10パシリ そして誰もいなくなった

「ねぇ、お母さん。赤ちゃんもう産まれる?」


「ふふ、もう少しよ。そうね、あと月一巡りくらいかしら」


 揺り椅子に座り編み物をする母の膝に抱きつきお腹の音を聞いているミィはまだ少女と幼女の間くらいの小さな女の子だった。


「私にもやっと、弟か妹かわからないけど、できるんだね!」


「そうよ、今度からミィはおねえさんになるのよ。可愛がってあげて面倒みなきゃね」


「うん! 私頑張る!」


「それじゃあ今日はもう寝ましょうね。みんなにおやすみのご挨拶をしていきなさい」


「はーい」


 母子が語らう家は国の主導で築かれた鉱山の開拓村にあった。まもなく新しい命が誕生するとあってミィは期待に胸を膨らませ、家族はもちろん村総出で出産の協力やお祝いをする日が刻一刻と近づいていた。

 この村の名はイワミン。資源開発のために過疎化が進んだとある村から村民ごと移転させ、都市部から労働者を募ってできた村である。開拓村とはいえイワミン鉱山の有用鉱物埋蔵量はかなりのものと期待されているため、国営鉱山として開発が開始されており、イワミンは遠からず大きな街になると予測されていた。現段階でも小規模ながら守備隊や自治体があり商店や教会などの他、鉱山開発の副産物として天然の熱き湯が湧く泉も見つかりそれをひいた公衆浴場も作られていた。

 そのイワミンのある酒場ではある若者を取囲み独身最後の祝いをしていた。


「おーう! 羨ましいぞこの色男!」

「開拓村に赴任が決まった時はあんなに左遷だなんだと愚痴ってたやつが」

「もう駄目だ。田舎で老いさらばえて孤独に死ぬんだ! とも言ってたな!」

「俺たちのなかじゃ一番絶望的顔してたな!」

「それを心配してくれた村一番のアイドルを射止めやがって」

「いっぺん死ね! この幸せもんが!」


「えへへ、どーも、すいません先輩がた」


「よーし、おまえら! 明日はこいつに祝言なんかできないくらい飲ませようぜ!!!」


 よっしゃーーー!! という掛け声を期待してグラスを高々と持ち上げるべく音頭をとっていた先輩の耳には、歓喜の声ではなく次々と金属製のグラスが落ち木造の床に酒をぶちまける音だった。そして、目線をやるまもなく先輩のグラスもまた床に落ちたのだった。

 先程まで剣闘士たちが闘う競技場よりも賑やかだった酒場は、閉幕後観客が退席し終わった劇場よりも静かで、ただ落ちた酒を木造の床が音もなく啜っているのだった。



 ミリーは寝る前家族の皆にキチンとおやすみの挨拶をとても良い子だった。でもそう広いわけではない家の中はなぜかとても静かだった。さっきまでお父さんやお兄ちゃんの話し声が聞こえていたのに。なんでだろうと不思議だった。


「おじいちゃん? おばあちゃん? あれ、お父さーん、お兄ちゃーん!」


 皆を呼ぶけど誰からも返事がない。テーブルの周りには服と靴だけが落ちている。怖くなったミィはお母さんがのもとに戻ったのに、お母さんもいくなってお母さんが着ていた服がかかった揺り椅子だけがユラユラしていた。ミィは怖さと寂しさがいっぱいになって大きな声で叫ぼうとしたのに、その声は出すこと叶わず誰にも届くことはなかった。



 ◇    ◇    ◇    ◇    ◇



 奇妙な依頼がギルドに舞い込んだ。このシャンディから遠く離れた鉱山がある開拓村イワミンから定期連絡が途絶えたそうだ。本来すぐに調査隊を国が派遣すべきだが人手不足でそれもかなわいとギルドに協力が要請されていた。野盗か山賊に略奪にあったか、はたまた同盟国の裏切りが可能性としては考えられるが、何にせよ見てみないことには話しにならぬと一次調査隊が編制されることとなった。という情報をギルドで公開される前に取得したゾルゲは、開拓村という存在が初耳だったのもあって真面目に本来の任務である偵察をすることにした。


 開拓村イワミンは魔族との前線とは真逆の方向にあり、岩山や砂地といった乾燥した大地が目立ち日差しも強い地方であった。ゾルゲの転移は視界の範囲か一度でもそこに訪れ記憶に残さないと行けないものであるため、人目につかぬよう夜更けから移動を開始した。何度転移したかはわからぬが、夜明け直前に開拓村に到着できたのであった。

 赤茶けた岩山に囲まれたイワミンはレンガや木材で組まれた家が立ち並び、オアシスから川が引かれ畑も耕作されていた。住民は二百人程であろう。その鉱山に引っかかるものがあったが、まずは村の様子を見ることにする。

 朝焼けに染まる家々を伺うが、確かに人の気が全く感じない。こういう娯楽のない場所は日の出と共に起きて、日没と共に帰るものだ。井戸にも畑にも人はいない。人どころか家畜や野犬一匹うろついていない。厩舎ももぬけの殻だ。鉱山特有の毒ガスにしては死体がない。略奪にしては村は綺麗過ぎる。なんの残滓もない。いきなり村を捨てた? 考えられない。

 一軒の民家のドアを叩く。閂がかかっている。窓から覗き中に転移する。ズカズカと無遠慮にうろつくが、やはり人の気配はない。隙間から入った砂埃が棚や床にうっすら積もる。テーブルの上にはスープかシチューだかが干からびてカチカチになった皿に、齧った跡が残るカサカサのパン、椅子にかかる脱ぎ捨てられた衣服と転がる靴が大人子供幼児含め家族六人分。暫しその場を凝視し歪なモノクルを光らせる。



『魂ノ映写機【サイレントムービー】』



 ランタンが食卓を照らす。

 食事を並べる老女。

 足元に抱きつく幼女。

 腹を空かして席でわめいて待つ男の子。

 パイプをふかす老父。

 帰宅する鉱夫の旦那に息子。

 始まる食事。

 幼女にパン粥を分け与える母。

 弟を椅子に押さえつける兄。

 それを見て笑う父と老父。

 騒がしい食卓。

 落ちるスプーン。

 シチューに沈むパン。

 衣服の厚みが消える。

 家は沈黙した。



 モノクルの光が消える。音までは聞こえない術だ。なのに賑やかだった。そんなもので同情や悲哀や心痛を感じるような性根の持ち主ではないが、飛び出た鉤鼻からふぅと息を吹き出し食卓を指でなぞる。


 砂埃の溜まり具合からみておよそ月一巡り前。ずいぶんと種が粗い消失マジックであるな。このような事が可能な者は限られるが───思いあたる知人友人だけで十はいる。吾輩の身内であると少々面倒なことになる。そうでないことを祈るが───


 念のためその他の家々もまわる。


 新しい命の誕生に胸をときめかせる少女。


 翌日の祝言前に酒場で大騒ぎする守備隊。


 婚礼の準備に忙しい教会。


 鉱員の疲れを癒やす村の天然浴場。


 どこも皆各々の日常を過ごしていて、消えることに知覚していない。


 ふむ、となるとやはりあの鉱山がくさい。

 


 パラソルを振って鉱山の入口付近に飛ぶ。もう人も家畜もいないので見られる心配もない。坑道用の材木や積まれ、鉱夫達の休憩施設や資材を運ぶ家畜の厩舎が寂しく並び、風に煽られ軋む音をたてる。

 木材でできたトロッコレールが坑道へと伸び、それにそって歩みを勧めていく。灯りは手持ちのパラソルを発光させる。ランタンよりも光量があるので足元も明るくスタスタと奥へ進んで行く。途中複数の分岐があるが、その度にパラソルを立て倒れた方向に進んでいくと、トロッコのレールが終わり、手掘りの細い道へ入って行く。途中穴のサイズが手掘りから大きくなり、火薬を使って地下へ坑道を広げている様子が伺えた。そこから更に地下へと進むと急に大きく広い空間に辿り着く。三階階建ての家が三軒くらいは入りそうだ。ゾルゲほぅ、と呟き歩みを止めると、その一見何もない暗闇の中央に向かって語り始める。


「あらあら、吾輩の昔の知人だったらどうしようかと思いましたがどうしたことか。これはこれは天帝の使徒さんじゃありませんか───」


 暗闇からは何も反応がない。ただ、靄か霞のようなものが、ゾルゲを包み込むように囲んでいた。魔術素養と感能力が高い者なら気付いたかもしれないレベルの存在感だが。


「魔王との戦いの折、対魔族用に天帝によって生み出された大気の使徒。あらゆる生物も死霊も精霊もその身で包み食らってしまう恐るべき能力と、飢えて渇望し満たされぬ本能に天帝さえも扱え切れず地底深くに封印されたと聞きましたが、ここがお住まいでしたか。案外浅かったですね。まぁ坑道掘削用の火薬が発明されたせいもあるでしょうが」


 坑道を抜ける豪風の音が聞こえる。それともこの使徒の唸り声か。


「あの村を食べ尽くしても腹は満たされませんか。ま、そうでしょうな。可哀想ですねぇ貴方も。この世に産み出しておいて駄々っ子だから閉じ込めて放置プレイとは、なかなかに同情致しますよ。心からね。でも吾輩には関係ないのでこれ以上お邪魔はしません、大人しく去りますよ。ええ、天帝にも告げ口しませんよ。といってもその天帝も今はどこへやら……それでは、さようなら」


 パラソルを振り上げ転移しようとするも、先程よりも強く坑道を吹き抜ける風は、ビョォォォォ、という甲高い音に変わり、ゾルゲの周りで小石の粒子のつむじを作り転移を妨害する。


「およしなさい。いくら腹が減ってるか知りませんが、貴方が吾輩を食うのは無理です」


 それでもなおつむじは強くなり小さな竜巻に変わっていく。ふぅとため息をつき、パラソルを竜巻の外に投げると駒のように回りながら飛び、落ちた先からゾルゲが地面から生えるように現れる。


『日傘流一本しめじ(パラソルジャンプ)』


 移動先はこの大きな広い空間にやってきた入口付近で全体を見渡せるポイントでもあった。


「迷惑なんですよ、貴方」

 

 中央に向かって差し出した虹色のパラソルはぐんぐん何倍にも伸びて止まった後、その傘地は一気に広がり穴全体を包める大きさになる。


『日傘に突風直撃御猪口術(ジャイアントパラソルインパクト)』


 空間全体を包む傘地はお猪口型に変形し大気の使徒をまとめてを逃さず、細い骨組みからは信じられない圧力で岩壁に押し付けていく。


 何かが軋む

 叫ぶ

 その音にさらに圧力がかかる

 歪み

 甲高い金切り声となり

 遂には振り切れた


 坑道に響く破裂音


 いや、破裂音などという生易しいものではなく、爆発。

 衝撃により崩落する空間。土砂が使徒を封印していた広い空間を埋めていく。


 まったく、なんで吾輩が天帝の尻拭いなんか……煩わしい。見つけ次第手間賃を請求せねばな。


 振り戻すと通常サイズになったパラソルでトントン肩を叩きながら愚痴ると、振るって地上に転移する。そのまま帰っても良かったのだが、再び開拓村に戻っていた。仏頂面で村を眺め歩いた後、何か思案する。

 

 救ってやる義理は一分もないが、天帝に貸しをつくっておくのは悪くないですな。それに祝言をあげる女性はなかなかの美貌だし、あの少女は将来が楽しみだ。温泉地として賑わう街で湯に浸かりながら一杯やるのもまた一興。そうしてやるのはいいとしても、そのあとは面倒見切れませんな。吾輩が一人一人着せてまわるわけにもいかぬしな───


 儀礼用の白い手袋を嵌めた手で二度パンパンと叩くとゾルゲはパラソルを振りいずこかへ転移するのだった。


 ◇    ◇    ◇    ◇    ◇


 後日、一次調査団がイワミンに辿り着くと、村民は普段と変わらぬ生活をしており、家畜も子供も元気に走り回っていたという。いやしかしそれはおかしい、略奪や事件など定期連絡が途絶えた何かあったのではないか? と村民に問いただすと、数日前に皆が一斉に全裸になって目覚めた事件があった。食べていた夕食がカラカラに干からび、家の中は数十日くらい掃除してないんじゃないかというくらい砂埃にまみれていたそうだ。村民全員がそんな状態で誰も彼もわけがわからず、原因は全く不明でなんと報告したものかと悩みながらも今に至る。という不可思議な事件があった。

 調査団は数日村を調査し頭を悩ませたが、結局鉱山から発生した有毒ガスによる一時的な集団意識混濁事件として処理されるのであった。



 ふ〜む、なかなか優秀な調査団ですな。いいとこついておるわ。


 そんな噂話しを立呑屋『ずたぼろ』で耳にしたゾルゲは独りごちるのであった。

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