偽善

島津宏村

一章 過去

第1話

 毎日が宝石のように光り輝いていた。この世にはびこる悪意や嫉妬恐怖などとは無縁な毎日。しかしそんな日々はたった一日で崩れ去った。たった二発の銃弾で俺はすべて奪われた。全てだ。

 真田零士は裏社会を牛耳る中条組の幹部である。彼は昔気質で礼儀を重んじた。彼には学生の頃から溺愛する妻の真田愛がいる。若い時から愛がいたためか零士はどんな人間にも好かれていた。彼のやさしさを誰もが尊敬していた。時には鬼のような恐ろしさを、時には仏様のようなやさしさに組の誰もが彼についていくようになった。そんな時彼は他の仲間にこう言った。

「仕える人間を間違えてはいけない。我々が忠義を尽くすべきお家は中条家だ。私などについてきては組が滅びてしまう」

真田の言葉に誰もが感銘を受けたのだった。

 そんな彼にある日息子が生まれた。零士は息子を優馬と名付けて厳しく育てた。特に厳しかったのは中条家への忠誠だった。零士は若いころに中条家に拾われわが子のように育ててもらったことを伝えた。

真田家は厳しい一家であったが、五歳になると、どんなことがあっても休日に映画館へ行くことはやめなかった。これは厳しい教育を受ける息子へ彼なりのご褒美であった。彼らの日常は一般的な家とは違うが、宝石のように輝いていた。

 ある日曜日。優馬は珍しく店の前で駄々をこねた。普段は大人しいが子供は子供だ。欲しいものがあったのだろう。零士も息抜きとして何か買ってやるのはいいと思っていた。予定していた映画間に合わないのでは違う映画に変更する。

「何が欲しいんだ?」

すると、優馬はにこり笑って目の前にあるチャンバラ用の刀を指差した。零士は一瞬どきりとした。まさか自分が杖の中に日本刀を仕込んでいることを知っているのかと思った。しかし、優馬が日本の刀を零士に差し出してきたのでその心配は無用だった。

「パパこれ安いから買ってもいい? パパと遊びたーい」

優馬には教育の一環として安いものを買うように教育している。事実金は山のようにある。例え、優馬が湯水のように使っても底をつくことはない。しかし、そこらの二世のような人間にしたくなかったのだ。

優馬は零士に刀を渡す。その様子を見ていた妻の愛がクスッと笑った。

「この親にしてこの子ありですね」

 愛に言われて思い出したが零士は中条組で一番剣術に長けていた。

「零士に銃を向けるな。腕が消えるぞ」

と言われるほどだ。しかし、今は両手がおもちゃの刀でふさがっているとは何とも皮肉なことだろうか。

「そんなに怖い顔しないでください。杖は私が持っていますから。ね?」

どうやら気持ちが顔に現れていたようだ。どれだけ地位が上がっても愛には顔が上がらない。

「行くぞ、優馬。これ以上後の映画は帰りが遅くなる」

「うん、分かった」

優馬は満足そうな顔でうなずいて零士と手をつなぐ。これでは本当に手がふさがってしまっていざというとき対処できない。後ろの愛に視線を送るが無視された。休日くらい優馬と遊んでやれと言われた気がした。

映画館に入る。暗いが気分が高揚する。零士は映画館へ来ると輝かしい世界を手に入れた気分になるのだ。それは隣に最愛に妻と息子がいるからなのだろう。


映画が終わって外へ出る。映画の内容は忘れてしまったがこの日が人生最後の映画鑑賞だった。俺たちは映画館を出た。外は真っ暗で辺りは映画館とは逆に静まり返っていた。

「帰るか」

父はそう言って歩き出した。駅まではそう遠くないから、五分、五分だけ静かなままでいてほしかった。五分だけ。

 父が後ろをチラチラと見ているのは俺もわかっていたが後ろを振り向いても何も見えなかった。不意に父親が走ったかと思うと後ろを振り返った。つられて俺と母も後ろを見ると拳銃を持った大男がそこにいた。父はとっさに体当たりしようと走ったがその甲斐なく、大男に心臓を撃たれた。

「パンッ」

静まり返った街に大きな銃声が鳴り響く。即死だった。父はその場に倒れてあっけなく死んでしまった。母はとっさに俺の上に覆いかぶさった。

「やめて!」

母がそう叫ぶも、男は無慈悲に銃のトリガーを引き、引き金を引いた。また即死だった。母は見事に後ろから心臓を撃ちぬかれていた。俺は恐怖のまなざしで男を見つめた。その時俺は今何が起こっているのか理解してなかった。大男は俺の顔を見て拳銃をおろした。背が高く顔はよく見えていなかったがその男にも慈悲があることを感じ取った。奴は両親の財布を奪って逃げていった。

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