第10話 シンシアの侍女達
「どうして受け入れたりなさったのですか? シンシア様」
部屋に戻ると、ヒルミは不満そうに尋ねた。
ヒルミはルーカス王のブローチを突っぱねて、問題を大きくしたかったようだ。
(この人はバカなの? それとも両国を不仲にしたいの?)
ヒルミが何を考えているのか分からない。
ならば、無難にシンシアらしく答えるしかない。
「だって……加護のお守りと言ったでしょう? 私はもう二度とあんな恐ろしい熱病にかかって死にかけるなんて嫌なの。万が一にも加護の力があるなら持っていようと思ったのよ」
両国の関係なんてどうでもいい、自分のことしか考えてないシンシアの言いそうなことだ。
「まあ! よほど恐ろしい思いをされたのでしょうね。私の考えが至りませんでしたわ。その安っぽいブローチに加護の力など本当にあるか分かりませんが、シンシア様がそれで安心されるなら、ないよりはましかもしれませんわね。分かりましたわ」
良かった。納得してくれたようだ。
しかし安心しているシンディの顔をヒルミはじっと見た。
「それにしても……熱病のあと、少しお顔の雰囲気が変わったように感じますわね」
ヒルミの言葉にぎくりとした。
「そ、そう?」
「ええ。少しほっそりとして、顔が小さくなったような……」
「や、痩せてしまったから、そう感じるのかもしれないわ。へ、変かしら?」
「いいえ。以前よりさらにお美しくなられましたわ。肌の艶も良くなったような。ほとんど絶食状態の闘病生活で、他の毒まですべて抜けたのかもしれませんわね」
「そ、そうね。顔に出ていた斑点も綺麗に消えて、本当に良かったわ」
「まったくですわ。体じゅう斑点だらけになっていらした時は絶望しましたけれど、跡の残らない病のようで本当に良かったですわ」
そういうことになっている。
ヒルミは身の回りの世話をする侍女だけに、誤魔化すのが大変だ。
「ですが……」
「な、なに?」
シンディは、次は何を言われるのかとひやりとヒルミを見た。
「お胸も少し小さくなったような……」
(ひーっ。そこまでは影武者といえども似せられなかったのよ)
自分の貧相な胸が情けない。
だがここはシンシアらしく、
「や、痩せたから小さくなってしまったのよ。ひどいわ、ヒルミ。気にしていたのに」
「す、すみません。私としたことが。失礼なことを言いましたわ。気のせいでしたわ。シンシア様はそのままで完璧にお美しいですわ。どうか機嫌を直してくださいませ」
「胸のことはもう言わないでね。ヒルミはもう見ないでちょうだい!」
「分かりました。気を付けますわ」
良かった。これでなんとかしのげそうだ。
「ところで……聞いてみようと思っていたのだけど……」
シンシアの部屋に戻ってからずっと気になっていたことがある。
「確か……侍女の数が足らなくて、ラムーザの侍女も付けたのではなかった?」
シンシアの侍女は二十人ばかりいるが、トロイの村から連れて来たはずの皆の姿が見えない。
マリッサもカレンも見当たらない。
「まあ。記憶が曖昧な中で、よくそのようなことを覚えておいででしたね」
「え、ええ。急に思い出したの」
「確かに青い目の侍女しか嫌だとシンシア様が申されて、どこからか卑しい青い目の女を五人ばかり連れてきましたけれど、どこの馬の骨を連れて来たのだか田舎くさい娘達で、まったく使い物にならず、シンシア様もずいぶんご機嫌を悪くされていたではないですか」
「そ、そうだったかしら?」
そりゃあ田舎の村娘だから貴族の世話なんて無茶だったかもしれないけど。
シンシアは皆にどんな態度で接したのかと想像すると恐ろしくなる。
「そ、それで結局どうしたのだったかしら?」
「仕方がないから洗濯や掃除などの下働きをさせていますわ。シンシア様の目に入る場所には来ないように言っていますから、ご安心くださいませ」
「そ、そうなのね。で、でも一応私の侍女なのでしょう? 病のあと、記憶が曖昧で、一度どんな侍女がいるのか全員確認してみようかと思うの。そうすれば忘れていたことも思い出せるかと思うから」
「確かに……シンシア様は病のあと、肝心なことほど忘れておられてて、心配ではあるのですけど……。そうですね。嫌なことの方が記憶に残っているのかもしれません。そこから思い出していけたら良いかもしれませんね」
「そ、そうよ。ヒルミもそう思うでしょう?」
良かった。これで村の皆が元気にしているか分かるわ。
そうしてさっそく水仕事をしていた五人が部屋に連れてこられた。
◇
膝をついて並んだ五人を見て、シンディは目を見開いた。
(なんてことなの……)
五人はグラハムからの侍女とは別の、薄っぺらく汚れた侍女服を着て、三年前別れた時よりもずいぶんやせ細ってやつれて見える。しかも……。
(マリッサ……。なんてひどい……)
気は弱いけれど、若々しく美しかったマリッサが、五人の中でも一番痩せて虚ろな表情だ。
その様子を見れば、どれほど過酷な生活をしていたのか分かる。
(ひどいわ。アーサー様。五人は村にいるより良い暮らしができると言っていたのに)
けれどよく見れば、カレンだけは五人の中でも一番綺麗な服を着て、さほどやつれていない。
「この五人は本当に字も読めなくて使い物にならないのですけど、右端のカレンだけは多少気が利くので五人のリーダーにしています。五人の仕事の割り振りなどもカレンが取り仕切っていますので、何かご質問があればカレンにお聞きくださいませ」
(そういうことなのね。カレンのことだから、きっと他の四人に仕事をさせて自分だけ楽をしているのだわ。だから一人だけ元気そうなのだわ)
だいたいの想像がついた。
五人は俯いたままで、シンディの方を見ていない。
王妃の顔を見ることを許されていないのだろう。
だが顔を上げたところで、深緑の髪色をして化粧をしたシンディに気付く者はいない。
気付いたところで王妃に話しかけるわけにもいかないだろう。
「では、カレン」
シンディが声を掛けると、カレンばかりか他の四人までびくりと肩を震わせた。
ずいぶん王妃に怯えている。
シンシアはこの五人によほどひどい仕打ちをしたのだろう。
「食事は行き届いているの? ずいぶん痩せているようだけど」
シンディは思わず尋ねていた。
カレンは俯いたまま答えた。
「はい。王妃様のお慈悲でつつがなく過ごしています。五人とも感謝の気持ちを持って日々働いております。ありがとうございます、王妃様」
カレンが答えて、ヒルミが満足そうに肯いた。
どうやら五人の中では、カレンがヒルミのお気に入りのようだ。
カレンのことだから、うまく取り入ったのだろう。
けれどそういう
急にふらりと体が揺らいだと思うと、床に倒れこんでしまった。
(マリッサ!!)
駆けて行って助け起こしてあげたかったシンディだが、ぐっとこらえる。
代わりにヒルミが金切り声をあげた。
「無礼者! 王妃様の前でそのような失態をみせるなど!」
「す、すみません……」
マリッサがか細い声で謝りながら、体を起こそうとしている。
けれど、体力が残っていないのか、ふらふらとしてまた倒れこんでしまう。
「この愚か者が!」
ヒルミが腰に差していた長いムチを取り出し振り上げた。
何に使うのかと思っていたが、こういう時に人を打つために持ち歩いているらしい。
恐ろしいことにシンディの腰にも、いつもヒルミが忘れずに差してくれている。
他の侍女達も、カレンも腰に差している。
そしてマリッサの手にはよく見るとムチで打たれたような傷跡がいくつもあった。
(だめだ。これ以上黙っておけないわ)
シンディは思わず「お待ちなさい!」と叫んでいた。
今にもマリッサにムチを振り下ろそうとしていたヒルミが驚いたように手を止める。
「ムチを下ろしなさい、ヒルミ」
「シンシア様……」
ムチは下ろしたものの、納得いかない表情でシンディを見ている。
(やってしまった……。ついに言ってしまったわ)
でもこれ以上黙って見ているなんて、どうしてもできない。
なにか弁解しないと。
「あ、あのね、ヒルミ。私は病でやせ細ってから、不健康な人を見ると自分のことを思い出してしまうの。あの苦しい思いをまたするのではないかと恐ろしくなるのよ」
「ま、まあ……。シンシア様。それで……」
「そ、それに神様との誓いもあるわ。私が侍女に
「シンシア様……」
ヒルミは今までのシンシアからは考えられないような言葉に唖然とする。
(まずい。さすがに別人過ぎる? 影武者だとばれた?)
ひやりとしたが、ヒルミはシンディの手を取って言った。
「なんとおいたわしい。よほど病が恐ろしかったのですね。シンシア様からそのようなお言葉を聞くなんて驚きましたわ。ですが、シンシア様のお心がそれで安らぐのなら、そのように致しましょう」
よ、良かった。
熱病で死にかけたことがシンシアの深いトラウマになっていると思ってくれたようだ。
「カレン! 今の王妃様のお言葉を聞きましたね。王妃様の深いお慈悲により、あなた達に新しい侍女服と食事を与えましょう。そこに倒れている者は、部屋で充分に休ませなさい」
ヒルミの言葉を聞いて、トロイ村の侍女達は顔を見合わせて嬉しそうにしている。
「はい。多大なるお慈悲に感謝致します。ありがとうございます、王妃様」
こうしてカレン達はマリッサを支えながら部屋から出ていった。
(マリッサ……)
本当はシンディがマリッサを支えてあげたかったけれど、それはできない。
(どうか命令通り、マリッサがゆっくり休めますように)
影武者のシンディには、そう祈ることしかできなかった。
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