第20話 切り札

 そして翌朝。朝食を食べ終えて外に出たマリーは、アトリエ前の広場でイトミクと静かに術技の訓練を行っていたアユムの姿を目にする。特訓を始めてからというもの、彼はいつもマリーより早く起きて、頼んだわけでもないのに朝食の支度をし、朝早くからトレーニングに励んでいる。殊勝なことだが、今日の彼はいつもと雰囲気が違っていた。


「おはよう。ずいぶん調子がよさそうね」


「わかる? さっさと始めようぜ。試したいことがあるんだ」


「言うじゃない。それじゃ、お手並み拝見ね。召喚――イクシリア」


「召喚――イトミク」


 アユムがイトミクを召喚したところで、マリーは違和感に気づく。アユムの持っている呪文札が黒いままなのだ。彼はこの数日、呪文札を使いこなすべく、苦心してようやくいくつかの色の呪文札を使えるようになったはずだ。また設定に失敗したのだろうか。

「アユムくん。知ってると思うけど、今日中に課題をクリアできなければ……」


「特訓期間が一年延びるし、街の中に籠り切り。マリーの家事雑用も続くことになるし、研究の手伝いと称した、体のいいパシリ状態がエスカレートしかねない」


「そこまで細かくは言ってないけど……。わかってはいるようね。それなら、その呪文札はどういうつもりかしら? 黒の呪文札で私に勝てると本気で思ってるの?」


 呪文札ははじめは黒色。そこから自分の魔力で設定した効果に応じて、色が変化するという特性を持っている。魔力の調整が中途半端だったりすると、色は黒のまま変化せず、発動する効果も中途半端になりがちだ。それ故に黒の呪文札はしばしば初心者の証と揶揄され、実戦で使われる機会もそう多くない。アユムだって、それはわかっているはずだが……。


「そうだよ。この呪文札はまごうことなき俺の切り札さ。昨日までと同じと思うなよ」


『男子三日会わざれば刮目してみよ』ということわざがあるが、今日のアユムは本当に昨日までの彼とは別人のようだ。黒の呪文札の特徴を知ったうえで、戦術に組み込んでいるらしい。

 マリーといえど油断はできないが、師匠としては弟子が考え抜いた戦術が少し楽しみでもある複雑な心境だった。


「……そう。あとで後悔しても遅いわよ!」


 先に動いたのはマリーのイクシリア。この一週間の特訓でマリーはアユムと彼の契約レムレスの特性や癖を見抜いていた。イトミクは契約してから日が浅いというのに、術技の習得や念動力のコントロールについて非凡な才能を持っている。だが、肉弾戦や瞬発力に欠けるという明確な弱点も持っている。

 特訓においてマリーは決して手加減をしない。弱点がわかっているのにそこを突かない選択肢はないのだ。それもこれもアユムの旅立ちを見据えての厳しさだった。……単に負けたくないという私情も多分に混ざっていると思うけれど。


「イクシリア――《影の二重太刀シャドーアサルト》!」


 イトミクが何か仕掛けてくる前に神速の斬撃で切り伏せる。イクシリアが出現させた黒い太刀の切っ先がイトミクの胴元に迫る!

 だが、アユムの方も伊達に一週間、マリーと訓練していたわけではない。イクシリアが先手必勝の行動に出ることを読んで、あらかじめイトミクに《影分身》を使うよう指示していた。


「イトミク、イクシリアに《サイコキネシス》!」


 影分身に身を隠していたイトミクが術技を発動する。普通なら、隙をついた奇襲攻撃がクリーンヒットするはずだが……アユム達の相手は普通ではなかった。

 イクシリアは瞬きする間に出現させたままの黒い太刀を地面に突き刺して、跳躍した。

 距離をとったところで、空中で片手をイトミクに向ける。


「《影銃弾シャドーバレット》!」


 マリーの指示と共に、イクシリアがかざした手から黒い光弾が撃ち出される。

 しかし、光弾はイトミクの姿を捉えることはなかった。

 アユムはイクシリアがイトミクの奇襲をかわし、反撃の一手を打ってくることをさえ予見していた。術技を指示した後すぐにイトミクを結晶石に戻し、ルビー:カーバンクルに交代で召喚していたのだ。

 交代で召喚されたカーぼうの位置は、イクシリアの真後ろ。イクシリアの超身体能力で黒太刀を振りぬいても、カーぼうの攻撃の方が早く届く位置だ。


「いっけええええっっ! 《特攻裂空撃アクセルスラッシュ》!!」


 これは避けれない――! カーぼうの渾身の爪撃がイクシリアの背を切り裂く!

 ザシュ! という手応えと共に、イクシリアの姿が霧散する。影分身だ。


「攻撃の組み立ては良かったわ。イクシリアの《影分身》さえ読み切っていれば、キミの勝ちだった。生憎、私も手加減するわけにはいかないの」


 ルビー:カーバンクルの攻撃が捉えたのはイクシリアの術技によって生み出された分身体。本体はすでに影銃弾の体制を取っている。攻撃を終え、隙だらけのカーぼうに向けて、無慈悲な黒い光弾が撃ち出される! 当たれば一撃で戦闘不能状態に陥る威力の光弾が命中しようというその瞬間、アユムは結晶石を手にしてつぶやく。


「今だ! 交代、イトミク!」


 その声でカーぼうは結晶石へと戻り、代わりにイトミクが召喚される。

 交代で召喚されたイトミクは反射に近い速度で、防壁を発生させる。

 以前、ギアノロイドとの戦いや、ルビー:カーバンクルとの戦闘でも見せた、攻撃を反射させる、念動力による防壁だ。ここまでの訓練で、イトミクは防壁を術技と呼べる精度まで成長させていた。


「《念磁反射壁リフレクション》!」


 アユムが飛ばした指示にリンクして、イトミクは両掌から念力による反射壁を構築させた。黒い光弾はイトミクの反射壁によって、反転、イクシリアへ向かっていく。

《念磁反射壁》は強力な効果の反面、魔力の消費が大きく、反射する術技の威力によって、魔力の消費量が大きく変わる特性を持つ。基本的にそう何度も使える術技ではないのだ。

 今回反射したのは、当たれば一撃で戦闘不能までもっていかれる威力の影銃弾。魔力の消費も桁違いに大きく、契約主であるためイトミクと魔力を共有状態にあるアユムも全身にひどい倦怠感を感じるほどである。


 ここまでの流れのほぼ全てがアユムの作戦だった。


 イトミクとカーぼうが交互に入れ替わることで、イクシリアの動きを翻弄することに始まり、カーぼうはイクシリアの影分身を剥がすことに注力する。隙をさらすような攻撃をしたのもわざとである。隙をさらすことで、イクシリアの攻撃を誘導した。大技を仕掛けてくるタイミングで再びイトミクに交代。《念磁反射壁》により、イクシリアの攻撃を反射させてチェックメイト。思い描いた絵図の通りに作戦は進行していた。


 恐るべきはアユムの想像の上を行くマリーとイクシリアの対応力だ。


 並みのレムレスではないイクシリアは、マリーとアイコンタクトを取り、瞬時に迎撃態勢を取る。自分に向けて反射された光弾を、腕から出現させた黒太刀で両断する。

 真っ二つになった光弾はイクシリアの両脇の地面に着弾し、衝撃で大きな砂煙が巻き起こった。


 イトミクは砂煙を利用してイクシリアの背後に迫り、カスカスの魔力しか残ってないのにかかわらず、《サイコキネシス》による攻撃に出ようとしている。見上げた根性である。

 さしものイクシリアもノータイムで連続で術技を使用できるわけではない。

 イトミクのこの攻撃はイクシリアに届く。


 ――マリーさえ、いなかったなら。


 前も見えなくなるくらいの砂塵の中、マリーはイトミクの姿を捉えていた。


 実に、惜しかった。アユムとレムレス達が組み立てた攻撃の連鎖は、間違いなくこの一週間の中で最高だった。イトミクがこの短い訓練期間の中で、高等術技である念磁防壁を習得したのは予想外だった。あの反抗的な性格のルビー:カーバンクルが、アユムの指示に一挙手一投足、忠実に従ってイトミクとのコンビネーション攻撃を仕掛けてくるなんて夢にも思わなかった。


 マリーの当初の想像に反して、弟子は目覚ましい成長を遂げている。

 弟子の成長を労ってやりたい。だが、世間の厳しさ、強者の実力を示すのもまた師匠の務めである。マリーは心を鬼にして、手にした呪文札を煌めかせた。


「攻撃の組み立ては見事だったわ。私の呪文札による攻撃さえなければ、君の勝ちだった。ほんの一歩だけ、詰めが甘かったわね」


「……それはどうかな?」


「強がりもここまでよ! くらいなさい!」


 雷光の速度の一撃を放つ攻撃系呪文札【ショック】。発動すれば、イトミクの体力なら一撃で戦闘不能にできる。回避不能の、まさしく電光石火の一撃である。


「呪文札起動――」


 マリーが呪文札を発動しようとした瞬間、アユムはニィっと笑った。まるでその瞬間をずっと待ち望んでいたかのように、笑ったのである。


「今だ! 速攻魔法発動! 呪文札起動――【ハンド・デストラクション】!」


 マリーの呪文札の発動より、ほんの一瞬だけ早く、アユムは呪文札を発動した。

 その結果――マリーの【ショック】による雷光はなぜか発動せず、イトミクは攻撃の準備に入る。この間、マリーは必死に今の不可解な現象を理解しようと頭をフル回転させていた。

 起動した呪文札が発動しないなんて前例、聞いたことがない。アユムは一体、何をした?

 理解できない。あの黒の呪文札におそらくその秘密が隠されているはずだが……。

 終始冷静に試合展開をしていたマリーに、この瞬間、おそらく一週間の特訓期間で初めての隙が生じた。


「イトミク、【サイコキネシス】!」


「っ……しまった!」


 アユムが発動した呪文札の予期せぬ効果によって、動揺したマリーの指示がワンテンポ遅れる。その間にイトミクの攻撃準備は終わっていた。


 決まる――!


 アユムはそう思っていた。この攻撃は通ってしまう。マリーさえ、そう思った。

 この場にいる誰もが、イクシリアの力を見誤っていた。


 イクシリアもまた、主同様に相当な負けず嫌いであった。このままやられるわけにはいかない……と、不格好ながら無理矢理体を動かし、腕から生やした黒太刀でイトミクを切り伏せんと動いたのである。すでに攻撃態勢に入っていた、イトミクにとってはまさに不意打ちの攻撃であり、回避できようはずもない。切っ先を命中させただけで、イトミクは光の粒となって結晶石の姿に戻ってしまった。

 アユムにしてもイクシリアがあの体制から反撃に打って出てくるのは予想外だった。


 だから――ずっと、ずっと隠していた切り札に頼らざるを得なかったのだ。


「お前、すごすぎるぜイクシリア。だが、これで終いだあああああっ!」


 アユムは懐から取り出した白の本を思い切りイクシリアに投げつけた。

 彼が投げつけたそれはただの本ではない。退魔の封殺を貼られており、触れたものにすさまじい電撃――ルビー:カーバンクルが一瞬で黒焦げになる程の威力の電撃が襲ってくる。

 落雷が落ちたかのような爆音が周囲に響き渡り、勝敗は決した。

 プシュー……と全身に雷のダメージを負ったイクシリアが今、ゆっくりと膝をついた。


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