第一二〇話 シャルロッタ 一五歳 蒼き森 〇一

 ——その白き輝きは遠く離れた場所にある王都からも見えたという、それはまさに神の怒りのようだった、と歴史学者は記録に残している。


「……な、なに? 空が白く輝いている……?」

 ターヤ・メイヘムは王都の街角で、深めに被ったフードをあげて白く光り輝く空を見上げる……王都はすでに第一王子派の貴族と、それを支援する軍により占拠され、住民の行動は制限を受けつつある。

 第二王子派の貴族や商会が王都を離れたため、物資の流通などに不足が生じており物資などは一部が配給制となっていて彼女は酒場の女将より言いつけられて食肉を受け取りに来ているところだった。

 配給の列に並ぶ周りの住民たちも発光した空に気がつくと騒がしくなっていく……だが、発光現象はすぐに落ち着くと再びいつもの空へと戻っていく。

「なんだったんだ……」


「……第一王子派が神に祝福されていないんじゃねえか?」


「おい、滅多なことを言うもんじゃねえよ……殺されるぞ……」

 周りの大人たちがコソコソと囁き合うのを聞きつつ、彼女は再びフードを戻して目立たないように下を向いて配給の順番を待つことにした。

 第二王子派……つまりクリストフェルやシャルロッタ、ミハエル達はすでに王都を離れたと聞いた。

 彼女もインテリペリ辺境伯領かサウンドガーデン公爵領に来ないか、とミハエルから誘われたが彼女は断っている……酒場の女将さん達が心配だったことと、彼らについていっても何も手助けができないとわかっていたからだ。

 王都の雰囲気は以前よりもはるかに悪くなっており、若い女性は目立たないようにフードを下ろして行動したり、一人では行動できなくなっている。

「……昨日も若い娘が殺されたらしいぞ」


「花屋のフリナだろ? 結婚式も近いってのに……哀れだな……」


「なんでも獣に食い荒らされたように腹を食い破られて死んでたらしいぞ」

 以前王都の夜は犯罪に巻き込まれることも珍しいわけではなかったが、殺人事件などは衛兵の巡回などもあったために少なく、比較的安全な場所として知られていた。

 しかし……ここ最近は全く違う、夜で歩いた少女が帰らぬ人となった、近くの住民も必死に助けを乞う声を聞いた、とも窓から覗き見た時巨大な鱗をもつ怪物が娘を真っ二つにしているのを目撃した、など様々な噂が街を支配していた。

 第一王子派に所属する兵士たちはその噂にまともに取り合ってくれない……苦情を申し入れても、少し興味のなさそうな顔で手で追い払われるだけなのだと囁かれている。

「……次! そこのフードのやつだ」


「は、はい……下町にある「酔いどれコボルト亭」の者です、お肉を分けていただきたくて……申請はしています」


「ああ、あそこか……こいつが今回の配給分だ」

 無造作に机に置かれたのは少し痩せ細った豚を半分に切り取ったもので、事前に申し込んだものよりはるかに小さなものではあったが、ターヤは黙ってそれを背嚢へと詰め込むと一度兵士に頭を下げてからその列を離れていく。

 嫌な視線を感じたからだ……奥に座っていた兵士たちがニヤニヤとターヤのことを見て何かを囁き合っているのがチラリと視界の隅に入ったからだ。

 すぐに酒場に戻らなければ……ターヤはフードを深く引っ張ると足早に配給の列から離れていく……配給場所からコボルト亭は少し離れており、薄暗い路地を抜けるのが最も近道になる。

「急がないと……」


 ターヤは少し急ぐように静まり返った路地を抜けていく……背後からコツコツ、と規則正しい音が響いているのに気がつき下を向いて黙って歩みを早めていく。

 心臓が早鐘のように鳴り響く……まずい、先ほどの兵士達だろうか? 先ほど列で周りの男達が囁いていた「若い娘がまた殺された」という言葉が脳裏に何度も反響している。

 ふと彼女は前を見ずに歩いていて、何かに思い切りぶつかってしまいその反動で地面へとドタッ! と倒れてしまった。

「きゃっ……」


「……おいおい、どこへいくんだ? こんな若いのがまだこの辺に残ってたとはな……」

 ターヤが尻餅をついてしまいぶつかった相手を見上げると、そこにはニヤニヤと下卑た笑いを浮かべる顔に傷のある兵士たちだった。

 表通りを警備している兵士たちと違い、胸に所属部隊を示す紋章をつけていない……非正規の傭兵部隊の面々なのだろう、顔中に傷があったり少し粗野な格好をしている。

 ターヤは慌てて地面に落としてしまった配給物をかき集めると、すぐに立ち上がる……故郷でも似たような人達には多く出会ってきた。

「す、すいません……ぶつかってしまって」


「いいんだよお嬢ちゃん、俺たちはここで検問をしてるんだ」


「検問……? この間は何もなくって……」

 彼女の困惑した顔を見て、話しかけてきた兵士がニヤニヤとした笑みを浮かべてターヤのフードをさっとあげてしまう……とっさのことに反応できず、彼女の青い髪と愛らしい顔が陽の元へと曝け出される。

 慌ててフードを下ろし直そうとするが、その華奢な腕を兵士がガシッと掴んだ……掴まれた痛みに顔を顰めたターヤだが、そこで初めて彼女は目の前の兵士たちが考えていることを理解し、彼女は慌てて配給物の入った少し重い荷物を兵士へと叩きつけた。

「いやあああっ!」


「ぐへええっ……!」

 顔に豚肉の塊が叩きつけられた兵士は、痛みで揉んどり打ってひっくり返る……まずいまずい、ターヤは後ろも見ずに走り始める……近道をしようなんて思ったのが間違いだった。

 そのまま彼女は必死になって走っていくが、逃げ出した方向は普段通る道とは違う方向だったが恐怖と混乱がその事実をきちんと認識できなくなっている。

 息を切らせて走っていった先が完全に行き止まりの広場になっていることに気がつき、ターヤは怯えた表情で必死に逃げ場所を探してあたりを見回す。

「そんな……こっちじゃなかった……?」


「おいおい、そんな勢いで逃げるなよ……ゆっくり話をしようじゃねえか」


「こ、来ないでっ!」

 下卑た笑みを浮かべた男たちが必死に逃げ場を探すターヤへとジリジリと近寄ってくる……彼女は目に涙をいっぱいに溜めて必死に彼らから遠ざかろうとするが、この広場には逃げ場はなく無情にもその様子を見ていたと思しき住人たちは「見たくないものを見ないために」窓を締めて広場で起きようとしている事件には目を向けようとはしない。

 男たちの手がターヤに伸びる……彼女は迂闊にも裏路地を抜けようとした自分の認識の甘さに後悔を、そして目の前にいる野獣のような男たちの視線に強い恐怖を感じた。

「おやおや……ずいぶんと野蛮なものたちがいるのね」


「ッ! だ、誰だ!」

 いきなり広場に艶かしくも惹きつけられるような魅力を感じる声が響く……それと同時に昼間だったはずの広場が急に薄暗く、照明が落ちたかのように暗く影のようになっていく。

 広場の入り口に人影がまるで影の中から滲み出るように現れたが、その姿は奇妙だが非常に美しい外見をした女性だった。

 長く黒い髪を腰の長さまで垂らし、真紅の瞳は爛爛を輝いている……口元には蛇のような形をした少し長い紫色の舌が覗き、そのはち切れんばかりの艶かしい肢体は扇情的な形状をしたドレスに押し込められている。

 ターヤと男たちはいきなり現れて声をかけてきたその不気味な女に視線を奪われたまま動けない……いや正確に言えばターヤはともかく男たちは体の自由を奪い取られているのだ。

「……あ……な、んだ……体が……」


「いつの時代も、いつの国も、いつの世界においても男たちは愚か、そして欲望に忠実……実に下らない生物だと思わない? ねえ……ターヤ・メイヘム」


「あ、貴女は……なんで私の名前……」

 ターヤはいきなり現れた美しくも妖しい女性に目を奪われてしまいなんとか震える口で言葉を紡ぐ……本能的な恐怖、それはこの世のものではないとわかってしまうが故の恐ろしさ。

 妖艶な女性はぐにゃりと歪んだ笑みを浮かべて笑うと、近くにいた男の顎をその整った指でそっと撫でると、まるで果物をもぎ取るかのように最も簡単に捥いで見せた。

 悲鳴を上げる間もなく恐怖と驚きの表情を浮かべた男の顔が地面へと投げ捨てられる……頭を失った首から血が吹き出し、周りの男たちへと降りかかるが……それでも男たちは恐怖に怯えながらも一歩も動くことが許されない。

「私はなんでも知っているわ……ターヤ……貴女がシャルロッタ・インテリペリのお友達であることも」


「シャル……! シャルのお知り合いなんですか……?!」


「よく知ってるわ、だって私はあの娘のことを手に入れたいのだもの」

 クスクス笑ってからもう一人の男の顔にそっと手を這わせてから、紫色の舌で耳たぶを舐めると舌を耳の中へとねじ込み、簡単に反対側の耳から突き出して見せる。

 ビクンビクンと白目を剥きながら痙攣した男は、鼻から血液を吹き出しながら地面へと音を立てて倒れる。

 男たちは声にならない悲鳴をあげる……これは人間じゃない、悪魔デーモンだ……混沌神が遣わされる恐怖の怪物なのだと、だが口は開いても声は出ない。


「無駄口を叩く男は嫌いよ?」

 妖艶な女性は残った男たちの首をまるで草でも刈るかのように一瞬で切り離して見せる……歪んだ笑みを浮かべたまま、彼女は指にこびりついた血液をそっと舐めとると、腰を抜かして座り込んでいるターヤへと微笑む。

 その笑顔は恐ろしく歪んではいたものの、それまで身に危険を感じていたターヤには危ないところを助けてくれた奇妙な女性に恐怖を感じることはなかった。

 しかし根本的に魔法や混沌への知識が不足していたターヤにはわかっていなかった、今の安堵と感謝……そして魅力を感じてしまうその気持ちこそ、混沌神ノルザルツの眷属が持つ強力な調和ハーモニーそのものだということに。

 妖艶な女性はチラチラと口元に紫色の舌を這わせながら怪しく微笑む。


「……ターヤ、私とお友達になりましょう? シャルロッタ・インテリペリに向ける感情と同じものを私に頂戴……この欲する者デザイアへと」

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