第33話

「──⁉︎ なんだ……?」

 リクリスが動揺を示すのと、身体が楽になるのはほぼ同時だった。

 駆け抜ける痺れが一瞬にして途切れ、意識が正常に引き戻される。……胸の奥があたたかくて、心地いい。まるで自分のものとは別の体温が存在するかのような。覚えのあるそれは、彼の魔力だ。少し意識を集中させてその形を探ると、鎖だった。僕の魂に鎖が巻きついている。

 ……それと、おそらくは錠前。なるほど、「鍵」を持つ者以外は、鎖の内側に触れることすら許されない──と。

「──ふふ、」

 なんだろうこの高揚感。胸の奥の奥から、思わず震えてしまうような熱がこみ上げてくるのだ。病熱にも似て、ゾクゾクと寒気を催すような。心なしか額の内側にも甘い痺れが走って、朦朧とすらしてくる。

 端的に言って、最高の気分だった。なんとも意外なところで意趣返しがきたものだ。自分の悪魔の体内に魔術を発動させるだけでも規格外なのに、それを遠隔操作でやってのける。トリガーは間違いなく、あの時の言葉。

 決定的なひとつじゃなくて、言うなれば会話全てだ。全部に意味があって、全部が繋がって初めて鎖は長く伸びる。形になる。この魂すらも独占してみせる。

「あぁ……最高だよ…………! 惚れ直しちゃうな」

 瞳孔が開いている予感すら覚える中、左手を高く天に伸ばす。その名を叫ぶ。

 ──さあ、僕たちの繋がり、もっと見せつけてやろうよ。

「響君!」

 まるで初めから結ばれていたかのように、淡い光の輪郭が顕になった。透明だったものが色を覚えて、実体を伴って具現する。もう一方の先端が示す先は、空だ。

 地面に張り巡らされた金の光と、星の姿も見えない夜空。光の位置が逆転したような異様な空間の中を、ひとつの人影が舞う。


「──恋は盲目ってのはほんとなんだな。隙しか見当たらねぇよ」


「──っ、真渕響……!」

 リクリスが同じように上空を見上げ、瞠目する。しかしそれも一瞬のことで、焦燥と優越感との狭間で揺れながら、リクリスはそれでもなお嗤った。

「所詮は人間、足掻いたところで何も成すことはできない……!」

 リクリスが空いた左手に魔力を集中させ、指先を上空に向ける。彼が注目しているのは今や、僕の魂ではなく重力と引力に従って落下する外敵だった。本来の目的から意識が完全に逸れているのは、焦燥が勝った証拠だ。

「──どこ見てんの」

 僕はすかさず胸に刺さったままのリクリスの右腕を取った。僕の魂に電流が流れなくなったことで気を抜いたのか、纏う魔力量は圧倒的に減っていた。これなら瞬時に銀の手が水銀になることもない。手のひらの表面はどうしたって溶けて滑るけれど、その程度で掴み損ねることはない。

 そして雷撃を飛ばそうというその瞬間を狙って、思いきり腕をこちら側に引いた。体内に押し込んだと表現した方が近いかもしれない。弱まったとはいえ、電流を纏った腕は僕の皮膚を容易く内側から引き裂いて、胴体を貫通した。当然、痛い。激痛だ。多幸感に酔った神経は痛覚によって完全に覚醒し、口からは空気と一緒に銀色の血が吐き出された。

「……全く、自傷行為は煙草だけって決めてたんだけどな」

 少しばかり病んだ行動だったかもしれない。そう自省しながらも、笑う。痛いはずなのに笑っているなんていうのもまた、我ながら破綻した反応だった。それでも、リクリスの身体は狙い通り瞬間的に傾き、電撃の照準に狂いが生じる。

「ッ、貴方──何を……!」

 リクリスの表情が歪む。その目の色は恨めしげでありながら、僕の正気を最後まで疑っていた。そりゃあそうだろうなと思いつつ、僕もまた優越の勝った笑みで睨み返す。痛みと興奮は上手い具合に相殺し合っているけれど、体力の消耗は誤魔化せなさそうだ。絶え絶えの息を吐きかけるように顔を近づけ、余裕なく口元だけで笑ってやる感覚は、色で気を引く瞬間のそれにも似ていた。こういうところなんだろうなと思う。自覚がないわけじゃない。外見上の特性だけなら、むしろ嫌というほど理解していた。

「僕から目を離すなんて珍しい。随分つれないじゃないか」

 挑発でもするみたいに言って、血の滴る口の端を浅く舐め上げる。相手の瞳は小刻みに揺れていた。動揺か、困惑か、はたまた恐怖か──それは僕にもわからない。ただ、彼は一言も声を発さず、言霊に呑み込まれたかのように目を逸らさなかった。

 かくして、時間は訪れる。

 僕は短く息を吐いて、リクリスの腕を今度は前に押し出した。鋭く全身を襲う激痛とは裏腹に、ずるりと身体の断面を異物が擦る音が生々しく耳に響いた。それでも僕の表情から笑みは消えない。

「じゃあねリクリス──僕の運命はキミじゃない」

 長らく相手の腕を掴み続けていた右手をパッと離した瞬間、淡い光が目の前を一閃する。左手同士で繋がれた鎖が一拍遅れて宙で波打ち、ほどなくして散った。同時に地面の輝きが消え、正しい夜の帳が下りる。

「これで手切れだストーカー野郎」

 マンションの外廊下から地上に降り立った僕の最愛は、そう言い放った後、らしくないと自嘲するように苦笑した。

「……ま、泣かせたり困らせたりしないってんなら、次は昨日の敵として扱ってやるよ」

 な、と振り返って問いかける彼の姿は、不透明な液体のせいで半分も見えなかった。

 今泣かせてるのは、他の誰でもないキミなんだけどね、響君。

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