十一話

 鈴子が後宮に来てから半月が過ぎた。桜梅の宮も滞在しておられる。周防や他の女房たちとお喋りをしたり楽合わせをしたりしていた。

 歌合わせはさすがに大がかりなものになってしまうため、宮から許可は出なかった。その代わり、鈴子は東宮と文のやりとりをしている。

 あちらから二、三日に一回くらいの頻度で文がくるようになったからだ。鈴子にしてみたら良い迷惑だったが。吉勝が気になりもするし東宮も気になる。憂鬱な日々を彼女は送っていた。




「姫。何やら物憂げな顔をなさっていますね」

 桜梅の宮に指摘されて鈴子は扇で顔を隠した。

「そのように見えますか。宮様」

「ええ。見えますよ。姫にしてみれば、慣れない後宮暮らしにそろそろ音をあげるのではないかと思っていたのです。それに春の縁の事もありますしね」

 ぼかして言われたが鈴子はすぐに東宮の事だと気がついた。そうですねと相づちを打つ。「宮様。わたくし、もう二条のお邸に帰りたいです。何とかなりませんか?」

「…それができれば私もしていますよ。ただ、主上が私に後数日はいてほしいとおっしゃっていて。何でも後宮の物の怪(もののけ)を封じるためにも私と吉勝殿の力を借りたいとかで」

「え。物の怪ですか。わたくしも退治に参加していいのでしょうか?」

 鈴子が首を傾げながら尋ねると宮はどうしたものかと考えこんでしまう。

「…姫に協力していただければ、私や吉勝殿も助かりはしますけど。あなたを危険な目にはあわせたくはありませんし」

 宮は眉をしかめる。鈴子も黙って御簾が上げられてた向こうの前栽を眺めた。

「宮様。わたくしでよければ協力します。後宮にいられるお妃様方に被害が及ぶといけませんし」

「…そうね。姫にも協力していただきましょうか。その代わり、吉勝殿と兄君にも付き添っていただきます。よろしいですね?」

「わかりました。ありがとうございます。宮様」

 鈴子は丁寧に手をついて頭を下げたのだった。




 そうして、鈴子が物の怪退治に参加する事になった。条件は吉勝と兄の中将に協力してもらうことだ。後、一人では行動しないこと。この二つさえ守れれば、鈴子は自由にしていいと宮は許可を出してくれた。

 早速、物の怪が出たという殿舍に向かった。今は昼間の時間帯なので安全だろうからと吉勝と調べに来ている。

「姫。とりあえず、私はあちらを調べますが。どうなさいますか?」

「ううんと。一人で待つのも何なので。一緒に行きます」

 鈴子が言うと吉勝もわかりましたと頷いた。二人で殿舍ー常寧殿の東側に向かう。そちらから邪気を感じたからだ。鈴子も何となく嫌な気配を感じた。呪詛などに近づいた時と同じだと吉勝も言う。ぴりりと首筋に何かが走る。足が重く感じたがそれでも動かす。吉勝があちらですと告げた。

 東側の簀子縁の欄干の近くに土器の小皿が置かれている。吉勝はそれを拾いあげた。

「…これは」

 彼が眉をしかめた。鈴子もどうしたのかと手元を覗きこんだ。小皿の表に朱文字で何か書かれている。

「一宮を呪詛す?」

「どうやら呪詛の大元を見つけたようですね」

「そうなのですか?」

 鈴子が問いかけると吉勝は頷いた。

「ええ。これは私が持って帰りますので。姫は宮の御許へお戻りください」

「わかりました」

 吉勝は小皿を畳紙に包んで胸元に入れた。そうして鈴子に先に帰りますと言って去っていく。それを見送った後で彼女も宮のおられる殿舍に戻ったのだった。



 鈴子が梅壷に戻ると周防と伊勢の君が心配そうにこちらに寄ってきた。

「姫様。吉勝殿と一緒で大丈夫でしたか?」

 最初に尋ねてきたのは伊勢の君だった。周防も物問いたげにしている。鈴子はどうしたものかと悩む。

「大丈夫だったわよ。二人ともそんなに心配しなくても良いわ。吉勝殿は頼りになる方だから」

「そうだといいのですけれど」

 周防が言って伊勢の君もそうだといわんばかりに頷いた。

「姫様。以前から吉勝殿には顔を見られているではないですか。しかも、春の縁の方にまで。これでは入内どころか結婚相手を見つけるのに苦労なさいますよ」

「……」

 鈴子は周防に指摘されてやっと自分の失態に気づいた。東宮には寝間着姿を見られている。まあ、手をつけられなかっただけましだが。


「そうでございますよ。宮様も気をつけてほしいとおっしゃっていました。後宮には多くの殿上人がいますし。なるべく、宮様のお呼びがない時はお局にいらした方がよいでしょう」

「わかったわ。以後、気をつけるから。伊勢の君、周防。二人とも心配してくれるのはありがたいけど。そろそろ、仕事に戻った方が良いわね」

 鈴子が注意をすると二人とも渋々引き下がってくれた。仕事に戻るのを見送ったのだった。




 東宮から文が届き始めて一月が過ぎた。呪詛の件は吉勝と兄の中将が犯人を突き止めていた。常寧殿の女御を呪っていたのは敵対していたとある公卿だったらしい。名前はまだ明らかではない。

 吉勝や兄に聞いても鈴子は何故か教えてはもらえなかった。どうも、桜梅の宮から教えないように言われているらしい。

 仕方なく鈴子は今日も東宮への文の返事を書いたり桜梅の宮の話し相手をしたりして過ごしている。はっきりいって邸にいた時と変わらない退屈な日々で苦痛ではあった。

「姫。もう明日か明後日になったら邸に帰りますよ。呪詛は既に解かれましたし。私も後宮に居続けたおかげで疲れました」

 宮がはっきりと言ったので鈴子は困ったように笑った。

「そうですか。宮様がお疲れならわたくしもそうです。東宮様とのお文のやりとりも終わりにした方がいいでしょうか?」

「…そうね。東宮様とのお文は私からは何ともいえません。あなたの好きなようになさい」

「宮様?」

「姫。あなたも東宮様の事は憎からず思っているのでしょう。でしたら、色好いお返事をして入内してしまいなさいな。私もしばらくは様子を見ていましたけど。あなたなら東宮様とは年も釣り合いますし」

 宮が意外な事を告げた。以前だったらこんな事は言われなかっただろう。

「けど。東宮様にはわたくしはふさわしくないと思います。何といっても霊や式神、木霊などが見えるような不気味な女ですし。入内などしたら失礼になります」

 鈴子が半ば本気で言うと宮は深いため息をついた。やれやれと眉間を揉んだ。

「姫。あなたは家柄も良いですし若いし美しくていらっしゃる。性格だって穏やかだといえます。ただ、霊力が高いというだけで卑下するのはおやめなさい」

 ぴしゃりと言われて鈴子はたじろいだ。

「ですけど」

「姫。いいえ、鈴子殿。あなたは東宮様がいいのかそれとも吉勝殿がいいのか。決めていないの?」

 宮に問われて鈴子は押し黙る。うつむいた彼女に近づくとそっと宮は手をとった。しわができていても温かな手で鈴子の手を包んだ。

「あなたが色恋事に疎いのはわかっていたわ。けど、私はあなたには幸せになってもらいたいと思っています。吉勝殿は身分こそ低いけれど実力があるし優秀です。東宮も文武両道でいらっしゃるし性格も優しい方ですよ。どちらか一方を選んでおけばあなたも楽になれると思います」

「…宮様。わたくしは東宮様は畏れ多くて。吉勝殿が気になっているのは本当ですけど。身分があまりにも違いますし」

「確かにそれはそうね。姫、焚き付けるような事をしてごめんなさいね。けど、今のあなたは見ていられなかったから」

 宮はそう言うと鈴子から手を離した。二人してまたため息をついたのだった。

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