アレスは不思議に包まれている

鐘矢ジン

第1話プロローグ

 森の中にぽかりと浮かんだ空間。空を見上げれば真っ青な太陽が柔らかい日差しを注いでいた。小柄な少年が気持ちよさそうに寝ころんでいる。


「えっ、これくれるの?」

 飛んできた小鳥が木の実を、ぽとりと落とした。

聖霊樹トネリの実だね。君のごはん、僕が貰っていいの?」

「ピピピ」

「そっか、ありがとう」

 嬉しそうに鳴きながら、くるりと飛び回る小鳥は、尾羽を虹色に光らせて小枝にとまった。続いて、さっきから服の裾を引っ張っているのは緑のリスたちで、こちらも何かを持ってきたらしい。


「ふふふ、君たちもいつもありがとう」

 小さな友達に囲まれて幸せそうな少年の名は、アレス・ラーナ・クロフォード。伯爵家の末っ子で、辺境の森の中で愛情いっぱいに育てられていた。

 この辺りはヴァルデマ国のレイクフォレスト地方と呼ばれる。大きな湖を中心に周りを森と山が取り囲むそんな土地だった。自然豊かな美しい場所と言えば聞こえが良いが、厳しい環境に耐えて人が住むのにはギリギリの北限で人口も少ない。そんな、まさしく辺境の名にふさわしい場所であったけれど、湖をつなぐ橋を一本超えれば世界が変わった。森は冬でも緑が絶えず、花が咲き誇っていた。

 そう、ここハルブレッドの森は聖霊・・に守られた楽園だった。


「どうしたの?」

「ピピ、チチチ」

「うん、わかった。まかせて」

 アレスは、不思議と妖精たちの話すことが理解できた。幼いころからごく自然に芽生えたそれを、家族は神様からの授かりものと喜んでくれた。

 心配そうにする妖精に訪ねると、酷使されて弱っている精霊を連れてきたという。魔力を少し分けてほしいとお願いされた。


「そうか、がんばって魔法のお手伝いしたんだね」

 アレスは優しく声を掛けながら、手の平から魔力を少しづつ流した。

 魔法は便利で万能ともいえる不思議な力だった。誰でも簡単にとは行かないけれど、詠唱句を覚えれば使うことは出来た。詠唱句は神の言葉が基になったもので、精霊にお願いすることが出来る唯一のキーワードだった。精霊たちは、その言葉を聞いて世界の理に干渉する。基本は等価交換で、術者の魔力を使い現象に作用させていくのだけれど、生まれたばかりの精霊は存在以上の魔力を振るってしまうことがある。存在以上の力を使えば消えてしまうのにだ。

 暗い影はアレスの魔力で満たされると淡く緑に光りだす。そしてアレスの周りをくるりとして風に消えた。


『ありがとう』と言いながら。


「ピピッ」

 妖精からもう大丈夫と告げられた。

「うんうん、よかったね」

 それを聞いて、心配そうに集まっていた小さな友達たちも、一安心とくつろぎ始めた時。

「クルル」

「あっ! もうそんな時間?」

「ピルルッ」

 アレスに『帰る時間だよ』と告げにフクロウが現れた。金の懐中時計をこれでもかと目の前に突き出して慌てている。

 縞模様が自慢のピレスは森に住む妖精で、名づけはアレスが行った。一度、遅くなって母親から怒られた話をしたら、なぜか懐中時計を首から下げて見張るようになったのだ。 そこからは『大変! 大変!』『早く帰れ』と急に騒がしくなった妖精たちに追い立てられながら「ピレス、ありがとう。みんなもまたくるね」と、アレスは家路を急ぐのだった。


    

 ハルブレッドの森には危険な魔獣も害獣もいない。日も暮れかけた森からの小道を鼻歌を歌いながらのんびり歩く。視界が悪くならないように木の枝が、気遣うように動いているのは愛されている証拠だ。やがて森が切れて人家が見えた。


「やあ、アレス坊ちゃん。早く帰らないとまたリア様に怒られるぞ」

 村の連中は会うたびに、そう言ってからかう。リア様とは母のことで領民からは領主である父よりも慕われていた。

 母は、この領地の中では、最も力を持つと言われて領民からの尊敬を集めている。魔力も高く「領主様って必要ないかも」とささやかれていることも多い。実際アレスもそう思うことがあった。

 もっとも、父は離れた領都にいることが多く、なじみが少ないだけかもしれないが。

    

「ただいまー」

「おかえりなさい! アレス様」

 古い城館に掛かる跳ね橋を守っている衛兵のマルコはいつもの笑顔で迎えてくれた。なんでもアウクシリアの騎士出身で、行き倒れていたのを我が家で保護して、仕えたという変わり種の人物である。アウクシリアはカストラ正教国の騎士団で、厳格で信仰が厚い騎士の集まりだと聞くから、それが合わなかったのかもしれない。

「おお! またずいぶんと収穫されたようで」

 アレスが肩から下げているかばんを見て、にっこりと笑顔をくれた。そんなマルコは真面目・・・でいつも優しい人だ。

    


「ただいまー」

「あら、おかえりアレス。森は変わりなかったかしら?」

 緑に囲まれたリビングから、柔らかな声が響いた。リア・ラーナ・クロフォード伯爵夫人。六人も子を産んだというのに、容姿に衰えはなく年齢が見切れない。それもそのはず、彼女はエルフだった。


「うん、大丈夫。みんな元気だったよ」

 いつものように母に抱きつき、森の様子を報告するアレス。

「なにか楽しいことはあったかしら?」

 子供のような綺麗な瞳をほそめ、響く声は楽しそうだ。まばゆい金色の髪はゆるく巻かれて、白桃色の肌に滑り落ちている。ドレスにつつまれた流麗な身体の曲線は抱きしめたら折れてしまいそうなくらい細い。


「ええとね、いっぱいもらっちゃった」

「まあ大変! 聖霊樹の実に……これはラピスラズリかしら? でも……うん、そうだわ。これは大切なものね」

「うん、ピレスもそういってた。かならず身につけておけって」

「そうね、私もそう思うわ。無くしちゃだめよ」

 ラピスラズリには不思議なきらめきがあった。賢者を自称するピレスによれば、幻獣の卵が付いているそうだ。要するに使い魔を宛がってきたのだろう。

「じゃ、入れ物作って。首からさげる袋みたいなのが良いな」

「ふふふ、作ってあげても問題ないけれど、たぶんアレスが自分で用意した方が良いと思うな?」

「うげー、袋とかつくるの苦手だ……」

「あらあら、工作好きのアレスでも苦手があるんだ?」

「だって……。ぬいものは、得意じゃないから。ちまちまとするの好きじゃないし……」

「ダメ! 勉強よ、何事も挑戦しないと」

「ちぇっ、わかったよ。がんばります」


 リアがアレスに用意させたのは理由がある。

 使い魔を卵から孵すのは大変だが、なるべく主以外の魔力には触れさせない方が良い。そのほうが良く懐くからである。


「僕にも見せてくれるかな」

 長男のベルンハルドがアレスに声を掛けた。

 二二歳の成人を迎えた彼は、出仕して王宮の政務秘書官に付いた。とても大変な仕事だと思うのだけれど、「剣を振るより、よっぽど楽だ」と、騎士学校出身者とは思えないセリフを笑いながら言っていた。

 アレスにはどこまでも優しい兄だけれど、剣の腕前は中々で、火が付くと震えあがるほど恐ろしい人だ。我が家では怒らせてはいけない人リストに入っている。


「あら、本当に綺麗ね」

 一緒にいた姉のアリシアも興味深そうに見ている。アリシアは家庭的な女性でアレスの一番の味方だ。貴族の女性は学校には行かず、家庭教師を付けることが多いが、アリシアもそれを選んだ。一七歳を迎えたことから、そろそろ社交に出ることだろう。


「おちび! これちょうだい」

「ダメだよ。それはアレスの大切なものだから」

 すぐに欲しがって、次男のデニスに怒られているのがカルロッテ。普段からアレスの事を子分扱いにして、ペットか何かと勘違いしている。この二人は双子だけれど、大人しいデニスに比べて何倍もやかましい。いまも、口をへの字にして文句を言っているが何時もの事なので誰も相手にしていない。

 二人とも、年が明ければ王都の学校に入学の予定だ。


 そんな中、アレスの一つ上のエドヴィンは、チラリと見ただけで読書に戻っていた。彼は常にマイペース人間なのだ。

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