第6話 王子様の真実

 白くて冷たい砂地に、暖かい雨が降る夢を見ていた。なんだか抽象的というか、ちょっと不思議な夢だ。降り続いた雨は砂地の真ん中に、やがて大きな水たまりを作った。


 雨が止むと、空を覆っていた分厚い雲が去り、日差しが差し込んで、空は銀鼠色から水色に染まった。この水色……少しだけ緑を足した薄青は私の大好きな色だ。


 いつのまにか水たまりに橋をかけるように大きな虹が現れていて、私はそのふもとに座り込んでいた。すぐ目の前にまで迫る水面は今日、何度も見た翡翠色。それが春を思わせる陽光に照らされて、宝石みたいにキラキラと光り輝いていて。心が吸い込まれそうになる。


 あったかいなあ、と思った。ここで私はひとりぼっちのはずなのに、まるで隣に誰かがいてくれるみたいだった。


「綺麗なんだよな……」


 すぐ近くで男の子の声がした。綺麗、私にそんなことをささやいてくれる人がいるなんて。恋愛の物語はちょっと冷ややかな目で見がちな私だけど、実際に我が身に降りかかるとなんだか柄にもなくときめいた。


 耳をくすぐった丸くて優しい声。なんだかいい匂いがして、何よりあたたかくて心地がいい。日差しの暖かさだけではなくて、なんとなく人の温もりがそばにあるような――


――すぐ隣に誰かがいることに気がついて、瞬時に覚醒した私は、その正体に目を限界まで見開いた。


「翠川くん!?」


「くっくくくく草壁さんっ!! えっと、そのっ」


 翠川くんも、ぱっちりと大きな目を皿のように開いて慌てている。


――なんと、私は大胆にも彼に寄りかかってぐうぐう眠っていたらしい。


 お恥ずかしながら、日々の長距離通学で疲れ果てている私は、電車で見知らぬ方にも一瞬やらかすことがあるんだけど……でも今回は相手が同級生、ましてや王子様!! そして爆睡!!


「ああああっ!! ごめ、ごめんねっ!?」


「ぼっ、僕こそごめんっっ!!」


 よだれ垂れてない? 変な寝言を聞かれてない? それと、今は何時!? あわてて口元を拭って、空を仰ぐ。


 幸いなことに陽はまだ傾いていないから、そんなに時間はたっていなさそう。よだれも大丈夫そうだ。だけど、自分でも気づかない恥を晒していないか不安で挙動不審になるしかない私。


 まだ彼にぴったりくっついて座っていたのに気づき、あわてて離れはした。けど、頭が混乱していたせいか、


「綺麗って……??」


 もっと他に聞くべきことがあるのに、なぜか最初に出てきた言葉がこれだった。


 私の問いに、翠川くんはどこかを踏んづけられたみたいな短い悲鳴をあげると、


「うそだ!? えっと、その、くっ、別に草壁さんの容姿のことじゃなくて、ああ、可愛いかもとは思うけど、綺麗かと言われると……全然そんなことはないんだけど」


――は?


 王子様がオロオロしながら投げてきたのは豪速の直球。すでにボロボロだったハートが粉々に砕けそうになった。私のときめきを返せ。


 悪意は全くなさそうなのが余計にキツい。普段浴びている純度百パーセントの嫌がらせの方がまだマシかもしれない。綺麗な顔して恐ろしいやつめ。いや、だからか。私のときめきを返せ!!


 いや、何を期待していたんやら!! なんだか不覚にも顔が熱くなってきたのを、頭を抱えてごまかした。


 いやまあ、私の容姿に関しては彼がおっしゃる通りである。髪は真っ黒で、そのうえ気ままにうねる癖毛。丸顔の中に少し離れ気味に配置された焦茶色の丸い目。身長は平均程度。体重は標準体重。手足は短くて、お尻は大きいけど胸はそんなにない。


 お母さんは『あなたは世界一美人よ』なんて言ってくれるけど、それは何をどう考えても親の欲目が百パーセント。世間での評価は大したことないのはちゃんと把握している。


 わかってはいたけど、あらためて他人から指摘されると自分でも驚くくらいショックを受けてしまった。


 ほんと、わかってるのにイガグリを丸呑みでもしたのかってくらいお腹がちくちく痛い。いや、痛んでいるのは心なのかな。よくわかんないや。


 ……ちなみに性格はともかくとして、念力女A、Bともに私から見ても大変魅力的な顔面とスタイルをしていらっしゃる。おそらくアレもコレも、自分たちこそがこの美形王子と釣り合うと信じているからこその仕打ちだったわけだ。


「なんなのそれ。そりゃエリート王子様はいつもクラスの美人どころに囲まれて目が肥えてるでしょうけど、何もそんなはっきり言わなくても」


 私のときめきを返せ、という言葉はギリギリ飲み込めた。それを言ったら負けだ。ほんと今日は何から何まで散々な日すぎる。明日は学校を休んで厄払いにでも行きたい気分だった。


 情けなくも涙が出そうになったのを堪えていると、どういうわけか隣にいる王子様までその翡翠色の目を悲しそうに歪ませている。私の容姿に言いがかりをつけてきたのはそっちなのに、雨に濡れた子犬みたいに小さくなってるのはなぜ?


「エリート王子様って、草壁さんまでそんな風に思ってたんだね」


 まるで石ころになったみたいに背中を丸めて俯いて、ぽつんと寂しげにつぶやいた声に、ざわついていた心を一気に鎮められた。この反応は一体なあに? 照れているとかではなく、本当に不本意だと思ってるみたいな。


「だって君は優秀だって噂聞いてるから。だって一年生の時はそれで別室登校だったんでしょ」


「違うよ。優秀なわけがないよ。触らなくても読めるけど、見えてる範囲のものを何でもかんでも拾っちゃって、すぐ頭がパンクしちゃうポンコツなのに……どうしてそんなこと言われるんだろう」


「……え、触らなくても読めるの?」


「うん。周りを混乱させるから、秘密にするように言われてるけど」


 触らなくても読める。見えてる範囲のものは読める。サラッと言ったけど恐ろしいことだ。


 テレパシーは普通は肌に触れ、相手と自分の脳波をリンクさせることで思念を読み取るもののはずだけど……と、ここでハッと気がつく。詳しいことはよくわからないけど、触れなくても読めるだとしたら、今日起こったアレにもコレにもソレにも、今ここに彼がいることにも説明が付いてしまう。


 また警戒レベルが真っ赤っかになるまで上がる……かと思いきや、不思議なことに恐怖心は少しずつ消えていく。彼はこちらを横目で伺ってから話を続けた。


「普通は読むか読まないかを最初からコントロールできるらしいんだけど、僕はそのスイッチが壊れていたみたい。だから能力に目覚めたばかりの頃は外に出られなくて、中学には全く通ってないんだ。頭を手術でいじって高校ここには来られたんだけど、それでも能力のコントロールが下手だったのと、人慣れしてなかったから、入学式の日に教室で倒れちゃって……たしかクラス一緒だったけど、覚えてない?」


 そう言われ、私は一年半前の記憶を辿る。行きたくもない高校に来たせいで、外の景色が全部モノクロみたいに見えたことはよく覚えているけど、それ以外のことは……思い出そうとしてみたけど。


「ごめんね、全然覚えてない。ねえ、今は大丈夫なの?」


 翠川くんは私の答えを聞いて薄く笑った。


「そっか、別にいいよ。あと今は平気。でも教室にいるのはちょっと好きじゃないかも」


「どうして?」


 人気者なのに意外と思ったけど、そういえば、彼は誰とも連まないことでも有名なのだった。と思うと、私とは少し系統が違うけど、ぼっちというのは同じかもしれない。


「あー、僕、実は女の子がちょっと苦手で。思念が熱くて痛いし、みんな僕のことを勘違いしてるみたいだし。でもそれを訂正してまわるのも、人と話すのが苦手だから」


「あー」


 なるほど、王子様を狙う狩人たちのギラギラとした眼差しは、触れなくても読める彼にとってそれなりの負担になっていたらしい。


 けれど気が弱くて迷惑だと突っぱねることも、上手くあしらうこともできないから、とりあえず黙ってニコニコしているしかなかった。それが周りには大人びて余裕のある態度に見えていたと。


 何もが腑に落ちた私は天を仰いだ。

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