第31話 闇への誘惑

「誰にも邪魔はさせない。竜は倒す、たとえ世界がどうなろうとも俺には関係ない」


 ラズリは剣をかまえ、竜――自分に飛びかかってきた。避けようとしたが、まだ自分のこの意識と身体がうまくシンクロしないのか、今度は身体が動かない。


 ラズリの刃が皮膚を切る。痛かった、かすかな痛みだが。

 続けざまにラズリの刃は自分の身体を切り刻んでいく。すぐに致命傷を与えようとしないのは彼の憎しみがあってのことかもしれない。

 たくさん苦しんできたから、竜もその分苦しむべきだ。たくさんの命を奪ったのだから、その痛みの分も苦しむべきだ、そう言われている気がする。


 ラズリの刃が大きく振り払われると今までよりも強い痛みに、さすがに「グオッ」とうなり声が出てしまった。腹部が大きく斬られたようだ、血が流れ、皮膚を伝うのを感じる。


「やめて、ねぇ、やめてよぉ!」


 ピアがラズリの元に駆け寄り、彼にしがみついた。


「竜は、竜は、たださびしいだけだったんだよ! たった一人の存在になって、さびしいんだ! そのさびしさが暴走してしまったんだよ! ラズリさんもわかるでしょ! 竜は悪くないって」


 ラズリを止めようと、いつも陽気なピアらしくなく泣きわめく。ピアだって苦しいはずだ、お母さんと会えなくなったのは竜のせいだとわかっているはずなのに。


「それに竜がいなくなったら、本当に世界は滅びちゃうんだよ! 僕達やラズリさんは竜の被害にあったけれど、この世界には何もあっていない人々だっているんだ。そういう人々を消してもいいの! 本当に、いいのっ⁉」


 ラズリはピアを見て唇を引き結ぶ。


「だが、俺はずっとこのためだけに生きてきた……! 家族の無念を晴らすこと。そして竜の血を浴びてからの身体の痛み、苦しみをずっと耐えながら、いつか竜を葬れば終わると信じてきたんだっ!」


「それでもだよ! 僕だってツラいよ! お母さんの仇を討ちたいって思うよ! でもルディは悪くないっ、ルディは優しいヒトだ! だから僕はルディを助けたいっ。ルディが苦しまなくて済むように、竜が苦しまなくて済むようにしてあげたいよっ! だってルディが好きだもん!」


 ラズリはピアを見なから剣を握る手とは反対の手を握りしめていた。目の前には積年の憎しみの対象である竜がいる。竜は今、身体がうまく動かず、命を奪うなら絶好の機会だ。

 しかしラズリは動かない。動くことに迷っている。心なき者なら身体にしがみついている子ウサギを押し退けて竜を斬ればいいだけのこと。


 ラズリは目を細め、しがみつくピアを見ている。ピアの言うことはわかる、ピアの抱く希望もわかる。そしてピアを押し退けることができないのはラズリが優しいから。きっと幼くして亡くなった弟と、ヒトと獣人の違いはあれど重ねているのかもしれない。


 ルディは“竜の中”で考える。

 どうしたらいいのだろう、みんなが幸せになるにはどうしたらいい。自分は……しでかしてしまったことの罪を償いたいと思う。

 けれどそれをラズリや他の者達が許してくれるかはわからない。それでも何かができるなら何かをしたい。

 本当はこれ以上の被害が出ないように自分が消えてしまえばいいのだけど、世界の理がそれを許してくれないから。


 ……どうしたらいいんだよ。

 俺はどうしたら。なんで。

 なんで俺は自分のことが自分でなんとかできないんだよ。いつも誰かに助けてもらって、知らずに誰かに被害を与えて。

 俺はみんなといたいだけなんだ……!


 ルディの苦悩とはよそに、甲高い笑い声がどこからか響いた。この状況でそんな不届きなことをしてくるのは、アイツしかいない。


「あははは、ルディ! すごくカッコイイじゃない! その姿なら誰もが平伏すと思うよ!」


 青いローブを揺らすハロルドが笑いながら空中に立っていた。


「でもルディ、かわいそうだね。キミは何もしていないのに、みんながキミを嫌っている。キミを殺したいほど憎んでいる。こんな世界なんて守る価値ある? ヒトが淀んだ気持ちでいるから他の竜も死んでしまったんだ。そんなヤツら、守る価値なんてないよ!」


 ハロルドはルディの目の前に漂い、片方の瞳をのぞき込んでくる。多分自分の瞳はラズリの片方の瞳同様、今は深紅色なんだろうなと思う。

 今なら握りつぶすこともできそうなほど小柄なハロルドは天使のように優しい笑みを浮かべながら恐ろしい言葉を述べた。


「ルディは静かにこの世界で暮らしたいんでしょ。なら他の生き物はみんな始末しちゃえばいいんだよ!」


 足元にいるピアが「なんて恐ろしいことを!」と悲鳴を上げるが、ハロルドにとってはそれが渇望するものだ、他者の苦しみ……強いては兄リカルドが苦しむ姿が。


「ルディ、リカルドなんかといるから余計苦しむ  ことになったんだよ。あいつが中途半端にお前に優しくするから。お前の片竜を生み出すなんて無謀なことを企むから。何年も森の中にこもって全然進歩がないじゃん……ねぇ、そう思わない? ボクの力を貸してって言ってくれれば喜んでこの闇の力を貸すよ? キミが望めば一瞬にして全ての命を消してあげるよ? そうすればもう苦しくなんてないよ」


 それはとても自分勝手極まりなく、非人道的なことではあるが。

 けれど自分が苦しまなくて済むようになる魅惑的な言葉かもしれない。

 自分はただ、この世界で静かに暮らしたい。


(……俺の望みは――)

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