11話

「丈ヤバくね? 大丈夫?」

「抜け殻からまだ戻んねーの?」

「……抜け殻?」

 友人らにそんなふうに心配されてはたと気が付いたときには、週明けとなる月曜日になっていた。どうやら今は、月曜一時間目が終わったところらしい。土日を虚無に過ごし終えていたことにはただただ驚くばかりだ。

 あれ以来、高城先輩とはメッセージのやりとりもしなくなっていたし、菅平からのアクションも何もない。すっかり顔も合わさなくなってしまうと、この数日間が夢やフィクションだったかのように思えた。

「病院行ったか? 右肩不調なんだろ?」

「え、そおだっけ?」

「『そおだっけ』って、お前なぁ」

 言われてみれば、たしかに右肩が少しだけ痛い気がする。どうしたっけ。なぜ痛めたんだっけ。

 あぁそうか、先週デンで菅平に爪先で蹴られたんだ。オレがバドミントン部であるとヤツに知られていないものの、利き腕はどのみち誰であっても急所になりうる。スポーツ推薦入学者なら部活動ができないなんて致命的だから、知らなかったことであれど利き腕の怪我を狙ったことは悪質極まりない。

 認識すると、急にツーンと骨と筋肉の間が痛い気がしてきた。さすると不可思議な感触が――ああ、そういえば湿布を貼ってから制服を着たんだったか。高城先輩に突き放された金曜日に自宅に戻ると、まるで緊張の糸が切れたかのように急に痛みだしたのだ。

「ダメだ。全然集中してねぇわ、オレ」

 すべてのことが上の空だ。オレの行動原理が突然失くなって、何もかもが無気力を極めている。

「やっぱ金曜の菅平先輩襲撃事件が原因かよ?」

 頬杖で友人が訊ねる。その声は小さく絞られている。周囲に『菅平』の名前を聞かれないように気を配ってくれているのだとわかり、オレは彼の好意をありがたく受け取った。

「いや。違うけど違くない、ような、そうでないような」

 絶望同然のオレは、瞼を伏せて机に突っ伏した。

「オレ、急に指針がなくなって、何を糧に生きてけばいいかわかんなくなってるっぽい。はぁ、このあとどうしよう」

「どうしようって言われても。最終的に決めるのは結局丈自身だからなぁ」

 そのとおりすぎて胸がズキリ。

「瀬尾丈いる?」

「はいっ」

 聞き覚えのある声に、突っ伏した頭を勢いよく上げる。今までの無気力はどこへやら、むしろ条件反射だ。

 声の主は、男子バドミントン部三年の先輩。それも三人も。先輩たちは教室後方の扉から顔を覗かせてキョロキョロとオレを探している。普段体育館で聞きまくっている声だから、身体が勝手に反応したわけだ。

「お疲れさまです。どうしました?」

 友人たちに「ちょっと行ってくるな」と声をかけてから席を立つ。のたりのたりと先輩たちの元へ向かうと、お三方は揃って眉間を詰めて声のボリュームを絞った。

「ちょっとこっち来い」

「え?」

「安心しな、説教とかじゃねぇから」

「は、はぁ」

 バタバタと教室から連れ出される。廊下の隅に移動して、先輩たち三人がオレの壁になるように取り囲んだ。しかし菅平らとは違って威圧的なものは一切感じられない。

 一体何事だろうといぶかしんでいると、この前ウォームアップランニングのときに話しかけてきた先輩が「落ち着いて見てみてくんねぇ?」とスマートフォンの画面を差し出した。

 そこに写っているものを見て、オレは心底ぎょっとした。先輩のスマートフォンを奪い取らんとする勢いで、食い入るように見つめる。

「な、なんスかこれっ! こんなの、なんで」

「三年の一部の人間だけが集められてる『グルチャグループチャット』があるんだけどさ、昨日の夜、そのグルチャに送られてきたんだよ」

「つっても、一年の頃に同じクラスだったやつらで連絡用にメッセージアプリのトークルーム作っただけだったから、二年になってからはすっかり機能してなかったんだけどよ」

「抜けたやつも何人かいたしな」

 思うに、このお三方はそのグループチャットルームが創設されたときに同じクラスだったのだろう。だからこそこの画像を見てしまって、お三方は一様に険しい表情なんだ。

「送ってきたのって、やっぱり――」

「うん、お前の想像どおり。菅平だよ」

 その名を聞いて、オレは悔しくてたまらなくなって下唇を左側を強く噛んだ。

 全身の毛という毛が逆立つ。おかげで肌がピリピリする。握った拳はそのまま自分の掌に食い込み、爪が折れるか掌から出血するかの競い合いになってしまいそうだ。


 画像は、高城先輩に関するものだった。それも最悪なことに、彼女が薄暗がりで上の衣服を乱したもの。どうやら抵抗した隙をつかれて撮られてしまったらしい。

 顔は、俯いていることと乱れた髪が数束顔を隠しているためはっきりとは見えない。だがあの特徴的な姫カットの髪型で、どうしたって高城先輩だとわかってしまう。慈み野の同級生なら尚更だ。

 着衣の乱れ方から、菅平の強引さがうかがえる。下着のホックが外れてそれがずり下がっているため、その細く白い腕で胸元を隠そうとしている。下半身が制服のスカートを着用したままであることから、この前のデンでオレの突撃前に撮られたものである可能性が高い。


「先に言っとくが、俺たち三年のほとんどはこんな画像のこと鵜呑みにしてねぇから」

「そう。これ見せられたからって高城に対してどうとも思わないし、菅平にほだされることも説得されることもない」

「けどまぁ、少なくとも俺ら三人以外に、今既読になってる残りの一八人にも見られちまってるってことだから……」

 先輩は言葉尻を濁して、オレに向けていたスマートフォンを自分側に向け直し、画面をオフにした。

「なんで、オレにわざわざ見せに来たんスか」

 先輩たちはオレよりも背が高いので、目を合わせるといくらかオレが見上げる格好になる。憤慨しているというのにこれでは見映えしないが、先輩たちは下から睨まれたように思ったかもしれない。

 言いにくそうにしながら目配せ合って、画像を見せてきた先輩が「こんなこと書いてあったから」とトーク画面を少しだけスクロールした。

「ん……『タケルっていう一年が、某三年女子を襲っていた証拠を掴んだんだが』、って、はあ?!」

 言いなぞって、驚きのあまり声を裏返してしまった。こんなの事実無根だ、目の前がぐらぐらと揺れる。

「先輩っ、ウソだこんなの。オレじゃない、いくらなんでも高城先輩にこんなこ――」

「わーかってるっつーの!」

 掴みかかった手を取られ、ゆっくりと降ろされる。

「だから始めに言ったろ、落ち着いてくんねぇかって」

「けどっ」

「さっきも言ったけど、菅平が言ったことだから、これ送られた三年のほとんどは信じねぇってば」

「ただ、こんなふうに言われてるのを瀬尾も知ってるのかって、ちゃんと確かめときたかったんだよ。俺たちはお前の直接的な先輩だから」

 お三方の真面目な言い方で、うっすらと冷静さを取り戻す。取られた手を離されて、すると視線も俯いた。

「菅平は、高城を自分のところに縛りつけるためにポッと出のお前を陥れて、お前が自分から高城の元を離れるように仕向けてるだけなんだ」

 落ち着いた声で諭されて、深呼吸を挟む。

「もしかしたらそうかなって思いましたけど、まさかマジでそうだったとは、です」

「二年のとき、このテでもっとごたついたからな」

「だからさすがにもう菅平の話を鵜呑みにするヤツはいねぇんだよ。だけど――」

 腕組みをした一人の先輩は、フゥと溜め息をついてから言い加える。

「――大人はどうかな」

「大人……先生方ってことっすか」

「ん。正直ここのガッコの先生たちは、生徒間のいざこざなんか放任なんだよ。事の顛末とか双方の言い分だとかどうでもいいんだと。詳しく聞きやしないんだ」

「瀬尾はスポーツ推薦入学者だろ? だから、事情も聞かねー大人が今回のことを聞きつけたとしたら、話だってたいして訊かれねぇまま『問題行動だ』とか言い出す可能性があるわけ」

「スポ推生徒が部活に出られねぇなんてことがあれば、最悪ものすごい速さで退学もあり得る」

「た、退学って、そんなっ」

「あり得ねぇ話じゃねぇだろ? 瀬尾だけじゃねぇけど、スポ推生徒がこの学校で期待されてることなんか、担当スポーツの『優秀な戦績』だけなんだ」

 ヒュンと肝が冷える心地だった。なんだか血のかよっていないような言葉温度で、さすがに胸が痛む。

「ともかく。慈み野の大人にこのことが広まる前に、お前は早いとこカタつけねぇと」

「そう思ったから、俺たちはお前に直接言いに来たところもあるんだよ」

 カタをつける、となぞって途方に暮れた。何をどうしたら、オレは菅平の毒牙から高城先輩を抜けさせられるんだ。

 正直、手詰まり感がするんだ。オレに出来ることなんて、もとよりヤツと高城先輩の間に割って入ることくらいしかないのに。その上バドミントンまで失うこととなったらオレの三年間は確実に無に帰すこととなる。

「まぁそこでだ」

 画像を見せてきた先輩が声のトーンを変えて言う。

「証拠を押さえとくってのが、瀬尾に今できる一番のことだと思うわけ」

 先輩の言葉を、ハテナをふんだんに付けて言いなぞる。「まぁよく聞け」と肩を組んできた先輩は、ちょっと悪い笑みをした。


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