第4話 プラクトの世界


 群星圏の中に浮かぶ、巨大宇宙ステーション。

 航行する宇宙船に電力や水、食料などを販売する補給ステーションとして、そして星を跨いだ交易に使われる市場としての役割をこなし、そして十万人近い居住者を抱えるコロニーでもある。

 ステーション内には探索者たちを迎え歓迎するための施設が数多く容易されており、中には裕福な者しか立ち入ることのできないリゾートエリアも存在する。

 

 エルとセーナが立ち寄ったのは観光客向けのショッピングエリアである。食料や水、電気といった必需品はOSがなんとかしてくれるので、二人に必要なのは変装用の衣服や装飾品の用意などであった。


「やっとこの汗臭さから逃れられるわ……新品の服って気持ちいい!」

「できるだけ耐久性の高いものを買っておけ。あと……それ、必要か?」


 買い込んだのはシャツや靴のような必需品の他、サングラスや帽子といった変装に欠かすことのできないもの。

 そしてなぜか、可愛らしいスカートや化粧品の数々。


「何よ。年頃の女の子らしい最低限の身だしなみすらダメなの?」

「理解はするが……そもそも、金に困らないのか?」

「十分なへそくりがあるから。あと十年は衣食住に困らないわよ」

「だとしても、逃亡中に破れたりしてしまうぞ。せっかく買ったのに、もったいないだろう」

「その時はその時よ」


 一定の距離を一切崩すことのないエルの前を歩きながら、既に五つの紙袋を手に持つセーナは軽く口笛を吹いてみる。

 自分の姿を、声を、隠す必要のない場所。

 自分の自由がある場所。

 そんな場所を求めて、逃げ出してきたのだから。


「どうせお腹が空くのにご飯は食べるし、どうせ死ぬのに人は生きるでしょ? どんな風に終わるかなんて、考えても仕方ないのよ」

「近い将来に、起こり得ることだとしてもか」

「そうよ。今楽しんでいることだけを考えることが、楽しい人生というものよ」


 次に立ち寄った飲食店では山のようなフライドポテトとラージサイズ(成人男性が音を上げるレベル)のハンバーガーを平らげ、デザートとして注文したワンホールケーキを平らげた。

 そして宿泊エリアへとたどり着き、久方ぶりのシャワーを浴びるに至る。

 宇宙船内でも体の汚れを落とす薬剤スプレーを噴射しタオルで拭き取ることで最低限の衛生環境を保つことができるが、やはり直接水を浴びるという体験は自律神経の維持に相応の影響を与える。


「ぷ______はぁっっっ!」


 これまでのストレスを削り落とすかのような水圧を体で浴び、セーナはシャワーを済ませる。

 浴室を後にし、タオルを手に取った途端、ふとある考えに至った。

 もしかするとこれは、いいチャンスなのではないかと。

 そして何を思ったか___体を拭くこともなく、エルが待つ客室に顔を出した。


「御覧なさい、美少女の全裸よ!」


 そして、視線を百八十度逆方向に向けて固まったエルを目撃する。

 

「あら、赤面して恥ずかしがってくれると思っていたのに」

「恥じらいを持つべきは君だろう。何してる早く服を着ろ」

「女の子の裸を見ないようにするくらいの常識はあるのね。むっつりじゃなくて安心した」

「俺をなんだと思ってるんだ」

「『発情期のガキエストラス・ボーイ』。あなた、十八歳なんでしょ?」

「そういう君こそ十七歳だろ。男に対してもっと警戒心を持て」

「襲ってこないなんて感心ね。安心して背中を預けられるわ」


 絶句を通り越して盛大にため息を吐かせ頭を抱えさせたことは、密かにセーナを満足させた。

 だが、エルは部屋を出るでもさらにため息を吐くでもなく、静かに耳栓を取り出し、追加で耳を両手で塞ぐ。


「ほら服着たわよ。って……何してんのよ」

「何も聞こえてない。君との会話は危険だから聞かないことにした」

「私がこんなに頑張って距離近づけてるのに遠ざかろうとするんだ」

「君がおかしいんだぞ。なぜここまで、俺に心を許す?」


 ベッドに腰掛けるエルの横にそのまま体を投げ出し、一向にこちらを振り向かないエルの横顔を見上げる。

 システムのエージェントらしい、表情の抜け落ちた顔色。

 それでも___どこか人間臭さを残した、あどけなさが残る。


「エル、あなたの目的は何? 同じブレイドならともかく、『七星セブンスター』を狙うなんて、正直言って気が狂ってるとしか言いようがないわ」

「…………何度も言われたな」

「システムを壊滅させて、あなたに何が残るの? あなたは、どう生きたいの?」


 初めて、エルは自らセーナの方を向いた。

 初めて目にした時は、深さと重さを感じた、赤い目。

 だが今は、別のものもそこに見えている。

 ____戸惑い。

 ____迷い。

 ____葛藤。

 人らしい、弱さ。


「それを訊いて、何がしたい」

「一緒にいる人間のことを知るのに理由が必要?」

「君はシステムから逃げたい、俺はシステムを壊滅させたい。共に行動するのに、これ以上の利害関係が必要なのか」

「ええ。だって私たち、


 仲。

 友。

 情。


 まだここにないもの。

 二人を結ぶものに、欠けているもの。


「仲を深めてどうする」

「楽しいでしょ、その方が」

「……そういえば君の目的を聞いていなかったな」


 セーナから目を離し、エルはどこか遠くに視線を向ける。


「逃げて、逃げて、その先に何を求めている」

「まるで臆病者みたいに言ってくれるじゃない」

「馬鹿にするつもりはないが、戦闘能力のない君がシステムから逃げ続けることは難しい。俺がいなければ、いつか追い付かれて殺されていたはずだ。不可能なことを続けて、一体何になる」


 弱い、と結論を出されたことに何を思ったか、セーナは瞬く間に動いた。

 長く闘争の経験を積んだエルに、反応できない速度ではない。寝転んだ態勢からの極め技、と判断し足を抑えるように動く。

 ……という動きをブラフを成功させ、エルの手はセーナの足を抑えつけるために使われ、セーナの手を防ぐことができなかった。

 細い両腕がエルの顔に伸び、頭を掴んだ。

 同時に、エルの右手がセーナの首を掴んだ。

 互いの身体能力を考慮すれば、先に先手をかけたのはエルの方になる。


「いつでも首を折れるぞ」

「私をナメてるみたいだから、分からせてあげる」


 頭に添えらえたセーナの両手に、無視できない『力』が宿った。

 『白星ホワイト』の力。

 エルの情報網では確認できなかった力が、ここに光った。


「『白星ホワイト』は異能の力の管理者として選ばれた存在。そして私は、人工的にその力を持たされて生まれた人工白星ホワイトよ」

「何ができると?」

「それはつまり異能の源泉___『プラクト』を操ることができるということよ」


 『プラクト』___異能なき人間には感知できない、高次元のエネルギー。

 異能を動かす燃料であり、同時に異能そのもの。異なる次元を認知することのできる、選ばれし生命体にしか使うことができない、存在しないはずのエネルギー。

 異能を持つ者はそれらの力を認知し、そして操ることで高次元からこの世界に干渉する術を得る。

 そして『白星ホワイト』とは、それらを異能を介さずに操る存在。

 大量のプラクトを蓄え、そして他者のプラクトにも介入可能。

 時に彼らは、『魔法使い』とも呼ばれる。


「あなたのプラクトを、私のものに転換コンバートする」

「______⁉」


 エルはヴェイルスーツを纏う異能者。

 その体内には、ヴェイルスーツを構成するナノマシンに多量に含まれた膨大なプラクトが流れている。

 エルの意思によって完全に統率され、一切の歪みも生み出すことなく循環を続ける大量のプラクトがこの瞬間、突如として別の情報を刻まれた。

 プラクトの転換コンバート。高次元を流れるエネルギーを操作するプログラムを書き換える。人の体に例えるならば、筋肉の操作権を他者に奪われるに等しい。


『安心して。完全に私のものに書き換えたわけじゃなくて、私を共同所有者に加えただけだから』


 声がする。

 耳からではない。研ぎ澄まされた聴覚は、いかなる空気の振動も検出していない。

 目に映るセーナの口は動いておらず、言葉を発したわけではないことも分かる。

 だが、声が聞こえる。


『プラクトは精神からアクセスできる高次元エネルギー。肉体の機能だけじゃ認知できない。意識を研ぎ澄まして、自分のプラクトに


 言うことを聞いて、ではない。

 まるで、その言葉に直接手を導かれるかのように、自身の意識、精神がひとりでに動くのが分かる。

 澄ます。

 潜る。

 意識の底___そこよりもさらに奥底にある、プラクトの世界へ。


 目を、覚ます。


「来たのね。ここが、あなたのプラクトの世界」

「プラクトの世界、だと」

「もう話せるようになったんだ。器用なのね」


 光も音もないはずの世界。

 だが、広がる無明の光明があり、無音の合唱が響いている。

 人間が生きる世界よりも高次元に存在するエネルギーの世界。つまり、この世界においては光も音も、あらゆる物質的な存在が低次元の存在と化す。

 あらゆるものは、プロクトを制御することで操作可能。声を届けるためには、プロクトを操り疑似的な空気を振動させる必要となる。


「ここはあなたに蓄えられたプロクトの世界。あなたを構成する全ての情報がここにある。分かりやすく言えば心の中、精神世界とでも言うべきね」

「…………何が目的だ」


 再度、問う。

 なるほど、確かにセーナはただ者ではない。システムと関連する人間に、一般的な人間など一人たりともいないのだが、セーナはエルを含めたブレイドと比べても遜色もないほど、特殊な技能を有している。


「私はプロクトを制御するために生まれた人間。あなたたちブレイドを制御することも、私が生まれた目的の一つよ。そして、今は別の目的のために、システムは私を利用しようとしている」


 精神世界での動き方については、セーナの方が上手であるようだ。

 何もない空間から突如として、立体的な構造物のモデルが出現する。立体映像のように鮮明に映し出されたそれは、恐らくはセーナの記憶から抽出した情報をプラクトを介して伝えているのだろう。巨大な構造物はいくつもの歯車がかみ合ってできた十字型の機構にも見えたが、その構造にいかなる意味・意図があるかは見当もつかない。建築物としても、あるいは気まぐれの装飾品としても、いかなる情報も読み取れない、そのような形をしていた。


「七星の誰かが発令した『強制進化グロースフォース計画』、私はこの計画のキーコマンドとされている。人類がこの星系に辿り着く以前から存在した、謎の宇宙文明が遺した古代の遺物アーティファクト___通称『サイクロンベルト』を使うためには、膨大な量のプラクト、そしてその制御能力が必要となる。つまり、白星ホワイトの異能者が必要ってこと」


 人類が星系に到達する、少なくとも数百万年前以上から、それは存在しているらしい。他にもいくつか存在する、大古の果てに埋もれた古代の遺物はいくつも存在し、群星圏を流れる遺跡や、星のマントル内部に存在する機械などは探索者と呼ばれる者たちの興味を引きつける。

 人外未知の存在故、不明なことは多い。

 それすらも、人類のために、システムは利用してみせるつもりだ。


「___あれ、このことは知ってたみたいね、あなた。『サイクロンベルト』の情報に、記憶を構成するプラクトが反応したわよ」

「…………心を読めるのか」

「そんな便利なものじゃないわよ。あなたの保有するプラクトは量が段違いに多いから、解析には相当な処理能力が必要。時間をかけないと私の脳が焼き切れるわ」


 エルの中に生まれた警戒心がプラクトに作用し、瞬く間に立ち並ぶ両者の間に壁が生まれる。一瞬でプラクトの制御方法を学習していくエルの成長に感嘆しながらも、セーナは説明を続ける。


「サイクロンベルトを一度起動するためのプラクトは、ダイソンネットワーク___星を跨ぐほど物理的に巨大化した自然発生プラクトのネットワークから抽出される。あぁ……分かりやすく言うなら人類の集合敵無意識みたいなものね。私はいわば、サイクロンベルトとダイソンネットワークを繋ぐ『鍵』であり、エネルギーを通す『管』でもある」

「君一人に、あれほどの巨大機構を動かすほどの能力はないだろう。明らかに人一人の処理能力を超えている」

「ええ。だから使い捨てよ」


 さらりと、残酷な運命が告げられた。

 

「私の脳と体さえあれば、機械に繋げて無理矢理使ことくらいできるんでしょ。この計画が遂げられれば、私は間違いなく死ぬ。だから逃げてる」

「俺が聞きたいのは、その先だ」


 エルのプラクトが、僅かに角ばった形に変化した。ようにセーナは感じた。制御下に置いたエルのプラクトが、僅かに刺々しさを帯びる。


「君は怒らないのか」

「何に?」

「システムに。自分を殺そうとする理不尽に」

「ムカつくわね」

「なら、大本を壊そうとは思わないのか。死ぬのが嫌なら、抗うしかない。抗って生き続けるしかない。だが君には、抗おうとする意思が決定的に欠けている」


 天性のセンス故か、セーナは徐々にエルのプラクトの制御が取り戻されていくことを感じていた。

 精神活動の活性化。平たく言えば意志力の強化に伴う、プラクトの制御能力の向上。白星の力すら振り切って、エルのプラクトは激しく揺れ始める。


「君の力があれば、俺のようなブレイドを操ることもできるだろう。ブレイドともいかずとも、高い戦闘能力を持った異能者を操ることも、普通の人間を大勢操ることもできる。君がシステムと戦う手段は、十分に用意されている。なのに、なぜその選択を取らない」


 これが、困惑の正体。

 理解できぬ者に対する、疑問、嫌悪、蔑視。

 エルは今、初めて感情を露わにしている。彼を構成するプラクトが攻撃的にセーナの制御を逃れようとしていることを、セーナは肌で感じ取っていた。

 そして僅かな無言の時間の末___プラクトの世界で、セーナは盛大にため息をついた。


「…………別に、旅がしたかっただけよ」

「…………は?」

 

 無機質で刺々しい世界に、セーナのプラクトが流れ込んだ。

 天井に、星空が広がる。

 そしてそれを遮る、透明なガラス板。

 明かりを減らしてしまう、照明の明かり。

 それがいつも、鬱陶しいと思っていた。


「別に大切な人なんていないし、私に生きて欲しいって泣いてくれる人だっていない。でも、やってみたいことならあったの。端末越しにしか見せてもらえなかった、この広い世界を知りたい。もっとこの世界を歩いて、飛び回って……私の足跡を、たくさん残したい」


 記憶が、流れる。

 物資補給船の貨物コンテナに乗り込み、命からがら脱走した記憶。

 身分証もないまま星に漂着し、人に騙されたり、あるいは助けられた記憶。

 腹を空かせた時に助けてくれた老人の記憶。持ち金を盗んでいった子供の記憶。なぜか仲を深めたギャングたちと砂漠をバイクで走った記憶。信じられないほど美味しい料理を作ってくれた少女の記憶。大型の怪獣の背中に乗った記憶。怪鳥に攫われて空を飛んだ記憶。深い森の奥に住む民族にもてなされた記憶。漂着した島で漁船に拾われた記憶。

 過酷な記憶もあった。悲しみもあった。

 でも全てが、宝石以上の輝きを持っていた。

 プラクトと共に流れ込んだ記憶が、エルのプラクトを揺さぶった。


「私に、逃げた先なんてない。逃げて、逃げ続けて……逃げる旅を続けるの。それが私の人生。死神に捕まったら死ぬだけの、ありきたりな人生よ」


 エルの困惑も全て跳ねのけて、少女は毅然とそこに立つ。

 それもまた、彼女の足跡の一つとなる。


「だから……ありがとう、エル。私に時間をくれて」


 気づけば、互いに睨み合っていた宿泊施設の一室にいた。

 エルの頭を掴んでいたセーナの両手はいつの間にか頬に添えられ、セーナの首を掴んでいたエルの手は既に降ろされている。


「そして、お願い。どうかあと少しだけ、私と旅をして欲しい」


 その青い瞳を。人間の醜さを知ってなお、空のように澄んだ青を。

 エルは初めて、眩しいと感じた。


「私と仲良くなって___私の人生を、彩って欲しい」



 

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