②水墻山

「加藤、もしかして、こんな道がずっと続くのか?」


 そう唸るような声を上げたのは伊達だてだ。それを窘めるように、けれど、よりげんなりとした口調で返したのは、加藤ではなく喜多方きたかただった。


「道っていうか、岩じゃない、これ。ずっと続くみたいよ」


 二人の背後にあって、加藤はニコニコとした笑みを絶やさない。笑顔のまま言ってのける。


「ね、楽しい山でしょ。ずっと来たかったんだ」


 三人が来ているのは水墻山みずかきやまだ。山梨県と長野県の県境に位置し、美しい景観と岩場の続く山道が特徴の岩山である。

 登り始めでは土と木の根が続く山道だが、次第に石が多くなり、それは次第に岩となった。岩はさらに巨大なものとなり、山道でありながら、歩くというよりは岩にしがみつき、這いつくばるような進み方を強要される。

 これに、伊達と喜多方は弱音を上げた。少しずつ山に慣らしてきたつもりだったが、二千メートル級の山はハードルが高かったようだ。


 伊達も喜多方も高校の同級生だった。加藤は徒党を組むことを好み、グループに人数を集めるようにしていたが、それでも登山についてきてくれる友人は少ない。

 高校三年生にして、突如、登山に目覚めた加藤は仲間を集め、山歩きを始めた。最初のころこそ、物珍しいレジャーとして参加する者が多かったが、回数を重ねるごとに人数は減り、今では伊達と喜多方の二人だけとなっている。

 そんなありがたい友人であるはずだが、加藤はこの二人に物足りないものを感じていた。


 岩山を這い登ると、影の落ちた山道に差し掛かる。そのまま歩いていくと、縄のかかった巨大な岩が見えた。


「うへー、まだ岩あんのかよ」

「さすがに腕の筋肉が限界だな」


 案の定、伊達と喜多方からうんざりとした声が上がった。加藤は相変わらずに笑顔のまま、言い放つ。


「これで最後だから大丈夫。さあ、山頂だよ」


 そうにこやかに励ますと、二人は渋々と岩を登り始めた。


「縄にあまり体重かけないで! 手足の三箇所でしっかり足場を確保すること。それが大事だよ」


 加藤のアドバイスもあってか、伊達と喜多方は岩場を乗り越える。それを確認すると、加藤は縄を使わずに、すいすいと岩場を登り、二人に合流した。

 それから少し歩くと、さらなる岩が見え、そして、視界が一気に開ける。青空が広がっていた。これには三人は歓声を上げながら、先を急ぐ。岩に昇ると、そこは水墻山の山頂であり、美しい景観の続く場所であった。


「なんだこれ、まるで異世界じゃないか」


 伊達の称賛もまさにであった。吸い込まれるような青い空の下、青々とした山脈が切り立っている。その奥には富士山が眩いばかりに鮮明に見えた。こんなに綺麗な富士山を見たのは初めてかもしれない。

 左側を向けば、一際目立つ岩山がある。水墻山の兄弟山ともいわれる金峰山きんぽうざんだろう。堂々とそびえ立つその姿はあまりにも雄大で、どこか知らない別の世界に来たと感じたとしても不思議ではないだろう。


 その景観に三人は感動し、その感動を維持したままお昼ご飯をとる。

 加藤の持ってきたガスバーナーと鍋で湯を沸かし、カップラーメンを作った。料理とも言えない料理ではあるが、くたくたに疲れ、お腹が鳴るほどにお腹の減った状態で食べるカップラーメンほど美味しいものはない。

 なにより、見事なほどの風景が広がっているのだ。何を食べても美味しいと感じることだろう。


「じゃあ、出発しよ。ピストンで帰るのもつまらないから、山の裏側を通って帰ろうよ」


 伊達と喜多方から起きた悲鳴は笑顔で受け流し、二人を促して下山を始める。

 しばらく、荒れ果てた山道を開拓者のように進んでいく。


 その目前に登山者がいた。

 登山客の一人の色が揺らめいていた。その中年を過ぎたであろう男性の肌はファッションピンクに変わったかと思うと、鮮明なグリーンに変わり、やがて透明になった。肌だけではない。彼の髪も、服も、荷物も、すべてが極彩色ごくさいしきに変化し、やがては無色となる。男性は消えていた。

 連れと思しき、やはり中年の女性はそのことに気づかず、まるで最初から一人で来たかのように、そのまま歩き始める。


 無論、伊達も喜多方もそのことには気づかない。周囲の人々は人が一人姿を消したにも関わらず、誰も何が起きたかわかっていない。

 ただ、加藤だけが気づいていた。しかし、加藤にとってはそんなことは日常茶飯事のことである。特に気にする必要を感じない。


「大学生になったら、もっと実力のある人たちと登りたいな」


 口には出さないが、彼の心中を占めているのはそんなことであった。

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