第33話春の兆しという存在



 雪に閉ざされ下界との行き来が出来なくなったローズウッドだが、女神の加護により降雪量は抑えられ過ごしやすい。


 それでも出来る事は限られ、屋内での手仕事を終えると暇な時間が多くなる。


 それを埋めたのがたっぷりと仕込んだ酒と料理で、提供するのはロマリカの民が運営する食堂だった。



 一日の手仕事を終えた村人は、熱い風呂で疲れを取り食堂に集まる。


 賑やかな店内では誰も彼もが笑顔で料理に舌鼓を打っていて、隅ではアレス考案のダーツの大会も行われている。



「今年はこれで良いとしても、さすがに旅人と料金が違い過ぎるのは、うーん、木札かなにか考えるかな」


 ローズウッド家の補助によって銅貨一枚あれば、エールが一杯とつまみが一品口に入る。もちろんそれだけでは足りないのだけれど、追加を入れても銅貨二枚もあれば充分満足出来るのだ。



 わっと笑い声が聞こえた。



「ぎゃはは! へたくそ!」


 時折上がる喚声は誰かが大きく外したのか「ちくしょう!」と悔しがる様子もいつもの風景だった。



「うん、美味しい」


 アレスは今年作ったチーズを口に入れると満足げな表情を浮かべた。


 ローズウッドは確実に進歩していたからである。





        ※※※




 まだまだ冬はもう少し続くけど、ここ何日かは吹雪も弱まり、春の訪れを告げる日差しが柔らかくさして来るようになった。



「用意は良いか!」


「おぉおおおおおお!!! ふぎゃっ!」


 アレスの掛け声に喚声を上げたイネスが、凍った土に足を取られスッテンと転んだ。



「くれぐれも……ケガだけは気をつけるように」


「うぐぐぐ、無念じゃ」



 春が近いとはいえ、まだまだ厳しい寒さのなか村中総出で森にお出掛けだ。


 誰も彼もが厚手の外套の下に、綿入りの下着で着膨れしている。


 手には柄の長い棒を持ち先にはトリモチをつけてあった。


 何をしているのかと言えば、蝉取りである。



「いたぞ!」


「うわぁあああ! かけられた! ぺっぺっぺっ!」


 初体験のラトリーも笑顔で大騒ぎ。



 冬蝉はこの時期にいっせいにす羽化る。何年経っても冬の寒い時期にミンミンと鳴くのを慣れる事は無いけど、ローズウッドで蝉取りといえば冬の風物詩だったりする。



 この蝉は貴重なタンパク源であり、秘薬の原料にもなる貴重な物だ。


 もっとも僕の場合は、もしゃもしゃと食べるのは抵抗があるんだ。ほとんどの村人は生きたまま口に入れるけどね。



「ふっふっふ、蝉ごときにやられるイネス様では無いわぁあああ! 覚悟っ! ひっ──あっぅ!!!」


 勇ましくイネスが棒を振り回しておしっこの攻撃を受けた。この蝉は油断すると、おしっこを掛けてくるんだよね。



「楽しんでる?」


「はい。でもローザ様も来られたら良かったのですが」


 ラトリーが言う通り、本日ローザはお留守番だ。どうも精霊酔いの影響が出ているらしい。


 カーラによれば「たいした事無いわよ」と気にする風も無いけど、ちょっとだけ心配。



 まあでも今は楽しもう。



「アレス! そっちに行ったぞ!」


 はいはい。頑張りますとも。






        ※※※





「どんな具合ですか?」


「うん、確実に発情してるわ」


「……やっぱり」



 何がどうしたと言うと、ローザの顔を見ればよく分るだろう。


 上気した頬は赤く染まり、恋した乙女のまなざしをしている。ぷっくりとした唇が濡れて官能的な笑みを浮かべた様は背徳的でさえあった。



「はぁ……んっ」


 まさしく発情期そのもの。


「これが、あのローザですか……」


 クールで理性的なエルフの変わり様にヘリアが唖然とする。



「長い間アレスの魔力に当てられた影響ね」


 とは言っても、種として長寿を誇るエルフが人族の様に年中発情をしているわけでは無い。



「魔力がよほど勝らないと、発情期も来ないんだけど」


 エルフの中でも膨大な魔力量を持つローザ。普通のエルフでは発情させることは出来ない。


「アレスの魔力は異常だから」


 カーラの一言がすべてである。



 ハイエルフから生まれたアレス。妊娠中から異常の連続であった。


 アレスが胎内で育つたびにカーラの魔力が膨れ上がる。その量はハイエルフの子とみても多すぎるの一言だった。並みのエルフ数十人分を、まだ生れ落ちてもいない胎児が持っていた。それも人族とのハーフがである。



 これでは年々高まる魔力に恐怖して、エルフたちが遠ざけるわけだ。



「そりゃ、男たちにすれば脅威ですもの」


 ヘリアが当時を思い出して、むっとした顔をするのも当然だろう。


「アレス様には全然罪はないのにですよ」


 ヘリアの気持ちは良くわかる。カーラにもアレスにも罪は無いのだ。



 けれど、無理も無い。なぜならカーラの傍にいた女たち全てが発情期を迎えたのだから。


 エルフの男たちは怯えた。恐怖したのだ。



 草食系でそっち方面では淡白なエルフの男たちに、次々と襲い掛かる肉食系エルフ女。



 空前のベビーブームとなりエルフ人口が爆発的に増えたのだが、夜ごと迫られた連中が「腎虚になるからやめてくれ!」と哀願するほど影響は大きかった。



「あのままでいたら大変だったでしょうね」


 結局、女神の加護で聖地でもあるローズウッドの魔力で中和させることになった。



「影響は抑えられているはずなのに、ローザですらやられるとは恐ろしいものがあるわね。ヘリアも気をつけないとダメよ」


 エルフの里で次々と女を狂わせた魔力。当時は逃れるすべは無いとまで言われたのだ。その魔力にさらされて十五年。ローザは精霊酔いをきっかけに発情してしまったのだろう。



「女神の加護さえ超えてしまうとは、わが子ながら恐ろしい」


 母親ながらもわが子の力に驚いてしまう。



「もっとも、アレスがやっちゃえば治まるんだけどね。えへっ」


「そ、それは……そうなんですけど……やっちゃえとか……」


 思わず赤面するほどヘリアは初心だった。



「へっへっへっ、アレスはおこちゃまだからねー。あっ! おこちゃまは、ヘリアもか」


 どこの中年男だと言わんばかりのカーラだが、アレスが成熟した男なら話は簡単なのだ。



 それこそ抱いて満足させれば治まる。発情期だと百%妊娠するのだが、エルフの女はそういうように出来ているから問題は無い。



 問題なのはアレス自体が第二次性徴もおきていないこと、まだまだ子供の身体だからである。



 代わりの男を宛がうのも無理だろう。すこしの魔力に当てられたくらいなら大丈夫でも、十五年間さらされてきたのだ。



「魂から染められちゃってるものね」


 いまさら他のエルフになびく事などありえないのだ。



 それにどうやらローザの場合は複雑で単なる発情とも違うのである。


 具体的に言えば。



「母性愛とかいっぱい混ざっちゃってるから」なのである。今のところは他の肉食系エルフみたいに性的に襲うことは無く。どちらかと言えばスキンシップで満足しているから、黙ってアレスを宛がっておけば被害も出ない。



「しばらくはアレスに我慢してもらおうかしら」


 ちょっとかわいそうかなと思いながらも「むふふっ」と笑ってしまう辺りはカーラらしい。



「でも早く魔力を制御できるようになってもらわないとダメね」


 何か手を考えなければと考えてみることにした。



「そうですわカーラ様。いつまでも族長を空白にするわけにもいけません」


 魔力の制御が出来れば普通にエルフの社会に入ることも出来る。空白の族長を埋めるためにもアレスの成長は不可欠なのだった。



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