8パシリ 三染のビルス


 黒石の敷かれた通路にドウと肉塊が落ちる鈍い音がした。数コンマ前まで眼前にあった十二将軍末席に座す者の影は足元で蠢いていた。自分の身に何が起きたか数拍の間理解できずに呆けた口が閉まらなかった。



 首と胴は切り離されることなく───


「な、な、な、な、何を───」


 ゾルゲは尻もちを着いていた。


 アシュランの奥義、知覚することさえ困難な抜刀術は───


「と、と、と、突然何をなさるのです! ア、ア、ア、アシュ、アシュ、アシュ、ラン殿!」


 空を切った



 自身が鞘から引き抜かれたことさえ気付いていないであろう、曲線美を魅せる剣は城内の岩壁に切っ先が僅かに食い込んでいた。


 ありえぬ……と自身が言葉を発したことさえ気付かずアシュランには珍しく動揺の色が───


「何か無礼なことでもしでかしましたか吾輩⁉ あ、あれですか! 淫魔のリリーが淫魔の癖に貴殿にベタ惚れしてるもんで困ってるとか。アレ吾輩は言いふらしてませんよ!」


「なぜ、貴殿が知ってる!」


「あ、やっぱり噂は本当でしたか……」


「クソッ! 誘導尋問か!」


「いやこの状況、むしろ尋問されてるというならそれって吾輩の方なんですが」


 ゾルゲ殿! と、納剣と大声で動揺を隠す。


「は、はい?」


「やはり我が奥義を避ける貴殿は只者ではない。なぜ爪を隠しそんな末席などという身に甘んじておられる?」


「は? ち、違いますって! 尻もちついてるじゃないですか! 足滑らせたんですよ! ツルっと!  じゃなかったら胴と頭がおさらばしてましたよ!」


「足を滑らせた……そんなもので師を超えた我が抜刀から逃れられるわけがない」


「そ、そんなこと仰られても、それ以外言いようがございません。カラスにどうやって羽を黒くするの? と聞いてるようなものでございます」


 

 その言葉に先日ブリコスと話したときの記憶が蘇る。───芋虫にどうすれば蝶になれるのか?───軽く馬鹿にされながらな───



「カラス───か、そうか。貴殿の真の実力が見たくて試させてもらったが見当違いだったようだ。騒がせたな」


「そ、そんな誤解で吾輩死にかけたんですか⁉」


 身を翻してその場を去ろうとする襲撃者に抗議の意を込めた叫びを投げかける。


「我が抜刀術は未来視の能力を持つ者さえ切り裂いた」


「は?」


「この意味がわからぬそなたではあるまい」


「えっ、ちょっ、えーーーーー! それだけ⁉ 意味わかりませんよーーー⁉」


 答えにならない答えを返され呆けた口を開ける男を一瞥することなくアシュランはその場を後にするのだった。

 尻もちを着いたままポカンした表情で黒騎士の姿が視界から消えるまで見送ったあと、岩壁に手を付きヤレヤレと息を吐き出しつつゆっくりと立ち上がる。


 いやはや恐るべき剣筋ですな。ですが、この吾輩の尻を地に着けたこと、すこーしばかりお返しさせてもらいますよ……


 お尻をパンパンはたきながら襲撃者が消え去った通路の闇を睨むのであった。



 ◇    ◇    ◇    ◇    ◇



 これではっきりした


 ゾルゲ


 奴が隠すのは “爪” などという生易しいものではない───


 いったい何を企んでいる……



 数日後



 魔王軍全体に『魔剣のアシュラン』が、『淫魔のリリー』に、ベタ惚れしてるという噂が広がっていた。


「お、おのれ……なんと卑劣な真似を───!」



 ◇    ◇    ◇    ◇    ◇



「魔王様に拝謁したい? お主知らんのか?」


「何が───でございますか? 拝謁に特別な条件とか……」


「我軍、恋愛くらい自由じゃぞ。異種族間も本人達が良ければそれで良いでな。ああ、人間であることを気にしているのか? 誰も気にせんて、好きにせい。婚姻届もいらんぞ」


「なんの話ですか!」


 古代木が白鼠色に輝くテーブルに拳を激しく打ちつけ、魔剣のアシュランは死霊王ブリコスに抗議する。


「違うのか? てっきりリリーと婚約でもするのかと思ったぞ。ここ数日その話題で我軍は持ち切りじゃ。久しぶりの明るいニュースでよいでな」


「誤解でございます! 戦いに身を捧げたものとしてそんな浮ついたこと、この私がするわけがない!」


「なら早く戦争を終わらせて祝言をあげたいのう」


「違う! だいたいこの突如と湧いた私がリリーに惚れているという噂、どこをどうみたら……」


「まぁ、そこは逆だと思っとったな。リリーの方がお主に惚れているという噂はあったからの」


「そうでしょうそうでしょう、お待ち下され───その噂、まさか他の将軍達も知っているので?」


「他人のプライベートに興味のないワシの耳に入るほどだからの。お主もう少し部下や同僚と世間話くらいのコミュニケーションとった方がよいぞ」


「そんな説教を聞きにきたのではない! 私は魔王様に拝謁してゾルゲ殿のことを聞きたいだけなのだ!」


「ふむ、またゾルゲか。お主もだいぶと奴にやられておるな」


「このわけのわからん噂の出処はまごうことなきゾルゲ殿ですからな!」


「その話ではない。ふむ、そうじゃの──」


 ブリコスは居住まいを正すと、真面目な口調となった。


「以前、ワシがゾルゲのやつに自らが知りうる全魔術を教える変わりに転移の秘術の教えを請うて断られた話はしたな?」


「はい、伺いました」


「その後ワシを襲ったのは───そう、アレは、嫉妬、という感情であったのだろうな」


「と申しますと?」


「言葉のままの意味じゃ。明らかに自分の魔術より上位の術を苦もなく自在にこなせるゾルゲに対してじゃ。その嫉妬の歪んだ発露としてワシは魔王様に進言したことがある」


「む、それは……」


「ゾルゲは謎の怪しい力を持つ。もしかしたら魔王様にあだなすものかもしれません注意されたし、とな」


「その時魔王様はなんと?」


「この前言った通りじゃ、 “捨て置け”とな。 アシュラン、もしや似たようなことを魔王様に進言しようとしておるのではないか?」


「……」


「それは、奴の謎の力に対する不信や恐怖からくるものかもしれんが、冷静に考えてみよ。奴はその力を持って魔王軍に直接被害を与えるようなことはしていない。奴のもたらす情報が誤りでこちらが損害を被ったことはただの一度もないのだ。伏せている情報の百や千はあるであろうがな。、おっと、つい先頃虚威情報は流したようだがのぉアシュラン」


「戯れはおやめ下さい」


「それは、お主がなにかしたせいでもあるのだろ?」


「───はい」


 話がひとつ終えその場がお開きになるかとアシュランは思ったが、意外にもブリコスは再び口を開いた。


「さて、なぜか最近お主と話すことが増えたな。ついでじゃ、もう一つ話を聞かせてやろう。昔、魔王軍十二将軍の半数以上が魔王様に反旗を翻した事件を」


「反旗ですと⁉ そのような大事件初耳でございます」


「当然じゃ、もうあれを知るのはワシと引退した龍王とゾルゲだけであるからな……」


「ゾルゲ……」


「当時ワシは次席で主席は龍王、ゾルゲは相変わらず末席であったな。そして三席にいた将軍、コイツが反乱の首謀者、感染伝染汚染『三染のビルス』であった。疫病やウィルスという病の原因を操る非常に特異な能力の者だ」


「病を操るとは、また恐ろしい能力の持ち主ですな。自在に相手を弱体化させ死に至らしめるとは……」


「ふむ、そうじゃ。だが、コイツの真に恐ろしい能力はウィルスにあった」


「病気の原因ですな」


「ウィルスはな、病気の原因はもちろんじゃが、更に恐ろしいのは───生物の行動を操る」


「操る……催眠や洗脳のような、ですか?」


「そうじゃ。詳しい説明は省くがウィルスという極小の粒を体、脳、魂に感染させ増殖させる。そして周りの者に伝染し、ウィルスに汚染された街の住民は丸ごと意のままに操られる。さらに恐ろしいことにビルスのウィルスは肉体さえあればワシら不死族にも感染したのだ」


「淫魔や夢魔が催眠洗脳するのとは桁違いですな……」


「そう、間違いなく奴は次期十二将軍主席であった。あの者にも嫉妬したものじゃ───じゃが、奴はその能力に増長し自惚れた。十二将軍主席どころか魔族そのものを支配しようと魔王様に反旗を翻した。ワシと龍王とゾルゲの三人を除いた八人をウィルスに感染させてな」


「なぜブリコス様達は感染から免れたのですか?」


「わからん」


「どういうことです?」


「ひとつ言える事がある。その日は珍しく魔王様の分霊がご来臨されてな、ああ───お主も知ってると思うが魔王様は天帝によって魔界の地の底に磔にされておるが、自分の分霊だけは扉がある魔王城に来臨できるのだ───そこで御前会議となったわけじゃ。あの時はビルスがもっとも先に魔王城に登城し部屋に入った者全員が感染する罠を張っていた。続々と集まる将軍達はその罠にかかり気付かぬうちに皆ウィルスに感染していった。龍王とワシは最前線での戦闘が長引いていた関係で出遅れ、登城できたのは十一、十二番目であった。そしてゾルゲは今と変わらず人間界に行っていた関係で登城したのは十番目。これが何を意味するものか?」


「ゾルゲ殿が罠を見破りお二方を守った?」


「かもしれん、がそれを確かめる間もなかった」


「激しい戦闘が行われたでしょうからな。何せ九人の将軍相手ですから───」


「いや、ほんの一瞬であったよ、魔王様の分霊によってな」


「一瞬ですと、どうやって? いくら魔王様といえど分霊では力もでない───」


「そう思うじゃろ? 瞼を閉じたつもりもないのに、終わっておったよ。『死罪』ただその一言だけでな」


「そんはわけが……」


「誠じゃ。なんの───なんの力の脈動も感じなかったのを記憶している。そよ風どころか、天井から垂れ下がる蜘蛛の糸一本揺れておらんかったよ」


「いったいどんな術を……」


「さてな。ビルスが “魔族を支配する” “その座を貰い受ける” などと短い口上を述べてな、ワシら無事だった者達が呆気にとられたかどうかの間で、感染していた八名とビルスは死罪の一言でチリも残さず消滅しておった。あぁ、魚卵を指で潰した時の音くらいはしておったかな」


「さ、さすがは、魔王様……」


「ワシも龍王も状況を理解し震え上がるまでにしばしの時間を要したよ」


「ゾルゲ殿はどう……」


「奴はな、笑っておったよ。愉悦の笑みというやつじゃな。さ、話はこれで終いじゃ。お主はリリーと宜しくやっておれ」


「ブリコス様!!」


「ヒョヒョヒョヒョヒョ……」


 空気が抜けていく皮のふいごのような音で笑うブリコスは、姿を消して軍議の広間から出ていく。残されたアシュランはなにを思うのか───白鼠色のテーブルと同色の背もたれの高いハイバックチェアに腰をかけ、たった今された話を脳内で反芻し『死罪』と、ただ一人聞くものもいない呟きを発するのだった。

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