第4話 僕だけのフィナーレ

「天道くん、最近どうしちゃったの?」


「……すみません、店長」


「いや、君はいつも真面目に働いてくれるから、責めている訳じゃないんだけど……何か悩み事?」


「いえ、その……」


「まあ、プライベートなことには立ち入らないけど、うちも商売だから……」


「はい、以後気を付けます」


 僕はバイト先のコンビニを後にする。


 自宅アパートからすぐのところだ。


 5分ほどで帰宅する。


 時刻は夜の10時すぎ。


 すぐにお風呂に入った方が良いことは分かっている。


 けど、なかなかその気力が湧かない。


 それほど長時間、働いた訳でもないのに。


 とてつもない疲労感を抱いてベッドに伏している。


「……はぁ」


 幸せが逃げてしまうから、なるべくため息はこぼさないように心掛けているけど。


 今はどうしても、胸の内から溢れてしまう。


 負の感情が……


『……バーカ』


 ……僕、何かしたかな?


 もしかして、嫌われちゃった?


 でも、この前はちょっと、良い感じで。


 もしかしたら、僕のことを……なんて。


 ありもしない妄想をして、半ば有頂天に達しかけていたけど。


 一気に、奈落の底に突き落とされた気持ちだ。


 そんな調子に乗ったつもりは全くないのだけど。


 これもまた、天罰なのだろうか。


「……うぅ」


 もうしばらく、泣いていなかったけど。


 何だかいまは、ジワリと涙が溢れるようだった。




      ◇




 泣くことはカッコ悪いけど、最大のデトックス効果がある。


 一晩中、泣きはらした僕は、自然と胸がスッキリしていた。


 朝という時間帯もあり、頭もスッキリしている。


 だから、ちゃんと冷静に、建設的な思考ができた。


「……最後にもう1回だけ、会いに行こう」


 夢叶に。


 それでもう、終わりにしよう。


 少しほろ苦い思い出にはなってしまうけど。


 彼女のおかげで、楽しい時間を過ごせたことは確かだから。


 最後に、そのお礼はちゃんと伝えたい。


 僕はテーブルの上に置いてあった、CDを開封する。


 その中に握手券が入っており、僕はそれをそっと握り締めた。




      ◇




 僕個人にとって、最後の握手会の日。


 今日も今日とて、広大なアリーナに数万人であろう、ファンたちが押し寄せている。


 その熱気に胸を躍らせつつも、僕の頭はちゃんと冷静だ。


 今日で僕は、夢叶とさよならをする。


 これからは、テレビとかで見かけたら、陰ながら応援する。


 その程度に留めておこう。


「なぁ、今日の夢叶、何か様子がおかしいらしいぞ?」


「え、何が?」


「めっちゃテンション低いんだって」


「いつものことだろ? 塩対応クイーンじゃん」


「そうなんだけど……何ていうか、その塩っぷりにもキレがないというか……」


 夢叶、体調が悪いのかな?


 この時、僕はふと、自分に責任があるのではないか。


 なんていう、最高にキモい思考を回してしまう。


 所詮、僕なんて、あまたいるファンの1人に過ぎない。


 そんな僕ごときのために、厳しいアイドル世界を勝ち抜く彼女のメンタルが揺らぐはずがない。


「次の方、どうぞ~」


 とうとう、この時がやって来た。


 僕にとって、最後の夢叶との対面。


 彼女は僕の姿を見るなり、目を丸くした。


 驚いているのか?


 それはそうかもしれない。


 こいつ、この前、あんな冷たくしたのに、性懲りもなく来ちゃって……みたいな。


 いや、そんないちいち、僕のことなんて覚えていない。


 全ては、僕の思い違い、勘違い。


 そういうことにしておこう。


 でも……


「……夢叶ちゃん、ありがとう」


「……えっ?」


 戸惑った様子の彼女に、僕は言う。


「君のおかげで、いっぱい楽しい時間が過ごせたから」


「あっ……」


 最後、僕たちは束の間、見つめ合う。


「はい、終了でーす」


 スタッフに淡々と区切られる。


 僕は得心したように微笑みを浮かべる。


 夢叶はまだ、戸惑っているというか、どことなく泣きそうな顔をしていた。


 なぜかは分からない。


 僕が気持ち悪いからだろうか?


 でも、それでも、怒りの感情は湧いて来ない。


 ただ、これからも、彼女が健やかなアイドル人生を歩めますようにと。


 僕はそう願ってやまない。


 そして、僕は立ち去る――


「――夢叶、テメェ、こらぁ~!」


 瞬間、怒声が響き、僕はピタリと足を止める。


 ハッと振り向くと、男が1人、夢叶に対して詰め寄っていた。


 メガネでいかにもなオタク風だけど、ガタイが良い。


 ああいう陰キャだけど、パワー系のオタクっている。


 そいつが、夢叶に対して……


「いつもいつも、おれのことを舐めやがっててええええええええええええぇ!」


 当然、周りのスタッフが制止する。


 けど、大柄なその男に振り払われた。


 狂気を孕んだその男は、丸腰の夢叶を見据える。


 奴が舌なめずりをすると、夢叶の表情が青ざめた。


「おれだけの女にしてやるよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉ!」


 耳をつんざくような雄叫び。


 けれども、その最中、僕の耳に確かに届いた。


「……助けて」


 僕は弾かれたように動き出す。


 ガタイはとうてい、やつに及ばない。


 けれども、不意打ちで、横からタックルを食らわせたおかげで、


「おわあああぁ!?」


 やつはバランスを崩し転倒した。


 その隙に、スタッフたちが大勢で抑え込む。


「離せええええええええええええぇ!」


 暴れ狂うやつだが、屈強なガードマンが複数人やって来て、ようやくお縄となった。


 当然、会場内は騒然とする。


 僕は恐れ多くも、その渦中にいて……


「……うっ」


 しまった、足をひねったか?


「大丈夫!?」


 顔を向けると、夢叶が血相を変えて、僕のそばに来た。


「あっ……はい、大丈夫……うっ」


「誰か、彼を!」


 夢叶が必死に叫ぶ。


 その後、僕は運ばれた。




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