第7話

 小屋のまえにある男の死体がなくなっていた。もしかして、きのうのできごとはまぼろしだったのかと錯覚したが、地面に残った大きな赤い血のあとが、現実であることをあらわしていた。

 扉が壊れた小屋の入り口までいくと、室内にあのエルフの女性が椅子にすわっていた。

 きのうとちがい、マントは羽織っているものの、顔を隠していた厚手の布はいま首に巻かれてある。そのあざやかな長い金髪と美しい顔があらわになっていた。

 エルフの女性、メテスはこちらに気づくと、ほほをゆるめ微笑した。

「ああ、きみたちか。おはよう。意外とはやくきたな。椅子はないが適当なところにすわってくれ」

 小屋のなかはきのうとちがっていた。

 床に散らばっていた無数の剣の柄は、奥にある三段の棚にぎっしりと詰められている。テーブルのうえには彼女の私物だろうか、ぱんぱんに張り詰めた大きく古びたリュックサックが置かれ、そのとなりに頑丈そうな革製の四角いカバンがあった。

「あの、おはようございます」

「おはようございます」

 僕とクランは挨拶を返したが、カクタスは無言で床にあぐらをかいた。僕らは顔を見合わせ、それからほこりまみれの床に腰をおろした。

「さて」

 メテスはその長い脚を組みかえた。これから長い話をするという意思表示のような動作だった。

 言葉を続ける。

「きみたちは、夜の空に輝く星を見たことがあるかな」

 僕らはうなずいた。

「それなら、その星ひとつひとつにわれわれのような生き物がいることは?」

「どういうことでしょうか」

「その言葉のとおりだよ。すべての星のなかにはそれぞれの世界が存在している。そしてわれわれがいるこの世界もまたひとつの星でしかない。つまり、われわれが夜の星をながめているとき、彼らもまた同じようにこちらを観察しているのだ」

 彼女が、こちらの反応をうかがうように三人の顔を見渡した。それから僕らがおどろいてとまどう様子を見て、咳払いをしてから「とりあえず話を続けよう」といった。

「そしてそのなかのひとつ、亜神と呼ばれる存在が支配している星が、こちらの世界に攻めこんできた。亜神の忠実なるしもべたち、<邪悪なるもの>の軍勢との戦争がはじまった。エルフや人間といったすべての種族がはじめて手を組み、一緒に協力しあって戦ったが、亜神の軍勢は強力だった。きみたちもきのうのことでわかっただろうが、<邪悪なるもの>は普通ではない。単体でも恐るべき力をもっている。それらが大勢でやってきたのだ。戦況は芳しくなかった。この星が制圧されるのも時間の問題だった。それだけ追い詰められていた。

 しかし、そのときになってようやく、この世界の神が自らの部下である五人の<光の戦乙女>を送りこんでくださった。天空から地上に降り立った彼女たちは<邪悪なるもの>を蹴散らし、亜神との戦いに挑んだが、亜神もまた圧倒的な存在であった。<光の戦乙女>と亜神との戦闘はとても長いあいだ続き、彼女たちがおのれの命とひきかえに、亜神を深い地下の底へと封印することに成功したのだ」

「あ、あの」

 おそるおそるといった感じでクランが手をあげた。

「それは、いつの時代の話なんですか。歴史書のなかに、そんな話はなかったはずです」

「それはそうさ。はるか昔、いにしえの時代のできごとだからね」

 メテスはそこで言葉をきり、なにかを考えるように中空に視線をさまよわせたあと、ふたたびこちらに向き直った。

「きみたちは、天使と悪魔による終末戦争の話を知っているかな」

 僕らはおたがいの顔を見合わせうなずいた。

 それはきのう、神父から教えてもらったことだからだ。そうか、あれはきのうのことか。ふと僕は思った。眠たそうなカクタスと肩をならべて授業をうけていたのが、ずいぶんまえのように思える。それだけさまざまなことがあった。

 メテスが続ける。

「あれは<光の戦乙女>と亜神の軍勢との戦いを脚色したものだ。といってもずいぶんアレンジがすぎるけどね」

 苦笑をうかべたあと、彼女はまじめな顔つきで話を再開した。

「<光の戦乙女>は亜神を封印したが、その存在を消滅させることはできなかった。亜神は長いあいだ深い地底で力をたくわえ、復活のときを待った。そしてそのときがやってきた」

「まさか」僕の口からは自然と言葉がもれていた。

 メテスがうなずいた。

「そう。それがいまこのときだ。力をとり戻しつつある亜神は、ともに地下深くで潜伏していた<邪悪なるもの>の生き残りにたいし、<光の戦乙女>が神からさずかったという聖なる武具<オリハルコン>を見つけるよう命じた。やつらは各地に散らばり活動をはじめた。きのう、きみたちが出会ったのもそのひとりだ」

「なんで亜神が、その<オリハルコン>ってやつを探してんだ」

 いままで無言だったカクタスがやっと声をだした。

 メテスはすぐにこたえず、マントのなかに手をいれ、そこからとりだしたものをテーブルのうえに置いた。柄頭にガラス玉がついた細い柄。きのう、僕が握って<邪悪なるもの>を殺したそれだ。

 彼女はいった。

「これもそのひとつ<光のつるぎ>と呼ばれるものだ。きのうのことでわかっただろうが」

 メテスの目が僕をとらえた。

「普通の少年ですら、これを使えばひとりで<邪悪なるもの>を倒すことができる。それほど強力な武具で、やつらにとっては天敵のようなものだ。とうぜん亜神もそのことを理解している。だからこそ<邪悪なるもの>に<オリハルコン>を探させているのだ」

 僕は柄に目をやった。柄頭にあるガラス玉に、きのうと同じように僕の顔が歪曲して反射している。それがなにかを語りかけているような気がした。

「もうひとつ」

 カクタスがいった。

「あんたはなんで、そんなにくわしいんだ。まるで見てきたような口ぶりだけど」

 メテスは苦笑した。

「エルフというのは長寿でね。亜神との戦いに参加した同胞がいまだ生きている。だいぶ年老い、衰えてはいるが、彼らはあの時代の生き証人だ。私は小さいころからずっとその話を聞かされて育った」

「失礼ですが」とクラン。「いま、おいくつなんですか」

「百二十五歳だ」

 沈黙がおとずれた。

 目のまえにいる、見ため二十歳前後の女性が、僕らの両親ではなく祖父母でさえはるかに年上であることにおどろき呆けてしまっていたのだ。

 彼女がふたたび苦笑をうかべた。今度のはさきほどよりにがみが深かった。

「まあ、私の年齢はいいとして、話を続けよう。長老たちは封印された亜神をずっと監視しており、その目覚めが迫っているいま、私に<邪悪なるもの>よりはやく<オリハルコン>を探し見つけてくるよう命令をくだしたのだ。そのときから私は<オリハルコン>をもとめて大陸を旅している」

 メテスが遠い目をした。

 あの、と僕はたずねた。

「話を聞いてると、<オリハルコン>は各地に散らばって行方不明になっているわけですよね」

「そうだな」

「なぜでしょうか」僕は問いかけた。「そんなに大切なものなら、まとめて保管して、どこかで管理すればよかったじゃないですか。なぜ行方不明になっているんですか」

 メテスはこたえず腕を組んだ。

 事実を話すかどうか悩んでいる風であった。いままで長々と語っていた彼女がはじめて見せる逡巡でもあった。

 ややあってから、彼女は口をひらいた。

「亜神との戦いが終え、世界に平和が戻ってきた。しかしそれは長く続かなかった。ふたたび戦争がはじまったのだ」

「別の星から、またなにかがやってきたんですか」とクラン。

 メテスは目を伏せ、ゆっくりと首をふった。

 長いまつ毛がかすかにふるえている。エメラルドグリーンの瞳に暗い影をおとして彼女はこたえた。

「いや、ちがう。大陸のなかだけで争いが起きた。内戦だ。<オリハルコン>の力を巡ってな」

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