九話

 ところが、と言って、彼が少し間を空ける。

「見ている内にどんどん気分が高まってくるんだ。ものすごくハイっていうか、とにかく不安とか緊張が徐々に薄れていってさ、気分が一気に昂ったんだよね。

 すると、俺はさっきまで何をあんなにクヨクヨ考えてたんだ、バカじゃないの?って自分に対して思うんだよ。この状態が普通に決まってるじゃん、って。

 今思うと、あれは躁状態への急激な変化だったんだと思う。俺がミュージックビデオの映像に見入っていると、視界の外で何かが光っているのに気づいた。携帯だったよ。例の小学校の友達からだった。俺はすぐに電話に出たよ。異様なまでにテンションが高かった。


『大丈夫かな? と思って、電話したの』

その時は、その小学生時代の友達は、大丈夫? という言葉を口にした。

『うん。なんかもう復活したよ。俺の好きなバンドのビデオのおかげで、一気に正

常に戻った感じ』

俺はこんな事を口走っていた。

『本当かな? 気分、落ち込んできたりしない?』

『いや、本当に大丈夫だから』


 この時の俺は、本当? 大丈夫? を連発してくるこの友達に、少し不快感を覚えた。まともな感覚を取り戻したと思い込んでいた俺は、さっき公園で髪の毛を触られていたあの行為は何だったんだ?って不信感を抱き始めてもいたんだ。

 彼氏が居るクセに、ってね。俺はとことん自分の都合しか考えてないヤツだったよ。それまではその子に救ってもらってたってのに。電話を適当に終わらせると、俺は風呂に入った。とにかく本当に気分が高揚してた」


 でもね、と彼が付け加える。


「そろそろ寝ようかなと思って、布団に入った頃には若干気分が冷めていて、そ

の時はほんの少しではあったけれども、不安と緊張を感じていたんだ。

 それでも、無視できる程度のものだったから、その日は無事に眠ることができた。テレビにオフタイマーをセットして。そうしたほうがイイ感じに気が紛れて、グッスリと眠れるんだ。今も時々、そうすることがあるかな・・・ 。

 そして次の日の朝、目が覚めると、また緊張してた。でもその時の緊張感は、それまでのものとは少し違ったように感じられたのも確かなんだ。前日にミュージックビデオを観たのも、無駄じゃなかったのかも知れない。


 その日はバイトは休みだったから、俺はゆっくりと朝飯を食った。親父はとっくに仕事に行ってた。テーブルで飯を食っていると、お袋が

『あんた、最近少し痩せた? 御飯もあまり家で食べてないし』

って訊くんだ。その物の言い方には、それ以外にも何かあるんじゃないかという

事を、見抜いてるような含みもあったよ。

 まぁ、何と言っても親だからね。何かしら感づいてたんだろうと思う」

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