第二章  第21話 #9-3 中田与志男三曹 呼吸停止

佐世保には昨年まで自衛隊佐世保病院があった。すでに病院は縮小され入院患者を受け入れることのできない診療所に格下げされている。自衛隊病院が存続していれば才谷が呼ばれることもなかったはずだ。


 隆一郎も数か月だったが自衛隊佐世保病院に勤務したことがある。一般病院と違い、自衛隊病院は生物化学兵器を使ったテロで重篤な病気になった患者の治療も想定している。生物兵器はその元となる病原体よりも毒性や感染力を高めている場合があり、院内感染する可能性が高いため一般病院では受け入れが難しい。少なくともこの感染源は人工的に作られたものだ。意図的にだれかが作ったものだ。

 

 今年3月に廃止される自衛隊佐世保病院が今も機能していたら、才谷第一病院ではなく自衛隊佐世保病院が中田を治療していたはずだ。


 海上自衛官が生物化学兵器に苦しんでいるというのに自衛隊の医療スタッフは助けることができない。機能を停止した病院には元の同僚たちが今も残っている。彼らはこの情報をきいてどんな気持ちだろう。

 彼らは仲間を助ける技術も知識もあるのにそれが使えない。その彼らの代わりに隆一郎がここにいる。これで本当にいいのか疑問だ。

 

 「天寺あまでら警備隊長と佐武さたけ司令が戸板を外した即席担架を持ってきてくれました。ほかに必要なものはありますか?」

 

 隔離室の外からパメラがドア越しに声をかけた。

 「ゴム手袋とマスクを装着してそこで全員待機してください。緊急時には介助していただきます」

 隆一郎は外に向けて声をかけた。了解と短く返事がかえってきた。

 

 佐武やパメラもきっと新型コロナを疑っているのだろうが、全く違う。だが、説明している余裕はない。隆一郎は手早くシプロフロキサシンを注射した。そういえば、9.11後の炭疽菌テロ時には日本にシプロフロキサシンは存在しなかったことを思い出した。ここで初めてこの薬を実際に使うことになった。

 

 想定外の危険な感染症であった場合も考慮して、患者に触れる人数はできる限り抑えたい。正確な情報が事前にあれば医療スタッフも同行させたが、そんなことをぼやいている場合ではない。ドクターヘリに中田を引き継ぐまでは、ここにいる人とモノで頑張るしかない。新型コロナで広く知れ渡ったパルスオキシメーターを中田の指につけた。血液中の酸素飽和度を指先で測る装置だ。中田が炭疽菌を吸い込んだことにより、肺炭疽を発症しているとなると酸素飽和度を計ればおおよその重症度がわかる。

 

 しばらくすると85%と青く表示された。健康な人は普通、酸素飽和度が98%くらいある。意図的に息を止めて我慢できない呼吸しないともうダメだとギブアップする時ですら、95%以下にはならない。85%となると相当に進行している。隆一郎はあせった。

 

 AEDの箱を開けた。「パッドを装着してくださいっ!」箱が叫ぶ。

 「パッドを装着してくださいっ!」

 AEDがまた叫んだ。緊急用キットのこの小型セットは叫ぶ。隆一郎はこのAEDの発する声が好きではなかった。なぜかよく通る男の声だからだ。

 「わかってるよ!」

 才谷は箱に怒鳴り返した。

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