第21話 突撃、おじゃまします!

 明日話すから――翠川くんはそう言ったけれど、火曜日も、水曜日も彼は学校に来なかった。 二日も休むなんてさすがに心配だったけど、怖くて電話もメッセージもできていなかった。


 そして今日は木曜日。


「翠川くんって今日も来ないんですかあ?」


 朝のホームルームでそう問うたAとBに対して高畑先生は軽くため息をつき、「明日は来られるらしい」とだけ答えた。何人かの女子から嘆息が上がる。


 翠川くんが図書館で倒れたという噂は電光石火のごとく校内を駆け巡っていた。そのうえ何人かの生徒が救急車を目撃したことが明らかになると、ファンの女子たちには大きな衝撃が走ったようだ。


 そして、まさに彼が倒れた瞬間を目の当たりにした私は……幽霊みたいにぼんやりと教室に佇んでいた。


 正直、今までは王子様の挙動に一喜一憂する子たちのことをちょっとバカにもしていたんだけど、今なら彼女たちの気持ちがよくわかる。好きな人が倒れたなんて知ったら、心配で夜も眠れないし、ご飯だって喉を通らなくなる。


 そんな状態で眠気や空腹を感じないわけがないけど、そこは重要じゃなくなってしまう。自分の体のことなんか何にもわからなくなっているのだ。まさに魂が抜けたような状態というやつかなと思う。


 ちらっと隣の席を見る。鍵山くんが尻尾を立てた猫みたいな顔をして、先ほど配られたばかりのプリントを折っている。持ち帰るために小さくするのではなく、紙飛行機を作っているらしい。


 これ、学年費のことについて書いてあるから、親に見せなきゃいけないんだけどな……この二日間は私にベタベタと構うことなくじっとおとなしかった彼だけど、不真面目なのは相変わらずらしい。


 でも、鍵山くんのことを気にしていないわけではない。もしかしたらこの人が翠川くんに何かをしたのかもしれないと疑ってもいた。翠川くんが倒れる直前に、その身体に触れていたからだ。


 そんなことができるのかなとも思うけど、彼の能力がなんなのか結局によくわかっていない。でも、【不詳】と言うからには、ちょっとくらい変な能力でもおかしくはない。私こそがその証拠だ。


 もし、人の意識に働きかける類の能力なのだとしたら……まあ、それだと『念動』を使いこなしていたことの説明がつかないけれど。


 とにかく、今までに彼を目の前にして味わった妙な感覚を思い出すたび、胸の奥が砂を裸足で踏んづけた時みたいにザラザラする。


「ん、どないしたん? あ、わかった。俺のことかっこいいって思っとるんやね」


 どうやら、私が見ていることに気がついたようだ。視線がかち合うと、鍵山くんはなんとも嬉しそうに目を細めた。ただ、視線の意味に関して、どうやら何か嫌な誤解をされているらしい。


「ち、違うっ!!」


 どうしてそうなるんだ、と言うより、やっぱり、という感じだった。私が鍵山くんを好きになるなんて、万が一にもありえないのに。



 ◆



 抜け殻のような状態で午前中の授業をこなし、いつものベンチで控えめな量のお弁当をつついていた私のところに、一本の電話が入った。葉月か、はたまた柚木さんかと思っていたんだけれど、表示されていた名前はどちらでもなかった。あわてて受話ボタンをタップする。


「翠川!! ……くん……んん、あの、どうしたの?」


 電話越しとはいえ、彼と会話していることを誰かに聞かれたらまずいことを思い出し、あわてて声の音量を下げる。


「草壁さん、今日の放課後、時間ある?」


「うん、ある、全然ある」


 通学に時間がかかるとはいえ、部活やバイトをしていないから時間はたっぷりある。私が気になるのは晩ご飯が出来上がる時間に間に合うかどうかだけなんだけど、もちろん、翠川くんとの約束の方が優先される。


「よかった。で、ほんとに悪いんだけど、できたらうちまで来てほしくて。学校から近いから……住所送るね」


「えっ」


「どうしても話したいことがあって」


 家? ……突然の展開に呆気に取られていると、ポンと音がした。メッセージアプリに住所が送られてきたのだ。それを地図アプリに入力し、学校からの経路を叩き出す。時間はそうかからなさそうだけど、いつも利用している駅とは反対方向で、全く行ったことはない場所だ。


「画像送った方がよかったかな?」


「ううん、地図見たから場所はわかったけど、ほんとに行ってもいいの?」


「うん、来て欲しい。それじゃあ、待ってるから」


 お出かけよりも前に、彼の家に行くことになってしまった。そこからの私は、きっと様子がおかしかったと思う。午前中以上に授業が身に入らなくて、ダンスの授業では適当な踊りを笑われることになった。


 あまり意味のない訓練も適当に流して、とうとう放課後になった。鍵山くんは……手を振るとさっさと帰ってしまった。私への興味を無くしてくれたならこれ幸いだ。


 ハッと思いついて購買部に行き、一昨日から今日までの授業のノートのコピーを取った。私はそれをカバンに突っ込んで学校を出ると、大急ぎで地図アプリが示す場所を目指した。


 さて、翠川くんが『近い』と言っていた通り、彼のお家は学校から徒歩数分ほどの閑静な住宅街にあるようだ。大学に近いからか、学生向けと思われるアパートもそれなりに建っているようだけれど、少し奥の方に進むと戸建てのお家が増えてくる。


 綺麗に整備された家並みのおかげで、地図を読むのはそこまで得意じゃないのに迷うことはなかった。つまるところ、校門からまっすぐ歩いて、 曲がって、曲がって、曲がり、


「ここ、だよね」


 ……思っていたよりずっと早く着いた。ガラス製のおしゃれな表札には、『翠川』と漢字とアルファベット両方で書いてある。生成色の外壁をところどころ飾るのは、植物の蔓のように滑らかな曲線を描くアイアンの装飾。模様入りのガラスがはめられた木製の玄関ドアがなんも可愛らしい。


 そびえ立つ二階建てのお家を前に、私は息を呑んだ。お城とまではいかなくても、どことなくメルヘンな雰囲気をまとったお家はいかにも王子様のお住まいという感じ。


 そう、ここに大好きな彼が住んでいる――そう思うと緊張感が一気に増して、逃げ出したくなったけど、ここまで来て引き返すわけには行かない。


 覚悟を決め、震える指でインターホンを押した。応答はなく、代わりに玄関ドアがゆっくり開いた。


「いらっしゃいませ。ごめんね、わざわざ呼びつけたりして」


 顔を出した翠川くんはいつも通りの笑顔。よかった、元気そうだとほっと胸を撫で下ろした。


 制服姿しか知らなかったから、ダボっとしたTシャツに、スウェットのズボン姿の彼がとても新鮮だった。正直、休日の父と大差ない格好だけど、なんだかオシャレに見える。モデルが違えばこんなにも変わるものなのかと感心した。手招きされるまま、そっと門を開けて玄関に向かう。


「ううん。顔色だいぶ良くなってるね。よかった」


「心配かけてごめん。それに、こんな格好で」


 着替えればよかったと笑う翠川くんに、ブンブンと首を横に振って答えるのが精一杯だった。ガチガチの私とは違い、彼は服装からしてリラックスしている。まあ、自分の家なんだから当然なんだけども。


「おっ、オジャマシマス」


「どうぞ」


 玄関を包むアロマの香りにさらに緊張が増し、舌がうまく回らないし、動くたび全身の関節からジャリジャリ音がしそうなほどだった。私はオンボロロボットみたいにぎこちなくしゃがんで脱いだ靴を揃えると、彼について目の前の階段を上がっていく。


「ここ、僕の部屋」


「う、うん」


――あれ?


 二階、廊下の突き当たりにある部屋に通されると、中の光景に胸の奥がざわめいた。


「適当に座ってね」


「ありがとう」


 もちろん、別におかしなところはなかった。天井と壁は白だけど、一面だけ鮮やかな天色あまいろだ。床のフローリングは廊下と同じ、明るめの色のもの。そのまま部屋を見回す。置かれているのは床に合わせた色のベッドと学習机、本棚に、テレビボード。ひとり掛けのソファー。


 本棚に並んでいる本を除けば色が少なく、そのうえ整理整頓が行き届いていて、とてもスッキリして見える。カーテンやカバー類は青系の色で統一されていたり、テレビにはゲーム機が繋いであって、いかにも男の子の部屋という感じだなと思う。


 彼の部屋で、ふたりきり。胸を躍らせつつも、同時に妙な感覚も抱いていた。


 ……そう、この部屋、なんだか初めて来たような気がしないのだ。


 こういうのって、デジャヴとかいうんだっけか。今まで遊びに行った友達の部屋のどれかに似ているのかもしれないけど、あいにく私は男の子の部屋に上がった事はない。それに、昔と言うよりは、ごく最近どこかで見たような感じだった。


 テレビか、配信? 一度気になりだすとなんだか気持ちが悪くて、頑張って記憶を辿ったけど、どうしても思い出せない。なんともおかしなことに身体をそわそわさせながら、床に置かれたクッションの上にゆっくりと腰を下ろす。翠川くんもソファーやベッドではなく、私の向かいに座った。


 そのタイミングで、さっきコピーしたばかりの紙の束を取り出す。


「お土産はないんだけど、これ、もしよければ」


 翠川くんはいつもの黒手袋をしていない。人前ではつけるように教えられると聞くから、きっと忘れているのだろう。普段は絶対に見ることができない白くて綺麗な指が、私が差し出したものに向かって伸びてくる。触れられたい、なんてよこしまな気持ちが頭を掠める。


「わ、ありがとう……助かるよ。草壁さんって字が綺麗なんだね。読みやすくてわかりやすいな」


「そ、そう? ありがとう」


 喜んでくれて良かったと思った。それに、褒められたのはあくまで字だけど、綺麗と言われたことに照れ笑いを隠せない。


 翠川くんは紙をパラパラめくりながら、「あー、二日で結構進んじゃったんだね、今夜は頑張らなきゃ」と苦笑いをする。明日は学校に来られるのなら、私をわざわざここに呼んだのはどうしてだろうか。


「翠川くん。それで、今日はどうして? 話なら、明日学校ででも」


 私が訊ねると、翠川くんの顔から笑顔がストンと抜け落ちた。何かを決意したみたいな、決然とした表情だった。


「……このあいだ聞かれたこと、全部話そうと思って。その、学校では、ちょっと。だから」


「ええっ、あっ!?」


 翠川くんはそう言うと、Tシャツを一気にたくし上げた。真っ白でぺたんこな胸板があらわになると、私の心臓はどきりと跳ねあがった。月曜に図書館でも見てしまったけれど、彼みずから晒したとなると、また違った感想になってしまう。


 翠川くんは脱いだシャツを丸めて脇に置くと、そのまま這うように座っている私に近づいてきた。その姿は子犬どころか立派な獣……ちょっと華奢すぎるけど。さすがに直視するのが恥ずかしくなってきて、たまらず目を逸らした。


「草壁さん……」


 どこか熱を帯びたような吐息混じりの声に、私はとうとうパニックになった。


 そう、私の向かいには、よつん這いになった半裸の彼がいるわけで。


 まって、まって、どうしたらいいの!? 冷静になろうとしても、頭のネジが全て吹っ飛んでしまったのか、目の前の状況を理解も把握もできない。


「うあ、うえっ」


 口を開けても、もはや変な声しか出なかった。


 いくらひ弱で気弱で、女の子が苦手だとか言っていても、しょせんお年頃の男子。部屋に呼ばれたってことは、それなりの何かを覚悟してくるべきだったのだろうか?


 いやいやいや、好きな子がいると言っていたのに、別にそういうことをする相手は誰でもいいってこと!?


「ごめん、見てほしいものがあって」


 酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせる私に、翠川くんは構わず迫ってくる。あたりを真っ暗にすれば逃げられるかななんて思ったけど、人間は本当に追い詰められると色すら上がってこないらしい。冗談ではなく本当に目が回ってきた。


 確かに私は彼のことが好きで、その手に触れられてみたいとは思っていた。けれど、いくらなんでも、この状況で身体を許すほど軽い女じゃない!!


 まさか、女の子を部屋に連れ込んで、こんな、騙し討ちみたいなことをする人だったなんて。


 ガラガラと、彼に対する気持ちが崩れ落ちていく。


――ゆるさない、成敗してやる!!


 私は、彼を睨みつけて腹をくくった。そして自分の身を守るため拳を握り、大きく振りかぶった。

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