十六話

 鈴子と吉勝が初夜を迎える中で父の右大臣は鈴子の兄の昌義と酒を酌み交わしていた。


 今年で昌義は二十二歳になる。酒もけっこういけるクチだ。

「…昌義。いや、頭中将。姫が陰陽師と結婚するとはわしも思わなんだ。どう考えておる?」

「どうといわれましても。吉勝殿だったら鈴子を大事にしてくれるでしょう」

「それでもな。あやつ、わしの考えを言い当てよった。姫を本当はさっさと東宮に入内させたかったのだろうとな」

 右大臣が苦り切った顔で言うと昌義こと頭中将は目を見開いた。

「ふうむ。父上の考えをものの見事に言い当てるとは。さすがに人には見えない物が見えるなだけはあるというか。やりますね」

 頭中将がそう言うと彼の膝元にぽうと燐光が漂う。驚いて見ると妖しげに輝く青紫色の蝶が現れた。それは灯明の火に吸い込まれるようにひらひらと飛んだ。

「ほう。美しいな。が、人ならぬものを感じる」

「佐用ですね。あれは吉勝殿の言う式神というものでしょう。何とも美しいが寒気すら感じます」

 二人して言うと青紫色の蝶は火に燃やされてぼうと音を立てながら消えてしまった。それを見ていた右大臣と頭中将はぶるりと震えあがる。

「何かの前触れであろうか。中将、早く祈祷僧を呼んでくれ」

「わかりました。修法を行っていただきましょう」

 頭中将はすぐに立ち上がって女房や従者たちに祈祷僧の手配などを指示したのだった。右大臣も経文を唱えた。


 鈴子は吉勝の腕に包まれて微睡んでいた。二人とも小袖姿で御帳台の中で寝ている。契りを交わした後ではないが今はそれでも十分だ。

「姫。今夜は初夜のはずだが」

「いいんです。その、そういうことはいつでもできますし」

「…が、今の内にすませておかぬと後々困ると思う」

「ですけど」

「姫。わたしもそろそろ忍耐の限界に来ているというか。一度だけでよいから。交わそうではないか?」

 仕方なく鈴子は頷いた。吉勝もにこやかに笑いながら彼女の髪を優しく梳きながら口づけをする。いい雰囲気になりかけていた。

 が、それを一気に壊す気配がする。吉勝と鈴子は不穏な気配に目線を合わせた。

「姫。気付いたか?」

「ええ。確かにしました」

 吉勝は荒々しく御帳台から出ると手早く直衣や指貫を着付けた。烏帽子を被り部屋の外へと出ていく。

『…鈴子。聞こえる?』

 聞き覚えのある懐かしい声に鈴子は桜花だと気づいた。

「桜花なの?」

『ええ。そうよ。不穏な嫌な気配がしたものだから。声を姫に飛ばしてみたの。気をつけて、呪詛を受けかけているわ』

「呪詛?誰に仕掛けようとしているかわかるかしら?」

 鈴子が矢継ぎ早に問うと桜花は是と答えた。

『わかるわよ。鈴子ではなく兄君にかけられた呪詛だけどね。けど、兄君は神仏の守りが強いから。それが鈴子に移ったみたいよ』


「私にね。けど、何ともないわよ?」『そりゃ、吉勝やわたしたちがあなたを守っているからよ。後、宮がお仕えしていた賀茂社の神様や御仏の加護のおかげね』

 桜花が教えてくれた意外な事実に鈴子は目を丸くする。

「私も兄上みたいに神仏の守護が強いの?」

『鈴子は兄君の三倍か四倍は守護が強いわよ。霊力もあるからちょっとした呪詛くらいは跳ね返してしまうわ。何より、吉勝がさせないでしょうけど』

 そうと言いながら鈴子はため息をついた。桜花の言葉は嘘ではないらしい。

『それよりも鈴子。吉勝は側にいないの?』

「…それが。吉勝様は変な気配がすると言って出ていったきりなの。まだ、戻ってきていないわ」

『え。なんですって。側にいない?だったら危ないわね』

 桜花の言葉に鈴子はどうしたのかと戸惑う。

「桜花?」

『鈴子。吉勝の気配を辿ってみて。今のあなたならできるでしょ?』

「できなくはないけど」

『鈴子一人だと狙われやすいから吉勝と二人でいたほうが良かったんだけど。とにかく、吉勝の気配を辿ったら彼がいる場所まで行ってみて』

「わかったわ」

 鈴子が頷くとふつりと桜花の声は聞こえなくなった。仕方なしに鈴子は瞼を閉じて吉勝の気配を追った。

 しばらくして吉勝の姿が眼裏にぼんやりと浮かび上がる。彼がいるのは真っ暗闇だがぼんやりと光るものがたくさんいる場所らしい。それを見て鈴子は必死に考えた。もしや、案朱ではないか?

 確か、桜の名所で有名だったはずだ。ぼんやりと光るものはきっと蛍だと感づいた。鈴子は立ち上がると周防を呼んだのだった。



 鈴子は周防に頼み込み、動きやすい水干と指貫を身に纏う。髪をどうしようかと思った。鈴子は周防にもういいと退出させると小太刀を手に取る。髪を一房摘まむと刃の部分に押し当てた。思いきって小太刀を動かす。

 ざくりと音を立てて髪が切れた。はらはらと床にも落ちる。鈴子はそのまま髪を切り続けた。ざくりざくりと背中の真ん中辺りまで切り揃えた。

 すっかり髪を切ってしまうと頭や肩が軽くなる。切ってしまった髪を手で持ち上げて櫛筥(くしばこ)の蓋に入れた。それでも収まりきらないので仕方なく鈴子は白い紙を出すと包み込んで塗籠の中に隠した。

 そのまま、鏡の近くにあった髪紐で一まとめにしてから部屋の外へ向かう。躊躇いはなかった。

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