十四話

 大炊宮での居候生活は半年と半月に及んだ。桜梅宮や伊勢の君たちにも別れの挨拶をしておいた。意外と早くにお別れは来たなと思いながらも周防と二人で牛車に乗る。

「姫様。吉勝殿が想いを受け入れてくださってよかったですね。けど、父君様や兄君様方にはどうご説明したものやら…」

「そうね。わたくしもそれを心配しているのよ。反対されるのは目に見えているから」

「そうですね。宮様は喜んでくださいましたけど。右大臣様がお怒りになるやもしれませんし」

 そうなのよねと鈴子はため息をついた。吉勝と文のやり取りをしたり几帳越しで話をするようにはなっているが。それでもまだ、恋人というには二人は進展していない。吉勝も鈴子が慣れるまではと待ってくれているようだ。それを思うと鈴子は申し訳なくなる。

 が、両親や兄が障害として立ち塞がっている。鈴子は泣きたくなったのだった。


 二条邸にとうとう帰ってきた。鈴子はここにいられるのもいつまでやらと思う。吉勝とのお付き合いを最終的に反対された場合、いっそのこと出家しようかと考えた。彼には悪いが自分が身を退いて尼になってしまえば、吉勝もお荷物が減って楽なのではないか。

 身分差がある以上、世間からの風当たりも強くなる。覚悟しているとはいえ、鈴子はいつまで保つかと不安ではあった。東宮であっても他の女人と争わなくてはならなくなる。自分は男運でも悪いのだろうか。

 苦笑してしまう。部屋にたどり着くと鈴子は周防が用意した御座にへたり込んだ。

「姫様。やっと二条に帰れましたね。いつまで宮様の御許にいるのやらと不安で一杯でしたけど」

「本当にね。周防も心配してたのね」

「そりゃそうですよ。姫様の婚期が過ぎてしまうやもと気が気ではありませんでした」

 周防は頷きながらきっぱりと言った。鈴子もそれには笑ってしまう。

「気が気ではなかったね。まあ、周防が心配するのもわからなくはないわ」

「そうでございましょうとも。姫様はいささか鈍くていらっしゃいますから。宮様がけしかけてくださったからお気づきになりましたけど」

 周防は力説した。鈴子はあらと声をあげる。

「わたくしが鈍い?それはどういうこと?」

「…姫様、自覚がなかったんですね。色恋事に関しては世間でいうと鈍くていらっしゃると思いますよ。おっとりしておいでといいますか。だから、宮様もじれったいとおっしゃっていました」

 周防の言葉に鈴子は驚いて目を見開いた。

「宮様がそんなことを仰せになっていたの?」

「ええ。仰せになっていました。姫様、吉勝殿が受け入れてくださった事については宮様に感謝してもいいと思いますよ」

 周防が言うと鈴子もそうねと頷いた。吉勝との仲は始まったばかりだ。ゆっくりと育んでいこうと思ったのだった。



 二条邸に帰ってきて半日が経った。父の右大臣と兄が鈴子の部屋にやってきた。

「鈴子や。久方ぶりだな」

 父の右大臣が言えば兄も頷いた。鈴子は扇で顔を隠しながら答える。

「…父上、兄上。こちらこそお久しぶりでございます。今日はお忙しい中、お越しいただきありがとうございます。その、どうしてもお話したいことがありまして」

「どうかしたのか。姫」

 兄が不思議そうな表情で尋ねてくる。鈴子は居住まいを正して言った。

「わたくし、大炊宮におりました時に恋慕う方ができました。その方と婚姻できればと思っています。そこで父上と兄上だけにはお話をしておきたくて」

「鈴子。恋慕う方がいたとは初耳だな。してその方とはどなたなのだ?」

「…陰陽師の安倍吉勝殿です。桜梅宮様もご存知でお付き合いする許可をいただいております」

 そう切り出すと右大臣は驚きのあまり目を見開いた。兄も口がきけないでいる。鈴子はやはり反対されるのだろうかと身構えた。

「…陰陽師。そんな身分の違う人を好きになったのか。確かに吉勝殿は才気に溢れていて前途有望な若者だが。けど、姫や。そなたとでは育ちも身分も違い過ぎる。婚姻したとしてもうまくいくと思うのか?」

 父がもっともな事を口にする。確かに身分も育ちも何もかもが違う相手だ。鈴子は扇を握りしめると一所懸命に言った。

「東宮様からもお文を何度かいただきました。けど、他の女人と競わなくてはいけない事にある時に気がついて。霊力があり木霊などが見えるような女であるわたくしとでは東宮様に釣り合いません。むしろ、困らせて嫌われてしまうのが目に見えています」

「そうか。姫は東宮様に嫌われる事を恐れたのだな?」

「そうです」

 兄の質問に鈴子は頷いた。父も兄もふうと深いため息をつく。

「なんともはや。姫の相手が吉勝殿とはな。まあ、東宮様にはお断りの文は出したのかね?」

「それが。まだお送りしていないのです」

「であれば。今日にでも出しておきなさい。丁重にお断りしておいた方が無難であろうて」

「わかりました」

 鈴子が頷くと父と兄は立ち上がる。

「では、鈴子。わたしたちは戻るから。桜梅宮様にも後日に文を出しておきなさい」

「ええ。出しておきます」

 そう言い置いて父と兄は鈴子の部屋を出ていった。



 鈴子はその日の内に東宮にお断りの文を送った。丁重に歌は抜きにして「まことに申し訳ないのですけど。お文のやりとりはこれを最後にお願いしたく…」という内容でしたためた。東宮からは短い返事が届いた。

「…ただ、あなたを諦める事は難しそうです。それでも薄紅の君の幸せをお祈りしています…」とだけあり、鈴子は申し訳なさで胸がいっぱいになる。それでも東宮からの文はこれを最後にぱったりとこなくなった。

 鈴子はこれでよかったのだと自分で納得したのだった。



 数日して吉勝と文のやりとりをして互いに愛情を深めつつある。吉勝は意外と筆まめで毎日、送ってくれていた。時には式神の作り方のおさらいや鍛練の仕方などを教えてくれる。

 三日に一度は夜に鈴子の元を訪れてもいた。父と兄は黙認してくれているらしく何も言われない。

「やあ、姫。お久しぶりです」

 快活に吉勝は挨拶をする。

「こちらこそお久しぶりです。吉勝殿、毎日は無理でも二日に一度は訪ねてはくださいませんか?」

「…ううむ。二日に一度ですか。何せ、わたしは修行中の身ですので。なかなか、難しいですね」

「そうですか。でしたら我が儘は言わないでおきます」

 鈴子が微笑みながら言うと吉勝は苦笑いした。

「我が儘だとは思っていませんよ。けど、あなたには寂しい思いをさせていたようですね。すみません」

 吉勝は座りながら言う。鈴子の側までにじりよるとそぅっと髪を撫でた。いきなりの事で慌ててしまった。

 吉勝は鈴子の髪から頬に手を移すと親指の腹で撫でた。その手つきは優しい。

 どきどきしながらも身を任せる鈴子だった。

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