんと同じ髪質で、兄妹だってすぐにわかります。

 シルちゃんは何故か、体いっぱいでヴォルさんを抱っこしていますね。


「お前、なんでここにいるんだよ! 冒険者ギルドに行ったんだろ!?」


「あ、うん、行った、よ?」


「それなのに、お母さんがハノン君に似てる子が、トイレ掃除してたって言ってて……びっくりして、探してたの」


「そうそう、言ってた便所にいなかったからよ! スラム中探したんだぜ!」


 あぁ、どうやらお知り合いの方々に見られたみたいです。

 で、二人は探し回って、ヴォルさんを見つけて、掃除してるって思って……ここまで来たと。


『糞尿捨ててたらいきなり抱き上げられてこの様だ。知り合いなら何とかしてくれ』


「あ~……シルちゃん、その兎さん、降ろしてあげて?」


「やっ、ふわふわで気持ちいいもの。クサいけど」


「フス……」


「それより、なんでまたスラムにいんのか言えよ! ギルドマスターに捨てられたのか!?」


「えぇぇ!? ち、違うよ?」


「じゃあなんでこんな便所掃除してんだよ! 病気になっちまうぞ!」


「え、えっとね……」


 僕は、事のあらましを二人に話しました。もちろん、ヴォルさんの事は伏せて。

 で、今はお金をもらうためにお仕事してて、ヴォルさんが守ってくれるから病気にもならない事を伝えておきます。これなら安心、かな?


「なるほどなぁ……」


「なるほどねぇ」


「……フシッ」


 二人は少し考えた後、顔を見合わせ、ニヤリと笑います。


「なぁハノン、金貰ったらうまいもん食えるんだろ?」


「え? あ、うん……?」


「だったら、俺らにも一枚かませろよ」


 え?

 それはつまり……手伝ってくれるという事でしょうか。

 でも、そんな事していいんでしょうか、仕事的に、冒険者的に……。


『……本人の人脈ってのは、冒険者として重要な資質だ。それを用いるのは、なんらおかしい事じゃない。……こいつらがいれば、間に合うんじゃないか? 幸い、糞尿はもうかき出したんだしな。こいつらが病気になるリスクは低いと思う』


「…………」


『というか、早く放してくれるよう言ってくれんか』


 ……なんだか、力が抜けちゃいました。

 冒険者だからって、何かが変わるって訳じゃないんですね。


「じ、じゃあ……下町の家畜牛の串焼き、一人3本で……お願いできる?」


「うっはマジか! よぉしやるぞシル!」


「うん! 肉ー!」


 こうして僕たちは、作業を再開しました。

 もちろん二人は、中に入れずに外でできる作業をしてもらいます。

 僕と、ヴォルさん、そしてカイルくんとシルちゃん。

 4人で力を合わせたことで……僕たちは、なんとか日が沈みきるまでに、作業を終えることができたのでした。

 本当に……感謝してもしきれません。肉のためと言いながら、こんなことは普通したくないはずです。

 僕の為に、ここまでしてくれて、ありがとう。

 

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