第15話 呪文札

 アトリエ前の広場で向かい合った二人は、マリーの指示でお互いにレムレスを召喚する。アユムはイトミク。マリーはイクシリアだ。ルビー:カーバンクルは結晶石に封印されている状態が嫌いらしく、呼び出されてもいないのに勝手にアユムの後ろで特訓の様子を見物していた。


「さてと……まずは基本的なことからおさらいよ。もらってきた呪文札スペルカードを出して」


 マリーに言われてアユムは5枚のカードを手にする。あらためて触れてみると、つるつるしているが滑り落してしまう感じではなく、手になじむ不思議な質感だ。


「……そして、これが私の呪文札よ」


 マリーは自分の呪文札を手に取って、アユムに見せてやった。

 彼女が見せたカードも5枚だが、アユムのカードとは色が違う。アユムが持っているカードは5枚とも黒色だったが、マリーのは1枚ずつ違う色をしていた。

 違うのは色だけではない。アユムのカードは黒一色で何も書かれていないのに、マリーのカードは中央にイラストが書いてあって、下半分に説明文らしきテキストが見たこともない文字でつづられている。書かれている内容はアユムにはわからなかった。わからない……が。なぜか無性に興奮した。初めて目にした呪文札はアユムの趣味嗜好しゅみしこうにがっちりとはまったらしい。


「うおおお、なんだコレ! めっちゃかっけえ~っ! この絵とかマリーが書いたの?」


「違うわ。それにしても……随分なはしゃぎようね。何か思い出した?」


「いや、そういうわけじゃないんだけど……ねぇこれ、なんて書いてあるの?」


「呪文札の内容は他人には読めないようになっているのよ。参考書にも書いてあったでしょ。君って、テストが終わったら、覚えた知識すっかり全部忘却するタイプね」


「よくわかってるじゃん」


「褒めてないわ。で、話を進めるけど。呪文札は己の魔力を媒介にして様々な効果を発揮する道具なの。色によって大まかな効果はわかるけど、詳しい効果については呪文札の持ち主以外にはわからないのよ。対戦相手の呪文札の色から効果を予想するのも、駆け引きの一つね」


 発動する効果によって、必要な魔力量は変わってくる。強力な効果を発動させようと思えば、それだけ魔力の負担も大きくなるわけだから、操獣士テイマーも大変だし、操獣士と結晶石を介して魔力を共有しているレムレスのパフォーマンスにも影響してしまう。

 使役するレムレスと呪文札にかける魔力のバランスが重要であり、魔力量は人によって違うため、魔力バランスの調整は操獣士としての腕が試される。クランリーダーなど上位の操獣士は皆、自分のレムレスとの相性を考えて、呪文札を構成し戦術を組み立てている。

 つまるところ、重要なのは単純な魔力量よりもレムレスの能力を踏まえた構成力なのだが……それをアユムに説明したところで理解できないだろう。何しろ彼はレムレスに関する記憶のほとんどをなくしており、ついこの間レムレスと契約できるようになったばかりなのだ。ユニオンの試験に合格してライセンスカードは持っているから、各属性の相性ぐらいはぼんやり理解しているだろうが、所詮その程度だ。その他のあらゆる常識に欠けているため、はっきり言って今のアユムの知識は、初等部の学生と大差ない。厳しいようだがそれが現実なのだ。


 とはいえ町の外でフィールドワークを手伝うなら、不意の戦闘に備えて呪文札を扱える必要があるのもまた事実。数分逡巡した後、マリーは手始めにと初歩的な調整術をアユムに教えることにした。


「いい、アユムくん。キミが持っている呪文札は何も登録されていないまっさらな初期状態なの。そのままじゃ、ただの紙切れに過ぎないわ」


「じゃあ、どうすればいいんだ?」


「結晶石でレムレスと契約するときと同じ。呪文札に自分の魔力を流し込めばいいの。頭に思い描いたイメージに従って呪文札の効果が決まるし、流す魔力の量によって、発動する効果の大きさが変わってくる。あとは発動のための祝詞――呪文札起動スペルオンと唱えればいいんだけど……ここまで大丈夫?」


 全然大丈夫じゃなかった。

 マリーは簡単そうに言うけれど、そもそも魔力って何? っていう状態のアユムにとってはカードに魔力を流し込むということからして、直感的に理解できない。言ってることはわかるが、具体的なイメージがまるで湧かないのである。


 ただし――一緒に話を聞いていたレムレスは別である。


「ふぅん……なるほどね。おおよその仕組みは把握したよ。操獣士の腕次第で、呪文札の効果も千差万別ってことか」


「その通り。どうやらカーバンクルくんの方が操獣士に向いてるみたいね」


「待て待て待て! カーぼう! さっきの話聞いて意味わかったのか!?」


 するとカーぼうは哀れみに満ちた瞳で主人を見つめる。


「こりゃ……主従交代の日も近そうだね」


「そもそも、魔力を流し込むってのが俺にはわからん!」


「んー……と、アユムが想像しやすいように説明すると……空のコップに水を注ぐ感じかな。注いだ水の量でコップの重さが変わるだろ?」


「まぁ、そうだな」


「発動効果のイメージについては、そうだな……コーヒーフィルターを思い浮かべろ。同じ水を注ぐんでも間にコーヒーフィルターを挟めばコーヒーに、紅茶パックを挟めば紅茶になる。元は同じ水なのに、出来上がるものが間に挟んだものによって、まるで別物になる。魔力を流し込むのも要するに、同じようなもんだ」


「なるほど。お前、結構説明上手いなカーぼう」


「まぁな。実際、やってみた方が早いだろ。アユム、呪文札を一枚おれに貸してくれよ」


 言われるままに、アユムはカーぼうに何も書かれていないまっさらな呪文札を渡した。

 カーぼうは呪文札に自分の爪の先をちょこんと乗せて目を閉じる。

 カードにぐるぐるとした渦巻き模様が現われたかと思うと、まっさらなカードはやがて赤色のカードに変化した。カードには火の玉だろうか、口から火球を吐き出すレムレスの姿が描かれている。心なしかカーぼうに似ていた。


「……よし、できた。こいつを手に持って、書いてある文字をそのまま読んでみなよ」


 カーぼうから渡された赤の呪文札には、火球を吐き出すレムレスの絵柄の下に短いテキストが記述されていた。やはり見たことがない文字だったが、不思議と文字の読み方が頭で理解できる。頭に

浮かんだ言葉をそのまま口にした。

 呪文札起動スペルオン――【ファイアボール】、――とつぶやいた瞬間、手にしていた呪文札が強く輝いて、拳大の火球が飛び出した!

 発動した火球は近くの木の幹に命中して消えた。

 カードに書かれた言葉をつぶやいただけで、火の玉が飛び出したのだ。アユムはきょとんとした顔で呆然としていた。

 そんなアユムの様子を見て、カーぼうは得意げになって話を再開した。


「今のは、おれの術技スキルを呪文札に書き込んだんだ。同じような威力だっただろ?」


「ああ、そっくりだった。すげーな。コレがあれば、俺単独でも戦えるんじゃないか?」


 二人の様子を近くで見ていたマリーは驚きのあまり絶句していた。

 レムレスが呪文札を扱うだなんて!? 

 そんな話、聞いたことがない! あのカーバンクル……人間と会話できる時点で異常だが、呪文札を使いこなしてみせるなど、もはや彼女の理解の範疇を超えていた。


「――リー。おーい、聞こえてますかー?」


 アユムの呼びかけにも気がつかずに呆然としていた彼女はようやく我に返る。


「な、なに!?」


「大丈夫かあんた。ぼーっとしちゃって」


 アユムが暢気のんきな顔でつぶやく。

 このカーバンクルに常識は通じなさそうだが、操獣士である彼にも通じなさそうだ。

 はっきし言って異常である。呪文札を一人で使いこなすレムレスなど、自分の目で見てしまった今でも信じられない。だがそれ以上に、この事態に平然としていられるアユムに対してマリーは絶句してしまう。これまで誰も確認したことのない状況なのに、なぜそんな風に普通でいられるのか。それはもちろん彼が記憶をなくしてしまっているからに他ならないのだが、厳然たる事実をまざまざと見せつけられた気がした。


 あらゆる規格外を詰め込んだようなルビー:カーバンクルに対し、マリーは思考を放棄することにした。もともと絶滅していたはずの幻獣種であり、文献の記述も少なく、生態に不明な点も多いレムレスである。そんなレムレスに対して、常識の物差しを持つべきではない、彼女はそう結論付けることにした。平たく言えば、マリーは吹っ切れた。


「……色々聞きたいことがあったけど、もういいわ。君たちを見てると……なんか、いちいち驚いてる私がバカみたいだもん」


 深呼吸して息を整えると、混乱していた頭も少しは落ち着いてきた。

 人間、やっぱし呼吸が大事なのだ。


「……ま、一応自分の目で見たわけだし、わかったでしょ。呪文札は操獣士の使い方次第で色んな事ができる道具なの。さっきの『ファイアボール』だって一つの例に過ぎないわ」


「でもさ。カーぼうが使ったカードと、マリーのカードは色が違うぞ? 色によって何か違うのか? 魔法まほうカードとかトラップカードとかの違い……みたいな?」


「魔法? 罠? 君は何のことを言ってるの?」


「いや……思わず口をついて出ちゃっただけで……ごめん。俺もよくわからない」


 不意につぶやいた言葉だが、アユム本人も意味がわかっていない様子だ。何かを思い出しそうだったが、記憶にもやがかかって先へ進めずにいる……そんな表情を浮かべている。ひょっとすると彼の記憶に少なからず関係するのかもしれないけれど、ここで考えていても結論は出ないか。一つ思い当たることが頭に浮かんだが、マリーはひとまず呪文札の解説を優先することにした。


「……君が言う魔法カードも罠カードも何のことかさっぱりわからないけど……まあいい線いってるわね。最初に説明した通り、呪文札は設定された術技によって色が変わるのよ。さっきの【ファイアボール】は対象を直接攻撃する術技よね。相手を直接攻撃したりするのは、赤のカードの特徴なのよ」


 呪文札は設定された術技によってカードの色が変わる。


 現在確認されている色は赤、緑、青、白、黒の五色。色によってそれぞれ特色があり、発動する効果によって呪文札の色が変化するため、操獣士同士の戦いでは、相手の呪文札の色から戦術を推理する駆け引きが常なのだ。


「ってことで、色ごとの特徴を大まかに説明するわね」


 マリーはメガネの位置を直しながら、まるで先生みたいな口調で呪文札の色別の特徴を解説する。


 まずはさっきカーバンクルが使った赤。赤のカードの特徴はずばり《攻撃》である。

 火球や熱線を放ち、対象を直接攻撃する効果が主だ。良くも悪くもわかりやすいシンプルな効果が多いが、シンプル故に魔力を込めた重い一撃に対処するのは容易ではなく、場合によっては赤の呪文札一枚で勝敗が決することもある。ちなみに赤色だからといって炎系の術技に限定されるわけでは無く、稲妻や水流弾など対象に直接的なダメージを与える術技が広く該当する。【ファイアボール】や【ショック】が代表的。


 続いては、緑。緑は補助の色で、力や素早さを上昇させたりするパラメーターアップの術技が主となっている。基礎的なステータスを上昇させる効果は、派手さは無いが強力である。ただし、補助効果はレムレスを結晶石に戻すと効力が切れてしまうのが弱点である。設定する魔力レベルによって効力や効果時間が変わってくるのも特徴である。代表されるのは【アクセラレート】、【プロテクション】など。


 青も緑と同じように補助効果を付与する術技が多いが、緑がステータスアップなどバフ系の効果なのに対し、青は相手レムレスのステータスを下げたり、状態異常を付与するなどデバフ・妨害的な術技が主となっている。赤のようなシンプルな効果では無いため、使いこなすのが難しいが、使い方次第で実力以上の相手を一方的に打ち負かすことも可能で、操り人の技量が問われる呪文札だ。魔力量によって効力や持続時間が変わるのは緑同様だ。ユニオン主催の公式試合では【ウィークネス】や【ギフトポイズン】などがよく使われる。


 白は回復の色。ダメージを回復したり、相手の体力をドレインしたり、受けた状態異常を回復するなど防御的な術技がこの色に該当する。また回復だけでなく、試合場全体に作用する一部の全体攻撃や、広範囲に効果を及ぼす術技なども白に含まれる。赤は単体攻撃、白は全体攻撃といえばイメージしやすいだろうか。とはいえ強力な全体攻撃術技は大抵の場合、必要魔力が多いため何度も効力を発動するのが難しく、簡単には扱えることは少ない。代表術技は【ヒール】や【リフレッシュ】、【メテオラ】などが挙げられるだろう。


 最後に解説するのは黒。……といっても黒に関しては、あまり解説するところがないのが正直なところだ。呪文札は魔力を注いでいない状態では黒色であるため、始まりの色と言われている。呪文札の構成に不慣れな初心者操り人は、魔力量の調節が中途半端なために黒の呪文札になってしまうことも多い。各色の特徴を持ちながらも魔力量が少ないために効果の小さな術技や、他の四色のどれにも当てはまらない術技が黒に該当する。掴み所の無い独特な術技が主で、使いこなすのが難しいとされる青以上に使用難度が高く、使い手の数も少ない。ぶっちゃけ魔力調節をミスった素人の証として見られることが多い色でもある。レムレスデュエルの最高峰と目されているレムリアルヒストリアの競技シーンでも黒の呪文札の使い手はほとんどいない。


 呪文札の説明を一通り終えたマリーは、ちょっと失敗したなと思っていた。


 レムレス関連の常識が激しく欠如しているアユムにとっては、もっと丁寧に教えるべきだったかもしれない。

 確かにライセンス取得の際に学んだ内容の再確認ではあるものの、頭で知っているだけでは、ただの知識でしかない。それを実践できるかどうかは次元が違う話になってくる。

 属性による相性の有利不利すら意識できていない今の彼に、呪文札の設定まで理解できたかどうかは、説明をしたマリーにとっても甚だ疑問だった。


「……まぁ呪文札の使い方の理屈はこんなところなんだけど、自分の戦術に合わせていきなり呪文札を組める人なんて、そういないから。アユムくんも実戦を通してゆっくりと覚えていけばいいと思うわ。最低限、色ごとの特徴さえ押さえておけば、ある程度対策は練れるから」


 すると、マリーの解説中ずっと黙っていたアユムがようやく口を開いた。


「なぁマリー、一つ聞いていいか?」


「ええ。何かしら?」


「操獣士って、みんなこのカードを使って戦うのか?」


 思えばアユムは操獣士同士の戦い――デュエルをまともに見たことがない。ライセンス取得試験の際に試験官と戦ったが、あれは練習試合みたいなもので、真剣勝負ではない。当然野生のレムレスは呪文札なんて使ってこない。マリーの説明を受けて、呪文札の性質については大枠を理解できたアユムだったが、それが戦いの場で実際に使われるイメージが上手く想像できずにいた。


「まぁ、そうね。操獣士と呼ばれる人たちは程度の差こそあれ、みんな呪文札を戦術に組み込んで戦っているわ」


 事実、ユニオン主催の公式試合では呪文札の応酬が高いレベルで繰り広げられている。それにマリーもアユムに黙っているが、レムレスを用いた悪事を行う犯罪者たちも戦闘の際にはカードを使用したりするのが、残念ながら現実なのだ。

 自衛の手段という意味でも、呪文札の扱いは操獣士にとって必須スキルと言える。だから、アユムも街を出てフィールドワークをする以上、少なくとも最低限の扱い位はできるようにならないといけない。


 街の外へ出るための課題がまた一つ増えてげんなりするだろうな。そう思ったマリーだったが、アユムの顔を見て考えを変えた。

 アユムはマリーの話を聞いて笑っていた。まるで宝物でも見つけたみたいに無邪気に楽しそうに笑っていたのだ。


「アユムくん。ずいぶん楽しそうだけれど……覚えることも多いし、結構大変よ?」


「カード一枚で戦況をひっくり返す……んなこと想像したらさ、わくわくしちゃって」


 確かに呪文札の戦術的重要性は非常に高く、使いどころによっては彼の言うように戦況の有利不利を覆す……そんな場面もある。まだ呪文札について知ったばかりのアユムがそのことを理解しているなんて……思ったよりも戦いのセンスはあるのかもしれない。


 公式戦の大舞台。

 呪文札一枚で盤面をひっくり返し、観客を熱狂の渦へ誘い込む……そんなアユムの姿を想像して、彼女は柔和にほほ笑んだ。

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