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 駅前にある商店街を一本入ると、こじんまりとした店舗がいくつも立ち並ぶ通りへと出た。


 沙代子がものごころがついた頃、駅前通り商店街を利用する客の恩恵を受けて繁盛していたこの通りは、城下町に次々と新しい店舗がオープンするようになり、すっかり時代に取り残された場所になっていた。


『ようこそ、二十日はつか通りへ』


 栄華の面影を残す、さびついた看板のアーチをくぐり抜けて、沙代子は確かな目的を持ってさらに進んでいく。


 朝早いこの時間は、ほとんどの店にシャッターが降りているが、若者向けのショップの看板がちらほらと目についた。


 二十日通りの開発が進んでいると、父から聞いて知ってはいたが、思っていたよりおしゃれな街並みへ変化しようとしているように見える。


 集客のある城下町から離れたこの通りは、年を経るごとに人の波が減り、商店店主の老齢化が進み、町をあげて若者へ誘致しようという動きがあるとのことだった。


 通りの中ほどまで進むと、沙代子はお目当ての店を見つけて足を止めた。


「看板が外れてる……」


『まほろば書房』の木製看板が、シャッターの前に粗雑に置かれている。沙代子の記憶では、この看板は店舗の入り口に取り付けられていたものだ。


 まほろば書房は、父が長年経営していた古本屋だ。読書好きだった父が買い集めた古本には貴重なものが含まれていて、それを聞きつけてやってきた人にお譲りしたことが、古本屋のはじまりだと聞いたことがある。


 趣味がこうじて始めた古本屋で、父は過ごすのが好きだった。客が来ない日でも、楽しそうにいすに座って本を読んでいた姿をよく覚えている。


『古本屋をやめる気はないよ』


 そう言っていた父の笑顔が浮かぶ。なのに、看板が下げられているってどういうことだろう。叔父も母も、古本屋はまだ手付かずだと言っていたのに。


 なんだろう。得体の知れない胸騒ぎがして、裏口へ回ると、急いでポーチから鍵を取り出し、鉄製の扉を開けた。


「あ……っ」


 沙代子は驚きの声を上げた。


 まほろば書房の店内はもぬけの殻だった。ところ狭しと並んだ本棚や、天井高くまで積み上げられた古書、手づくりの木製カウンター、愛用していたロッキングチェアーも、何もかもすべてない。


 いつからだろう。いつから、父はまほろば書房を閉めようと考えていたのだろう。


 生きがいにしていた古本屋を閉めた。それには何か事情があったはずだ。


 なぜ、気づいてあげられなかったのだろうと、何も気取らせなかった父に対する申し訳なさを感じながら、沙代子は店内へ一歩踏み込む。


「こんなに広かったんだ」


 ぎっしり古本のつまっていた店内を、何もない状態でじっくりと眺めるのは初めてだった。


 沙代子はひんやりとしたコンクリート壁に手をつく。


 ここには本棚があった。今はまろう堂にある、沙代子がらくがきを描いた、あの本棚だ。


 その隣で、父はいつもロッキングチェアーに座っていた。特にお気に入りの古本をあの本棚に入れていたと思う。


 小さな沙代子は床に座り込んで、本棚の下の方にらくがきをした。らくがきをしたのは、一度きり。あの後、父がスケッチブックを買ってくれて、それが沙代子のキャンバスになったからだ。


「お父さん、どうして本棚を……本を手放したの?」


 むなしく空を切る沙代子の問いに、あたりまえだが返事はない。


 なぜ、あんなに大切にしていたものを手放せたのか。沙代子にも大切なものはあったが、望んで捨てたものは何もない。


 もう父とは話せない。あらためて突きつけられた現実にくじけそうになる。


 仕事も恋も、家族さえも、全部なくなってしまった。今の沙代子にはもう、本当に何もないのだ。

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