第三章 第32話 陸上自衛隊 琉洲奈島警備隊のフェンス2

 自衛隊による枝の剪定許可を申し入れる手紙を古民家のポストへ何度か投函したが、いまだ返事がない。


 桜の剪定は難しい。「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」という言葉がある。この言葉には「その人の個性にあった対処をすることでよい花実がつくかどうかが決まる。相手によって対処を変えないといけない」という意味があるらしい。九十見のようなお調子モノにどんな対処をすればいいのかわからない。素直で体力錬成には真面目に取り組むのだが、ルールを軽視するところがある。教育隊のころから班長を困らせていた隊員だ。


 実際の桜の剪定も難しい。桜は剪定した切り口から病原体が入ると、切り口が小さくても木全体が枯れてしまうことがある。


 桜の剪定は、成長の止まる冬が最も適しており、剪定した切り口には保護剤を塗る等、慎重に行う必要がある。だから、家主と連絡を取った上で予定を決めたかった。自衛隊の敷地に侵入されるのは迷惑だが、このソメイヨシノは春になると見事に咲いてくれる。できれば木を傷めずに枝払いをしたかった。


九十見が脱柵に使った桜の枝が、基地への侵入にも使えることが明白になった。


 フェンスの上には鉄条網があったが、九十見は古民家側から桜の枝を利用して基地内に侵入ができる。


 今朝のショートブリーフィングで、改めて古民家に枝の剪定をお願いすることにした。

 すくすくと伸びた大きな桜の木はソメイヨシノ。春には美しい花を咲かせてくれた。残念だが枝の剪定を認めてもらわなければならない。


 琉洲奈島駐屯地の情報保全隊の副隊長の古館恭三は、桜の剪定依頼の手紙をもって古民家に訪問した。


 この家は琉洲奈島駐屯地の周辺でひときわ大きな古民家だ。

 旧日本軍、対馬要塞司令部の時代に指揮官クラスが居住していた住居跡地だ。建物の隅にある納屋は当時のうまやの場所にある。広い敷地内では昔は対馬馬を飼っていたという。日清戦争、日露戦争の時代には他にもこういった住宅があったはずだが、その形をわずかにとどめている住宅はこの一軒だけだた。戦後に帝国陸軍関係者が買い取ったと記録が残っている。

 

 地権者にうまく連絡がとれなければ、調査してコンタクトとらなければならない。その調査も古館の任務だ。ポストに手紙をいれて帰ろうとした時、古民家に向かってくる作業着姿の人物がいた。地元清掃業者「マルクマ清掃サービス」の作業着だった。ショッピングモールで時折見かけるがここでこの作業着を見かけたことはない。

 

 「その家になんか用ですか?」ぶっきらぼうにその人物は聞いてきた。

 小柄なやせた男性に見えたが、声が高い。女性だったようだ。


 彼女はうつむいたまま、古舘の隣をすり抜け、門を開いた。

 

 女は「制服……。そこの自衛隊の人なんや」とつぶやいた。

 

 この家の敷地面積は150平米を超える。一般的な住宅よりははるかに広い。

 その庭も手入れさえしていれば邸宅にふさわしい美しいものだったはずだ。横に伸びる桜の枝ぶりも邸宅内で庭師により形を整えられてきた名残があった。

 

 「ここの人ですか?」

 古舘は表札の名前を言い直した。

 

 「えと、佐々木寿満子さん?」

 作業服の女はそう問われてびくっとした。表札には佐々木寿満子と祖母の名前があった。

 

 「佐々木寿満子さんのお宅ですよね」

 もう一度古舘は表札をみて確認した。

 

 「わたしは親戚のものです。佐々木寿満子なんかやない!可機田かきたです!掃除を頼まれてきただけや」

 「では、佐々木寿満子さんは……」

 「ちがいます。で、何なん? アンタ押し売り? 通報するよ」

 

 女はだんだん、攻撃的な口調になってきた。

 この家の持ち主の名前を言われるたびにイラッとするようだ。家主はこの親戚とかなり不仲なのだろうかと古舘は想像した。

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