第三話 The Eyes(1)

 その日の夜遅く。多くの人が寝静まっているであろう時間に、その青年は身を潜ませながらとある屋敷の中へと滑り込んだ。


「――ようやく心が決まったんだな。どれほど待ったことか」


 蝋燭で僅かに照らされた部屋をぐるりと見渡し、青年は首を傾げる。


「それにしてもこの部屋は暗すぎる。……何?恥ずかしいって?ははっ。可愛いことを言うな、お前は。今夜はたっぷり可愛がってやるからな。お前はもう僕のものだ…!全部全部、僕のものだ…!」


 薄暗い部屋でも分かるほど、その青年は興奮していた。恋い焦がれ続けて、どうにか手に入れたいと思っていたものが手の届く距離にある。ようやく訪れた絶好の機会に周りが見えなくなっていた青年の背後で影が一つ、素早く動いた。


「っう、あ」


 突然、異常な熱さが背中を襲ったかと思えば、青年は痛みと衝撃で床の上へと倒れ込んだ。その意識ははっきりとしていて、ただ自分が何者かに刺されたことだけは理解できた。


「っ、なんだ…?た、たす…け」


 倒れた拍子に乱れた、自分のくすんだ亜麻色の髪が視界に入る。そうして青年は、その視界に映る自分をこの部屋に招き入れた者に助けを求めるように手を伸ばせば。


「……!」


 その手は握り潰されるかと思うほどの力で違う何者かに掴まれ、あっという間に手足を縛られ、床の上に張り付けられてしまった。


「ぃ、いや…だ。たす…っ、ア――」


 痛みと恐怖で、思わず涙を零した青年のサファイア色の瞳。布を口の中に詰められ、助けを求める声も塞がれながら、その瞳には自分に向かって手を伸ばす何者かの影が映し出され。


「―――!!!」


 次の瞬間、休む間もなく襲い掛かる激しい苦痛に、青年は声にならない声を叫び続けた。


***


「――なんてこった…」


 翌朝。シートで覆われた無惨な遺体を見て、ダリウスはその言葉以外を口にすることができなかった。


「………」


 ダリウスに同行していたギルバートも何も言えず、ただ込み上げる不快感を必死に押し留めていた。


「ハント警部。第一発見者の聴取の準備が整いました」


「ああ、わかった。ギル、お前も同席しろ」


「はい…」


 遺体を隠すようにシートを戻し、二人は現場から離れる。そして案内された庭の一角で、真っ青な顔で大きく身体を震わせている女と向かい合った。


「――気が動転しているだろうが、すまない。話を聞かせてもらえるか?」


 その女はダリウスの顔を見るなり、大粒の涙を零し始めた。


「わ、私は…!ここでメイドとして仕えていて…っ、いつものように今朝、だ、旦那様にお渡しする新聞を取りに外へ出たんです…っ」


 歳は二十に満たないくらいだろうか。そのメイドは毎朝の仕事の一環で、主人に届けるための新聞を取りに外へ出た。その日はいつもと違っていて、勝手口を出てすぐの庭先に見慣れない大きな木箱を見つけたのだという。


「き、昨日の夜に他のメイドが見回りをしたときは、そんなものがあったなんて話は聞いていませんでした…っ。今朝も、そんな大きな荷物が届くって話も聞いてなくて…ふ、不思議に思って、近づいてみたんです…っ」


 近づいてすぐ、異様な匂いが鼻を突いた。気分の悪くなる重い匂いに耐えながらその木箱を見れば、釘で打ち付けてある様子はなく。なぜか本能的に身体が小さく震え出し、それでもその木箱の中身を確認しようと蓋をずらせば。


「そうしたら…!そうしたら、中に!血塗れの死体が…!」


 目の前の光景に腰が抜け、身体中が恐怖で震え、その場から動けなくなってしまった。それでも誰かを呼ばなくてはいけないという必死な思いで、なんとか助けを求める声を上げた。


「蓋を開けたとき、い、一瞬だけ、その死体の頭らしきところが見えて…っ、私、み、見てしまったんです…!血塗れの、あ、亜麻色の髪の毛を!こ、この屋敷でその色は、旦那様一家しかお持ちではないのです…!」


 ここで大声を上げて泣き崩れてしまったメイドを他の者に任せ、ダリウスとギルバートは再び現場へと戻る。シートに覆われた遺体の近くに、先ほどのメイドが言っていた木箱が確かに置かれていた。


「……あのメイドの話からすると、この遺体はやはりトリスタン・ベイリアルで確定そうだな」


「はい、そのようですね…」


 トリスタン・ベイリアル。それは現ベイリアル当主の一人息子の名前だった。そして現場は、その当主の屋敷にある庭だった。


「…ベイリアル夫人の言っていた嫌な視線の犯人が動き出したってことか…?」


「ハント警部!屋敷の使用人から、ベイリアル卿がお呼びだと言付かっています」


「分かった、今行く。……何か耳に詰めるものでも持ってくるべきだったな」


「え…?」


 応接間に入ってすぐ、ギルバートはダリウスの呟きの意味を理解した。

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