第27話 覚醒

 黒いコウモリは咆哮を上げると高い位置から滑降した。狙いは真下にいたラズリだ。

 ラズリはすぐ臨戦態勢を取り、剣を抜く。竜を斬ったことがあるという剣……刀身はきれいに研ぎ澄まされ、細身だが切れ味はよさそうな代物だ。


 ラズリは剣をかまえ、真上を見据える。左の深紅色の瞳が先程自分を睨んだ時のように瞳孔が細くなり、獲物を捉えていた。


『あの目……』


 肩の上で静かにしていたリカルドが驚いたように声を発する。あの目は、やはり何かがあるようだ。見ているこちらも身体が熱くなってくる。


 黒いコウモリは咆哮と共に牙を向き、ラズリに襲いかかろうとした。

 しかし態勢を整えていた手練の敵ではない。

 ラズリは攻撃を簡単に避けると、かまえた剣を横に払ってコウモリの首を斬り落とした。


 コウモリは叫ぶ間もなく噛みつこうとした表情のまま、頭が飛び、身体が落ちる。

 だが地に落ちる寸前でどちらも煙のように消えてしまった。


「す、すごいっ」


 ハロルドの放った呪いを、コウモリを、ラズリはヒトの身なのに一瞬で葬り去った。竜を狙っていると言うだけはある。


 コウモリが消えると辺りの氷が急速に溶け出し、蒸気を発する。土からも山からも蒸気が立ち上り、空気があたたかくなっていく。

 ディアが安心したように目を閉じたまま息をついている。どうやらこれで呪いは消えたようだ。


(よかった、よかった……これならピア達もきっと)


 ルディは安堵する。

 その一方、肩に乗るリカルドが何かを察したのか周囲に目を向ける。

 いや目を向けた先には……ラズリがいる。


「さっきの子ウサギの魔法の暴走、本来なら周囲にいる者は全て凍りつく。ヒトも獣人も“普通”なら凍りつくほどのものなんだ」


 突然、ラズリがそんなことを言い出した。コウモリを斬った剣を右手に下げ、ルディに深紅色の瞳を向けた。


「だが、あらゆる攻撃が効かない種族もいる。それが強大な力を持つ竜だ。竜は竜でしか傷つけられない、竜はたとえ魔法の暴走に巻き込まれても凍らない、傷つかない、死なない。だから俺は竜を追っている……俺にしか竜はやれないから」


「ラズリ……」


 ルディは胸を押さえる。なぜか動悸がしてくる、今からとんでもないことが起こる気がする。

 いけない、知ったらきっと苦しくてつらい……けれど知らなければならない。全てを思い出さなくては。

 自分の本能的なものがそう騒ぐ中、ラズリの剣の切っ先がこちらを向いた。


「……お前はどうだった、ルディ?」


 お前はどうだった。

 その言葉が示すものは。


「ルディ、子ウサギの力が暴走した時、お前は凍りついたか。この凍てつく寒さの中、なぜ動くことができた。他の生き物は全て凍っているのに」


 ラズリが一歩、こちらへ歩み寄ってくる。彼の持つ剣の切っ先は変わらずこちらを向いている。

 その剣がキラリと光る。まるで獲物を見つけ、逃さないとおどすように。

 怖い、ラズリが、怖い。深紅色の瞳が。


「ルディ、お前の瞳も俺と同じ色をしている」


「瞳……?」


 剣を向けていたラズリだが、ルディが呆けている一瞬にして間合いを詰め、手を伸ばしてきた。

 彼がつかもうとしていたのは自分の黒髪を覆う赤いバンダナ。ラズリの剣を持つ手とは反対の手が、バンダナに触れようとした――その時、肩に乗っていたリカルドがシャアと威嚇し、ラズリに飛びかかる。


「リカルドッ⁉ 何して――えっ⁉」


 リカルドはたった今の今まで肩乗りサイズのネコの姿をしていた、はずだ。

 だが飛びかかると同時にネコの姿は変化し、青い体毛を持つ巨大なトラとなっていた。


 トラはラズリを青いギラつく目でにらみ、相手を食いちぎることができそうな牙をのぞかせる。


『こいつに触れるな』


 いつもより低い声音。そして恐ろしい目つきで真正面からそう言われれば、弱い者なら怖気づいてしまいそうだ。

 けれどラズリは怯まない、むしろ深紅色の瞳の中心を細くし、トラを睨むヘビのようになり、リカルドを見返している。


『てめぇは何者だ』


「そんな大層なもんじゃない、俺はヒトだ。だが、ただのヒトじゃない。竜によって望まない身体に変えられたんだ」


 ラズリは剣を再びかまえ、今度は切っ先をリカルドに向けた。


「竜の血、それを左目に浴びた時から、俺は変わってしまったんだ!」


『竜の血だとっ⁉』


 言葉をかわし、二人は間合いを詰めた。

 ラズリはマントを大きくはためかせ、剣でリカルドの牙を止め。牙の攻撃を防がれたリカルドは五本の爪を立ててラズリを引き裂こうとしたが、後ろへと飛んだラズリにかわされた。


『竜の血、てめぇがなぜ竜を傷つけ、血を浴びることができた! 竜は竜によってしか傷は与えられない。竜の血を浴びることなんてできねぇぞ!』


「あの時――」


 ラズリはリカルドからわずかに距離を取り、その真相を語る。


 竜を追っていたラズリは偶然訪れた土地で、竜と遭遇することができた。竜は自我もなく暴れ、ただ破壊を繰り返していた。

 それは偶然だったのだ。竜は自らの爪で、自らの皮膚を刺してしまった。そこならダメージを与えられると呼んだラズリは、そこを狙って剣を突き立てた。


 あふれる赤い血、痛みに叫ぶ竜。

 返り血を浴びる自分。

 血が左目に入った時、燃えるように熱くなった。あまりの痛みに叫びながらラズリが無我夢中で剣を振ると、なぜか竜の鱗を傷つけることができたのだ。


“”コレなら竜を……ヤレル……”


 その時の竜は逃がしてしまったが、それからもラズリは竜を追い続けた。何度も竜と対峙し、竜を追い詰めたが竜はいつも逃げてしまう。各地を旅して話を聞き、竜が世界の要であることも他の七体が死んだことも知識多き者達から学び、全てを知ることができた。

 竜が死ねば世界は死ぬ、それがわかっても。

 それでもラズリは竜を狙っているのだ。

 ただ復讐のために。


「俺は元から魔力はないが魔力を感じることや封じることができるようになった。だからさっき暴走した子ウサギも眠らせることができたんだ。多分、これは竜の力なんだろう、何者も抗えない力だ。それはお前にもあるんだ――ルディッ!」


 ラズリは狙いを変え、再びルディへと間合いを詰めた。その動きは普通のヒトとは思えず、やはり彼が特殊な力を得たヒトなのだと思わざるを得ない。

 ラズリの剣が素早くなぎ払われようとしている。その前にトラと化したリカルドが動き出していたが――それよりも先にラズリが動いていた。


 ラズリの深紅色の瞳が、燃え盛るような動きを見せる。その瞳に捉えたのはルディではなく……。


『――っ⁉』


 青い体毛のトラがピタリと動きを止める。トラは目を見開き、瞬く間に巨大だった身体を縮小し始める。


『なん、だとっ……!』


 リカルドの身体はトラよりも小さく、さっきのネコよりも小さく、手の平サイズのトラなのかネコなのか。どっちとは断言できないものになってしまった。


 リカルドは慌てたようにその場でジャンプを繰り返している。どうやら身体のサイズを変えられただけでなく、魔法が使えないようだ。


 さっきラズリは言っていた、魔力を封じることができる、と。

 最強の魔法使いがいともたやすく攻撃を封じられ、何もできない姿に変えられるなんて。


「最初からこうすればよかったのか。気づかなかったなんて俺もまだまだだな。竜の守り人を封じれば竜は回復できない……さぁ、ルディ、お前の封じられた記憶を解放してやる。お前は何者だ、どんな存在だ、全てを思い出せ!」


 ラズリの手が再び動き、ルディに向かって伸ばされると。その手はルディの黒髪を覆っていた赤いバンダナを取り去った。


 頭がスッとする。覆われていたものが取れたから、いやそういう意味じゃない。

 頭全体を覆っていた“枷”のようなものが外れたというべきか。

 頭の中の血脈がドクンと動き出し、鮮明な何かが自分の中に巡っていく。


「記憶……?」


 ラズリの手に握られたバンダナは役目を終えたように黒ずみ、塵と化して消えた。

 ひときわ大きく脈が動き、全身の血が体内にあふれ返るようだった。

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